悪者をやり遂げた少年は

 放課後になり、本日も何事もなく授業が終わった。しかし、勇遂の学生鞄はずっと机に置きっぱなしで深刻な話が続けられている事が垣間見える。


 澪と春日は校門で勇遂を待つ事にした。炎上騒ぎで学校としては早めに下校して欲しいのだろう、教員に教室から追い出されてしまったのだ。


「安西君……大丈夫かな」


「勇くん本人は大丈夫だろうけど……謹慎とかにはなりそうだよね」


 二人が不安そうに話していると、ズボンに手を突っ込み、見慣れた姿が校門を抜けた。勇遂と気付き、二人は慌てて呼び止めた。


「勇くん!」

「安西君!」


「うおッ何だお前ら待ち伏せか⁉︎」


 勇遂は急に話しかけられ、驚きながらも立ち止まり、二人の方を向く。心配そうな女子達の顔が彼に向けられる。


「安西君、今日ずっと先生達と話してたの?」


「ああ。午前中は親父もいたけど、午後はおれだけだ。教育委員会みたいな奴とかいたよ」


「大丈夫なの、勇くん……なんか言われたりした?」


「まぁ、しばらくは学校側が対応すっから目立つ事はすんなとさ。おれとしてはサボれて気が楽だ」


 勇遂によると、情報拡散がどうにもならない規模になっているとの事だ。今回はいじめというワードが悪目立ちして、学校へのクレームやマスコミが既に押しかけており、対応に追われている為、極力学校に来ない方が良いとの結論となった。


「そんな……勇くん何にも悪くないのにどうして……誰がこんな……」


「動画も教室のやつだし……クラスの誰かだよ。酷い、誰が安西君を……ッ」


「いちいちおれにつっかかんな! 高城も春日もさっさと失せろ!」



「お前が……安西勇遂か」



 勇遂が声を荒げた瞬間が合図かのように、ゆらりと人影が近づいた。それは髪や髭が伸び切った成人男性。腰元にショルダーバッグをかけ、暗い色のチェックのブラウスを着て小太りだ。


「あ? 誰だよお前。おれがそうだけど?」


 男は勇遂を舐めるように眺め、背後にいる女子達の怯える様子を見て、確信するように口を動かす。


「また立場の弱い女子をいじめてたのか……?」


「は? 何言ってんだお前」


「ネットで噂通りのクズっぷりじゃん……こいつまで少年法に守られるなんて、納得できない。僕が裁いてやる。社会のクズを排除しないと——」


「はぁ? んだよテメェ辛気臭ぇ顔でブツブツ言いやがって」


「僕も学生の時、お前みたいな顔の不良にいじめられてたんだ……許せない。許さないよ弱いものいじめはぁッ!」


 男は折りたたみ式の果物ナイフをショルダーバッグから出し、両手に持った。刃渡りのある鋭利な物を向けられ、事態が深刻化し澪と春日は悲鳴を上げ、辺りにいた生徒が一斉にザワッとして緊張が走る。勇遂は臆せず抑止した。


「てめ…ッそれ引っ込めろ、危ねぇだろうが!」


「ひ……ひひ……ネットの奴らも、やれるわけないってバカにしやがった。……僕は違う、未来のクズは僕が抹消するんだぁ!」


 感情に飲まれている男は、刃物を突き出しながら勇遂に向かって突進してきた。勇遂は身構える。男の動きは雑で取り押さえられそうだったからだ。


「危ない安西君ッ!」


 勇遂の危険に春日が飛び込んだ。突然の事に、勇遂の意識が完全に春日に行く。守るように飛び出した彼女がこのままだと刺されてしまう。


「馬鹿野郎! 下がってろッ」


 勇遂は、目の前に来た春日の制服を引っ張り、咄嗟に後ろへ投げ飛ばす。春日は勢いで地面に転倒するが、それをするので精一杯だった。男はもう目の前。避けられない。


「勇くぅんッ!」


 澪も叫びながら前に飛び出すが、間に合わない。男と勇遂は完全に接触した。その場の空気が硬直するが、勇遂の声がそれを砕く。


「……くぁ……」


 勇遂の腹部にナイフが奥まで突き刺さり、白いブラウスがジワリと赤に染まっていく。男はニヤリとしながら刺さったナイフを引き抜いた。血まみれの手と刃物で、達成感に身体を震わせる。


「死んどけよ……いじめのクズが…ッ」


 勇遂がドサァと地面に倒れると辺りは騒然とし、生徒達の悲鳴と人が刺された恐怖が校門に入り乱れる。騒ぎを聞きつけた男性教員がようやく駆けつけ、数人がかりで男を取り押さえて地面に倒す。


「ひ……ひひ……僕が、やり返してやったんだ」


 男は抵抗せず、やり遂げた快感に支配されていた。救急車ーッ生徒が刺されたぞーッと大声が上がる。


「安西君……ッ安西君しっかりしてぇ!」

「勇くん! 勇くぅん!」


 春日と澪が駆け寄るが、勇遂は横たわって動けない。押さえた腹部からどくどくと血があふれている。コンクリートを濡らし、広がっていく。


「はぁ、はぁ……くそ」


 痛がる勇遂と最悪の事態に春日と澪はパニックになっていた。どうしたらいいか分からず泣き出し、勇遂の名前を叫ぶしか無い。


「やだ……やだよ勇くん……しっかりしてよお!」


 消えてしまいそうな声を聞き、勇遂は朦朧とした意識で澪を見た。彼女はわんわんと泣きながら名前を連呼している。見慣れた泣き顔。何度も見た涙——血と共にぶっきらぼうが抜けていく。死が迫る勇遂は、言葉を選ぶ余裕が無かった。


「たか……澪……」


「勇くんなぁに⁉︎」


「おれの為に……そんなに、泣いてくれるのか…お前……」


「何言ってるの勇くん! もうすぐ救急車が来るから頑張ってよ、お願いだから…ッ」



「おれが死んで、毎日泣いてくれんなら……それで、生き続けて欲しい……澪……」



 勇遂は苦痛の中、精一杯微笑む。澪は意味を理解し、涙が決壊する。彼はいつも通り優しかった。でも言葉も表情も優しいのは——澪にとっては初めてだった。


「……おれより、優しい……男が、きっと澪を…幸せに、して……くれる……からよ……」


「ゆう……くん……やだ……。そんな事いわないで……言わないでよぅ……」


 澪は首をぶんぶん振って、春日と共に何回も呼びかけるが、悪者をやり遂げ、願いを口にした勇遂は次第に弱っていく。


 ウウゥとパトカーと救急車のサイレンが校門に迫ってきた。様々な叫びや音がそこに集結する中、元気になったはずの勇遂は突然訪れた悪運に襲われ、恐ろしい速さで大人しくなっていった。

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