聞き分けのない想い
澪は静かに春日の背後を歩く。春日が想いを伝えて、勇遂に勢いでキスをした——打ち明けられた二つの事実が澪の心臓を動かし、不安を増幅させる。
二人は昇降口まで辿り着き、春日が下駄箱を開いて靴を履き替える。その嬉しそうな表情を見た澪は、一歩後退りした。肩にかけている学生カバンの紐をギュッと握る。平常心を装う。
「礼美ちゃん……」
「ん、どしたの澪ちゃん」
「ごめんね……私、教室に忘れ物しちゃった……明日学校休みだし、取りに戻るね……」
「そ? じゃあここで待ってるよ」
「……でも、礼美ちゃんはこれから予備校でしょ、待たせたら悪いよ——」
「えー? 教室ならすぐだと思うけど……いいの?」
「うん、礼美ちゃんには、勉強頑張って欲しいから」
澪は笑顔で春日の背中を押す。頑張る彼女を必死に言葉で応援した。
「まったく、澪ちゃんはいつも優しいの〜。じゃあお言葉に甘えて、また来週ね!」
勉強に時間を費やしたいのは本当らしく、春日はウキウキした笑顔で手を振り、澪は控えめに片手を振り返し、帰っていく彼女を見送った。
「……教室、一回戻ろうかな」
澪は忘れ物をしていない。平常心を保てず、そんな嘘をついてしまった。とぼどぼと来た廊下を戻り、階段を上がる。
「礼美ちゃんは……すごいや。私だったら、できないよ」
その一言と共に、階段を通って教室のある階まで戻ってきた。澪は春日を素直に尊敬する。ずっと抱えていた想いを勇遂に伝えた。行動に起こした。
「……だれも、いないよね」
当然教室には誰もいなかった。二年の教室は文化部や運動部がわざわざ使う事も無く、帰宅部もいちいち残らない。澪は扉のすぐ近くにある自分の席に一回座った。
「……」
澪はふう…と息を吐く。落ち着きを取り戻そうとするが、心は動揺し続ける。そうなってしまうのも、春日が澪の後押し無しに勇遂に迫るとは思わなかったからだろう。
「……」
チラッと澪は隣の席を見る。当然そこに勇遂はいない。いつも雑な位置に置かれる椅子も、今日は丁寧に収まっている。
「勇くん……風邪、大丈夫かな」
そう言った瞬間ブー……とカバンに入っているスマホが振動する。澪は手に取り、画面を見つめるとメッセージが届いていた。
【あれからちゃんと泣いたか? 泣き忘れて明日死んでたらぶっ殺すからな】
その荒っぽい文章は勇遂である。なんだかんだ気に掛けてくれて、澪はスマホを見ながらクスリと微笑む。
「死んでたら殺すって……勇くんの口癖だね……」
澪は返信しようとする。彼女は今の時間まで泣いていないが、まだ時間がある。毎日涙を作るのは大変であるが、内気な性格と感受性が高いのもあって泣く事に苦労はない。
【勇くん体調は大丈夫? ゆっくり休んでね】
その場に勇遂がいる事を澪は想像しながら、メッセージを打ち込む。そして涙の報告をどうしようか考えた。まだ泣いていないので、素直に伝えるべきか、とりあえず安心させる為に嘘を送るか。
【今日、礼美ちゃんに告白されたんだよね】
無意識にその文章を打ち込んでいる事に気付いた途端、澪の視界が歪み、文字が読めなくなった。
「あ……れ……あれ……?」
澪はぽろぽろ涙をこぼす。慌てて口を塞いだ。その涙の意味を彼女本人ですら分からず、ひたすら驚く。
「なんで……なんで?」
涙が出た意味を澪は心に尋ねた。答えは簡単だった、礼美の話を聞いてチクチクと心が傷付き、ずっと悲鳴を上げていたからだ。澪はギュッと胸を押さえる。涙をこぼす度に、何故か神事での事が浮かんでくる。
めちゃくちゃ、綺麗だ——澪。
そしていないはずの勇遂の声が聞こえて、澪はハッとした。涙が止まらない、胸が痛いと泣き叫ぶ。それは何故か——曖昧にしてきた彼女は、遂に隠しきれなくなってしまった。
「……だめだよ」
澪は自分にダメだと言い聞かせる。それは親友に無礼な気持ちであると、勇遂へ更に負担をかける想いであると、聞き分けのない心に何度も——何度も。
「この気持ちは——礼美ちゃんの方が先だから……私が邪魔しちゃ……だめなんだよ」
誰もいない教室で、澪は一人で泣く。この涙で彼女は死なずに済む。しかし、どの涙よりも——悲しさと切なさが染み込んでいた。
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