泣きだす心

 本日全ての授業が終了した。生徒達はそそくさ鞄に教科書や筆記用具を詰め込み、次々と足早に下校し、部活へ向かっていく。


「竹ちゃーん、早く行こうぜ。今日は二年が器具の準備だぞ〜」


「おーッ! 今行く!」


 同じ部活の男子生徒に呼ばれ、窓際にいる竹中は返事をしながら慌ててカバンを背負う。彼は陸上部所属。ハードルやカラーコーンなど、人手のいる細々こまごましいものを体育倉庫から持ち出さなければならないだろう。


 竹中は教室の出口に向かいながら、チラッと壁側一番後ろの席にいる澪を見た。彼女は静かに机の中身をカバンに入れている。左隣の勇遂の席は、椅子が丁寧に机の中へ収まっているので、彼はあの後大人しく早退したようだ。


「高城さん、また明日ね!」


 悪印象を与えた気まずさを、竹中は通り過ぎる勢いで打ち消しながら声をかける。澪は振り返り、柔らかい笑顔を向けた。


「うん、竹中くんも部活頑張ってね」


 彼女の顔を見た竹中は微笑み返し、そのまま部活へ向かっていった。澪が学生カバンに教科書を入れ終わると、春日がパタパタと近付いてくる。


「澪ちゃーん、一緒に帰ろ!」

「うん。帰ろっか」


 二人は教室を出ると、歩幅を合わせながら昇降口へ向かう。生徒達が行ったり来たりして廊下は非常に賑やかだ。


「ぴえーんッ今日も放課後は予備校だよ〜。期末近いから仕方ないんだけどさぁ」


「礼美ちゃんも大変だね。私も帰ったら、テスト範囲確認しなきゃ……」


 明るい春日と大人しめの澪はいつも通りの会話を交わしながら、階段をゆっくり降りる。期末テストが迫っている為、話題は勉強に関する事ばかりだ。


「私は期末ガチで満点とる! んで、気楽な夏休みを獲得しないと……地域貢献してる場合じゃないよ!」


「すごい気合いだね! 礼美ちゃんは夏休みの予定とか、もう計画してたりしてるの?」


 会話のテンポと階段を降りるペースを合わせながら話していたが、踊り場で春日は急に足を止める。澪は振り返り、同じく止まった。


「礼美ちゃん?」



「……夏休みは、安西君と色々な所……行きたい」



 勇遂の名前が出てきて、澪の意識は一瞬彼にいくが、会話を止めない為に礼美に話しかけ続ける。


「勇くんとお出かけって……?」


「……」


 礼美は無言で頬を赤らめると、澪の手を引き階段を降りていく。引っ張られる側は足元に視点がいく。


「礼美ちゃん⁉︎ ど、どうしたの急に……ッ」


 しかし礼美は返事しないまま階段を降り切ると、昇降口を突っ切っていく。そして澪を人気ひとけの無い校舎内隅に連れ出した。


「澪ちゃん、急にごめんね。あのさ……」


「う、うん。どうしたの?」


「私、今日——安西君に好きって告白したの」


 チクリと澪は胸が痛んだ。目の前の春日は顔を真っ赤にして、視点を下に向けている。


「え……今日って、保健室付き添った……時?」


「うん……保健室で安西君と二人きりになったから、勢い任せに……言っちゃった」


 春日の言葉は澪の心に響き、チクチクと心臓に驚きを与える。自分の動揺を悟られないように、澪は状況を訪ねる。


「返事は——どうだったの?」


「なんか現実味がないって言われた……」


「ううん……勇くんってそういうの理解なさそうだからね……」


「だからさ——本当に好きって分かって欲しくて、私……安西君にキスしたの」


 ズキッと澪の心が驚き声を上げた。知らない事実に心拍が動揺する。ドクン、ドクンと怯える。


「……キスしたの——勇くんに……?」


「……でも、安西君まんざらでもないっぽかった」


「そう……なの?」


「でさ……安西君、考える時間くれって言ったの。私の事——もっと知ってから返事するつもりなんだと思う」


「あの勇くんが……考えるんだ……」


 そこまで礼美は澪に知らせると、春日の照れ顔はニヤニヤと変わっていく。澪のぷらんとしていた両手をまとめて掴み、嬉しさを表面化していく。


「私にもワンチャンあるって事だよ! それだけでも凄い嬉しい…ッ安西君次第だけどさ……凄い前向きになれそう!」


「……良かったね。礼美ちゃん、ずっと勇くんの事——好きだったもんね」


「うん、うん! 恥ずかしくて昼休みも澪ちゃんに言えなくて、メッセージで言おうと思ってたけど……夏休みの話して、安西君とデートに行けたらな…って想像したら、すごく言いたくなった!」


「礼美ちゃんには、すごい進展だよね……まだ分からないけど、いい返事——くるといいね」


「それは私のアピール次第だと思う! だから私、これから安西君にどんどん迫る……知って貰いたい」


 目の前で喜ぶ春日を、澪は祝福しようと笑いかける。しかし心臓が、何かを必死に我慢するように、震えて止まらない。笑顔が崩れかける。


「ずっと応援してくれた澪ちゃんに、それだけ言いたかった! 連れ出してごめんね、帰ろ」


「うん、かえろ……」


 ウキウキしながら前を行く春日の背を見ながら、澪は静かについていくが、胸がざわついて止まらない。


 落ち着かせようと左手をギュッと胸元で握る。しかしそんな事では誤魔化せない程、澪の心は傷ついて泣きそうになっていた。

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