救えない苛立ち
「は…安西⁉︎」
「勇く…ッ」
突如ブッ倒れ、教室内は騒然とした。目の前で見た竹中は驚き、澪が焦りをバネに席から立ち上がった瞬間、誰よりも早く床に倒れた勇遂に駆け寄った生徒がいる。
「安西君ッ! だいじょうぶ⁉︎」
それは春日礼美だった。勇遂の背中を優しくゆすると、倒れた彼はゆっくり腕で上体を起こす。叩きつけるように倒れた為、痛みが全身に走る。
「……でぇ……その声は春日か……いや、立ちくらみ……しただけだ……」
「立ちくらみでこんな倒れ方しないよッ! 肩貸すから保健室に行こう、ねっ?」
「……悪い、頼む……」
流石の勇遂でも、目眩と倒れた衝撃で全身が痺れて誰かの介抱なしではまともに動けないほどだった。春日に手を引かれ、彼はゆっくり身体を起こすと、澪が飛び付くように駆け寄った。
「勇くんッ…勇くん大丈夫⁉︎」
「うっせぇよ……大丈夫だっつうの……」
「絶対に大丈夫じゃないよ! 私も手貸すから!」
心配でたまらない澪が肩に触れてきた為、勇遂は上半身で跳ね除ける。それを見かねた竹中が澪の背中に手を添える。
「おれに近付くなって……同じ事言わせんな……」
「いいよ高城さん、こいつ大丈夫そうだし。春日さんに任せて、俺らは移動授業の準備に行こ?」
「でも……でもぉ……」
「澪ちゃん、結構安西君動けるみたいだし、思ったより大丈夫。だから私に付き添わせて」
その言葉を聞いた澪は、スッと反射的に勇遂から下がった。譲る他ない、介入してはいけないと友情が訴えかける。
そのまま勇遂は春日の肩を借りながら、ふらふらと保健室に向かっていく。残された澪は竹中の隣で立ち尽くすしかない。
「……」
「……ったく。具合悪いのに無理するからだ、情けねえな。ほら、視聴覚室行こう高城さん」
「……うん」
澪はトボトボと足を動かし、竹中は彼女の左隣につくと並んで廊下を歩く。
「……」
「……」
会話が弾まない。竹中はチラッと澪を見るが、彼女が勇遂を気にしているのは様子からして明らかだ。貴重な二人きりの時間ですら、勇遂の存在は失せず竹中はイライラを抑えられない。口が滑り出す。
「あのさ……高城さんさ、何で安西が寝冷えで体調崩した事知ってんのかな…あいつっていちいちそんな事まで高城さんに言うの?」
「……え。さっきの話聞いてたの……?」
「まあね」
騒がしい休み時間の教室内で、ピンポイントに二人の会話内容を知るには、至近距離での盗み聞きを意図的にするしかない。竹中は不愉快な事をしていると分かっていても、彼女に確認をする。
「えっと……うん。そうなの……」
「ふーん。高城さんもいい迷惑だよね」
「……」
「そういう事いちいち言う男はさ、下心丸出しだから気をつけなよ。看病を口実に、家に連れ込んだりさ、安西ならやりかねない」
「……そう、なのかな……?」
竹中に言いたい放題され、澪は嘘を交えつつグッとこらえる。ここで本当の彼の優しい面を口にすれば、泣女の涙の為に勇遂がわざわざ悪役を買っている心意気に水を差す事になる。
「そうだよ。支配欲とか…いやらしい欲とか、女子の事そういうのを満たす為の道具としか見てない人間のクズだ。男子の間ではみんなそう言ってる」
確かにだらしない一面や、透けた胸元を凝視する程度には異性の身体に興味はあるだろうが、竹中の言ってる事は全て的外れである。澪から見た本当の勇遂は、ぶっきらぼうだけど優しくて、とても頼れる男子。酷い言われように目が潤む。我慢できなかった。
「……そんな言い方、やめて欲しい……」
「……高城さん……? 高城さんは、ずっと安西から嫌がらせされてる。それを考えたら、これでも生ぬるいくらいだよ⁉︎」
「でも……悪口なんて、聞きたくない……」
「……そうだね。高城さんみたいな優しい女の子には、聞き流せない悪口かもね。ごめんね」
「いいの……私こそ、ごめんなさい」
お互いに気まずい空気を吸って吐きながら、二人は肩を並べて廊下を歩く。好意を寄せる澪を振り向かせたくて、勇遂を失墜させる為の竹中の言葉は、何故か自身に変換される。イメージダウンでしかない。
これを打破する為に、どう声をかけたらいいか分からず、竹中は横切った男子トイレに視線を移し、立ち止まった。
「ごめん高城さん、俺……トイレ寄ってから行くよ。出来るとこまででいいから、先に視聴覚室の準備進めといて」
「うん、分かった。じゃあ、先行ってるね」
澪はいつも通りのクラスメイトに対する優しい接し方で首を縦に振ると、そのまま視聴覚室に向かった。
「……」
竹中は男子トイレに入り、手洗い場の前に立つと目の前の蛇口をひねり水を出す。流れ出る水を見つめ、はぁ…とため息を漏らす。人の悪口を言う一面を澪に印象付けてしまった。なにやってんだと自身の行動に猛省していたが、次第に——他人への八つ当たりに変貌する。
「……なんであんなクズ野郎が……、高城さんを独占出来るんだ……」
嫉妬が口から流れ出て、排水口に吸い込まれていく。いじめっ子といじめられっ子にしか見えない二人。相容れぬはずなのに、竹中は勇遂から澪を奪い取れない。振り向いてもらえない。
優しく接する自分が、態度の悪い男より劣る苛立ちと、年月をかけて溜まった不満は…とっくに限界をこえていた。
「……高城さんの周りにいつまでもいやがって——調子に乗るなよ安西……絶対、思い知らせてやるからな」
竹中は引きちぎる勢いで蛇口を更にひねり、勢いが増す。彼の怒りに燃える表情は、流れる冷えた水に溶けていく。そして手洗い場にある目の前の鏡を見て、反射する自身と共にある決心を固めた。
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