巫女装束

 涙雨が降った夜の次の日は見事な快晴だった。泣沢女神ナキサワメの御神体となる井戸がある、啼澤なきさわ神社には神主や百姓の子孫や泣女の遺族と三十人ほど集まっている。


「勇遂様、お加減は如何でしょうか」


 わらわらと神事の準備が進められている中、鳥居に寄っかかってボーッとしていた勇遂に心配していた芳江が話しかける。


「悪いな、芳江の婆さん……昨日は情けない所見せちまって」


「お気になさらず……誰にも打ち明けられず、辛かったでしょう」


「……話したらスッキリしたよ。ありがとうな」


 溜め込んでいた物を吐き出して少し重荷が降りたのか、勇遂の顔は穏やかだった。


「話を御内密にする代わりと言っては難ですが……澪様をお嫁様に迎えて下さいましたら、安心してわたくしも余生を過ごせるのですがね……」


「……おれは、泣女に優しくしてやれねぇ」


 いい加減しつこいと言いたくなるような許嫁の話だが、昨日の恩をしっかり覚えている勇遂はジーパンのポッケに両手を入れながら、視線を落として言う。


「おれは澪を絶対に死なせない。その為ならなんだってする。泣女の不幸なんか見たくねぇんだ」


「だからこそ勇遂様が、澪様のお側に——」


「悪いな芳江の婆さん。……には、今の立場が一番いいんだ」


 勇遂はゆっくり顔を上げた。その眼差しには、責任を負う覚悟が込められている。それは母を死なせてしまった故、腹に決めた——自身を油断させない、自己犠牲の精神である。


「……勇遂様、もっと人に——頼って良いのですよ?」


 芳江にも彼の背負う覚悟が伝わる。しかしそれは、他人の手を借りない身勝手でもある。たまには甘えるべきだと、人生経験が豊富な大人として言う。


「……そういうのは、澪に言ってやってくれ」


 勇遂は優しくそう言い残し、鳥居から離れていく。彼は今後も自身を追い詰める。絶対に油断しない為に。


「おー勇遂、こっちこいこい」


 しばらく歩いていると、雅彦がちょいちょいとお社の裏から手招きしてくる。勇遂はとりあえず近付いてみた。


「なんだよ親父、そろそろ神事の時間だろ。井戸周りの準備しなくていいのかよ」


「それより勇遂、澪ちゃんの着付けが終わったんだ見てやれって」


「は? 毎年同じ格好だろ。今更なにが……」


 勇遂の話を無視して雅彦は息子をお社の裏に設営された、縁日用垂れ幕タイプの白テント内に引き摺り込む。


「ほら、どうだ。かわいいだろ?」


 やれやれと勇遂が顔を上げると、そこには真っ白い衣と真っ赤な巫女袴を身に付けた澪がいた。トキの翼のような千早の衣装は存在感を強めるが、それが彼女の大和撫子な小顔を引き立たせる。


「あ。勇くん……どうかなあ、なんか去年より色々追加されてて不思議な感じ……えへへ」


 勇遂は固まる。毎年見ている格好だが、いつもと違う雰囲気なのは何故だろうか。その理由を必死に頭の中で探す。なかなか言葉が出てこず、ポカッとバカ息子の頭を雅彦は叩く。


「こらあッ無言は澪ちゃんに失礼だろ、男らしく褒めてやれないのか!」


「あ……そうだよな……えっと……」


 しかし勇遂は、不思議な感覚の訳を自身に問う事で頭がいっぱいだった。いつも通りの千早衣装、見事な髪飾りである髻華うず泣沢女神ナキサワメに縁があるという紫の紫陽花だ。普段手前二つ結びにしている黒髪は、白い布で後ろに纏めて結っている。


「……」


 じー…と勇遂が無言で凝視する為、適当な返事に期待していた澪は次第に恥ずかしくなってきた。


「うぅ……勇くん、や、やっぱ変……?」


「いや……」


 違和感の正体を掴めず、勇遂は一回目を閉じる。いつもと同じ澪の巫女装束。でもどこか違う。確かに所々飾りが追加されているが、ここまで何かが引っかかるのはおかしい。


「……いや、わりぃ……似合って——」


 目を見開いた瞬間、母親の面影が重なり、勇遂は驚くが一回瞬きすると、澪に戻る。そこでどこか気になる正体に気付いた。記憶の中にいる母親、水絵の神事姿によく似ているのだ。


「あ……」


 今、目の前にいるのは紛れもなく澪である。しかし母親と同じくらいの尊さを感じた。大切にしたい存在感を目の前に見出す。


「やべ……」


 その一言に雅彦がポカッと叩いた。失言にしか聞こえないので仕方がない。


「お前ぇッ! なんで衣装を褒めるくらい出来ないんだこのバカ息子がぁ!」


「いや……違うんだ親父……」


「いいかバカ息子、こういう時女の子に言ってやる言葉はな——」



「めちゃくちゃ、綺麗だ——澪」



「ほ?」


 雅彦は目が点になる。今の一言は、家の中をパンツ一丁で歩くような男から放たれたものである。


「……」


 一方澪は、彼の想像しなかった一言に目を丸くし、放心して固まる。全員が何が起きたか分からず動けない中、勇遂は高揚感を抑えられず、澪の両肩をガシッと掴む。


「すげぇ綺麗だ澪、似合い過ぎて見惚れた」


「へ……ッふぇえ……ッ⁉︎」


 澪はボンッと赤面する。全てが直球で、あまりにも男らしい言葉に、彼女の頭も血も沸騰していく。


「なんつうか……すっげえ興奮した」


「馬鹿野郎! 直接言う奴があるかぁーッ⁉︎」


 胸の高鳴りを表現したかったろうが、性的にしか聞こえない発言に、雅彦は勇遂を無理矢理つまみ出す。


「ごめんね澪ちゃん、神事頑張ってね! おいこのエロ息子こっちこい、神聖なる泣女様が穢れるだろうがぁ!」


 安西親子はドタバタと設営テントから姿を消し、騒がしさはどんどん離れていく。残された澪はポツンと顔を赤くしたまま固まっていた。


「どうしよう……どうしよぅ……」


 勇遂から言われた言葉を頭の中で何回も繰り返し、澪は両手で顔を覆ってしゃがみ込む。感情が昂ぶっているのは、彼女も同じだった。澪が秘めていた何かに火が付き、ぶわぁと燃え出す。

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