巫女装束
涙雨が降った夜の次の日は見事な快晴だった。
「勇遂様、お加減は如何でしょうか」
わらわらと神事の準備が進められている中、鳥居に寄っかかってボーッとしていた勇遂に心配していた芳江が話しかける。
「悪いな、芳江の婆さん……昨日は情けない所見せちまって」
「お気になさらず……誰にも打ち明けられず、辛かったでしょう」
「……話したらスッキリしたよ。ありがとうな」
溜め込んでいた物を吐き出して少し重荷が降りたのか、勇遂の顔は穏やかだった。
「話を御内密にする代わりと言っては難ですが……澪様をお嫁様に迎えて下さいましたら、安心して
「……おれは、泣女に優しくしてやれねぇ」
いい加減しつこいと言いたくなるような許嫁の話だが、昨日の恩をしっかり覚えている勇遂はジーパンのポッケに両手を入れながら、視線を落として言う。
「おれは澪を絶対に死なせない。その為ならなんだってする。泣女の不幸なんか見たくねぇんだ」
「だからこそ勇遂様が、澪様のお側に——」
「悪いな芳江の婆さん。……おれのせいにするには、今の立場が一番いいんだ」
勇遂はゆっくり顔を上げた。その眼差しには、責任を負う覚悟が込められている。それは母を死なせてしまった故、腹に決めた——自身を油断させない、自己犠牲の精神である。
「……勇遂様、もっと人に——頼って良いのですよ?」
芳江にも彼の背負う覚悟が伝わる。しかしそれは、他人の手を借りない身勝手でもある。たまには甘えるべきだと、人生経験が豊富な大人として言う。
「……そういうのは、澪に言ってやってくれ」
勇遂は優しくそう言い残し、鳥居から離れていく。彼は今後も自身を追い詰める。絶対に油断しない為に。
「おー勇遂、こっちこいこい」
しばらく歩いていると、雅彦がちょいちょいとお社の裏から手招きしてくる。勇遂はとりあえず近付いてみた。
「なんだよ親父、そろそろ神事の時間だろ。井戸周りの準備しなくていいのかよ」
「それより勇遂、澪ちゃんの着付けが終わったんだ見てやれって」
「は? 毎年同じ格好だろ。今更なにが……」
勇遂の話を無視して雅彦は息子をお社の裏に設営された、縁日用垂れ幕タイプの白テント内に引き摺り込む。
「ほら、どうだ。かわいいだろ?」
やれやれと勇遂が顔を上げると、そこには真っ白い衣と真っ赤な巫女袴を身に付けた澪がいた。トキの翼のような千早の衣装は存在感を強めるが、それが彼女の大和撫子な小顔を引き立たせる。
「あ。勇くん……どうかなあ、なんか去年より色々追加されてて不思議な感じ……えへへ」
勇遂は固まる。毎年見ている格好だが、いつもと違う雰囲気なのは何故だろうか。その理由を必死に頭の中で探す。なかなか言葉が出てこず、ポカッとバカ息子の頭を雅彦は叩く。
「こらあッ無言は澪ちゃんに失礼だろ、男らしく褒めてやれないのか!」
「あ……そうだよな……えっと……」
しかし勇遂は、不思議な感覚の訳を自身に問う事で頭がいっぱいだった。いつも通りの千早衣装、見事な髪飾りである
「……」
じー…と勇遂が無言で凝視する為、適当な返事に期待していた澪は次第に恥ずかしくなってきた。
「うぅ……勇くん、や、やっぱ変……?」
「いや……」
違和感の正体を掴めず、勇遂は一回目を閉じる。いつもと同じ澪の巫女装束。でもどこか違う。確かに所々飾りが追加されているが、ここまで何かが引っかかるのはおかしい。
「……いや、わりぃ……似合って——」
目を見開いた瞬間、母親の面影が重なり、勇遂は驚くが一回瞬きすると、澪に戻る。そこでどこか気になる正体に気付いた。記憶の中にいる母親、水絵の神事姿によく似ているのだ。
「あ……」
今、目の前にいるのは紛れもなく澪である。しかし母親と同じくらいの尊さを感じた。大切にしたい存在感を目の前に見出す。
「やべ……」
その一言に雅彦がポカッと叩いた。失言にしか聞こえないので仕方がない。
「お前ぇッ! なんで衣装を褒めるくらい出来ないんだこのバカ息子がぁ!」
「いや……違うんだ親父……」
「いいかバカ息子、こういう時女の子に言ってやる言葉はな——」
「めちゃくちゃ、綺麗だ——澪」
「ほ?」
雅彦は目が点になる。今の一言は、家の中をパンツ一丁で歩くような男から放たれたものである。
「……」
一方澪は、彼の想像しなかった一言に目を丸くし、放心して固まる。全員が何が起きたか分からず動けない中、勇遂は高揚感を抑えられず、澪の両肩をガシッと掴む。
「すげぇ綺麗だ澪、似合い過ぎて見惚れた」
「へ……ッふぇえ……ッ⁉︎」
澪はボンッと赤面する。全てが直球で、あまりにも男らしい言葉に、彼女の頭も血も沸騰していく。
「なんつうか……すっげえ興奮した」
「馬鹿野郎! 直接言う奴があるかぁーッ⁉︎」
胸の高鳴りを表現したかったろうが、性的にしか聞こえない発言に、雅彦は勇遂を無理矢理つまみ出す。
「ごめんね澪ちゃん、神事頑張ってね! おいこのエロ息子こっちこい、神聖なる泣女様が穢れるだろうがぁ!」
安西親子はドタバタと設営テントから姿を消し、騒がしさはどんどん離れていく。残された澪はポツンと顔を赤くしたまま固まっていた。
「どうしよう……どうしよぅ……」
勇遂から言われた言葉を頭の中で何回も繰り返し、澪は両手で顔を覆ってしゃがみ込む。感情が昂ぶっているのは、彼女も同じだった。澪が秘めていた何かに火が付き、ぶわぁと燃え出す。
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