雨を望む、不良少年


「——雨、上がったか」


 雨が上がったばかりの夜空を見るのは、ラフな格好をした勇遂である。まだ湿っぽい瓦屋根にあぐらをかき、顔を上げて天気を見つめる。


 この地では長い雨の日が続き、突如雲が無くなるほど空が晴れていくのが梅雨明けの知らせになる。これにより明日の昼、御神体のある神社で神事の決行が決まるのだ。


「おほほ、明日は快晴でしょうね…勇遂様」


「そうだな……。……どあぁ⁉︎」


 ほわーと空を見ていた勇遂の顔が引き締まる。なんと、彼の右側の真隣に動きにくそうな着物に加え、機敏な動きも想像出来ない程の老体である芳江が正座していたのだ。


「芳江の婆さんッ⁉︎ なんでここにいんだよ!」


「昔から、勇遂様は屋根にいるのがお好きですねぇ」


「……相変わらず気味悪りぃ婆さんだな……」


 勇遂は動揺しながらも、はぁ……とため息で感情をリセットする。どうやら芳江が屋根に上がるのは、これが初めてではないようだ。


「これで梅雨も終わりか。……まぁ、明日神事したら、また一回短い雨が降るんだけどよ」


「そうで御座いますねぇ、最近はお天道様もなかなか見れませんでしたので、私は晴れ空が楽しみで御座います」


「おれは、ずっと雨の方がいい」


 空を見つめていた芳江はゆっくり勇遂の顔を見る。彼は雨を望む様な眼差しを空に向けていた。


「勇遂様は、晴れがお嫌いですか?」


「……」


「澪様は、雨よりも晴れがお好きだそうです」


「らしいな」


 素っ気ない勇遂の返事。今屋根には男子高校生と老婆の二人のみ。すると芳江は、ここ来た目的を明かす様に、丁寧な口調で言った。


「勇遂様——澪様を、お嫁様として迎えて頂けないでしょうか」


「またその話か」


 勇遂は頭をポリポリ掻く。彼の反応の薄さは、何度もこの話題を振られている事を示している。


「澪様は親に見放された過去故に——内気で、自信の無い子であります。安西家の嫡男で御座います勇遂様なら、泣女を救って下さる御方に——」


「母さんは——」


「勇遂様?」


「母さんが死んだのは——よく晴れた日の……翌日だったんだ」


 芳江には先代泣女である勇遂の母、水絵の話が出てきた意味が分からなかった。勇遂は夜空を静かに見つめる。立派なお屋敷の瓦屋根の上に二人の会話を邪魔するものはない。


「泣女は一日でも涙を見せませぬと、生贄として魂を持っていかれてしまいます……わたくしの姉、貴美子も……些細な事で涙を流さず、その命を天津神様に捧げる事となりました」


「……マジでクソ過ぎんだろそれ。いつまで泣女がそんな事背負わなきゃならねぇんだよ」


「天津神様は人の信仰心が無ければ、その御業みわざを維持する事が叶いませぬ…故に、泣女がその信仰の証を示し続ける事が必要なのです」


「だからって魂取られる必要ねぇだろうが。災害も食料も今はどうにでもなる時代だ、もう神なんかに守って貰わなくていいんだっつうの」


 勇遂は空を睨み続ける。過去の大飢饉を救い、大きな自然災害が起きない代償が、泣女の涙と魂である。彼は納得がいかないのだ。静かに言葉に耳を傾けていた芳江は、老婆心を添える。


「……勇遂様、言葉を御慎み下さいませ。天津神への信仰心を全うしたわたくしの姉、貴美子だけでなく——お母様である水絵様の冒涜にもなりますよ」


「……すい、ませんでした……」


 芳江の横で、勇遂はゆっくり頭を下げた。しかし右手をぎゅうぅと握りしめている。


「泣女はいつ死んでもおかしくありません……人もまた同じなのです。そう、考えた方が良いかと思います——」


「……母さんは、違う」


 落ち着かせようと、優しく語りかける芳江の横で勇遂は頭を上げないままそう言った。そして、握りしめていた右手を解き、両手を合わせ額の前で合わせる。



「母さんが死んだのは——おれのせいだ」

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