降雨の神事


 休日の昼。外にサァーとした穏やかな雨が降り注ぐ中、安西家の屋敷玄関にて黒パーカーの上にブラウンワンピースを着た澪と、小柄な細目の老婆、芳江よしえが紫の着物を着て並び、頭を下げている。


 それを出迎えるのは、後頭部に右手をまわし、ペコペコ挨拶をする安西雅彦である。



「しばらくお世話になります、雅彦おじさん」


「やぁ、澪ちゃんいらっしゃーい。雨の中大変だったっしょー?」


「雅彦様、今年の神事も……よろしくお願い申し上げます……」


「おー芳江よしえさんご丁寧にどーもどーも、こちらこそよろしくお願いしますね」


 毎年恒例の泣沢女神ナキサワメに感謝する神事を前に、とてもご丁寧な挨拶が交わされる。


「親父ーッ! おれのズボンとシャツ知らねー?」


 そのご丁寧をぶち壊す声が奥からする。嫌な予感がすると雅彦がゆっくり振り返るが、それは的中した。黒いボクサーパンツだけを履いた勇遂が脱衣室から出て、雅彦を探していたのだ。


「あ? 芳江の婆さんも澪も来んの早ぇーな、どうも」


「勇遂ーッ⁉︎ なんつう格好して歩き回ってんだァーッ!」


「うるせぇよ。家でどんな格好しようが、おれの自由だろ。いいよ、洗濯物漁ってくっから」


 全く恥じらいも無く、勇遂は障子を開けて奥の居間へと抜けていく。雅彦は慌てて玄関に視界を戻すと、赤面して目線を逸らす澪とふふんと眺める芳江がいた。


「す、すみません芳江さん、嫁が死んでからというもの、男ばっかの家なものですから、いっつもああで。とんだバカ息子でお恥ずかしいです……」


「安西家は百姓の血筋で男児が多い家系でございますから、これでいいんですよぉ、雅彦様。まぁまぁ、勇遂様もどんどん男前になって、ねぇ、澪様?」


「へぇッ⁉︎ そ、そそ……ッそう、だね……」


 澪は話を振られるが焦りを隠せない。目が泳ぎ、声が震えている。年頃の女の子には刺激が強く、下手したらセクハラである。雅彦は申し訳無さが止まらず、深々と頭を何度も下げた。


「本ッッッ当に、ごめんね澪ちゃん!」


「い、いいんです……ッあれでこそ勇くん、だし……」


「ちょーッと、ここで待ってて下さいね! 服着たかだけ、確認してきますからぁ!」


 雅彦は顔を真っ青にしながら、勇遂ぉぉッと声を荒げながらバカ息子を探しに向かう。残された二人はポツンと玄関に待機中だ。


「澪様さえ良ければ、勇遂様との許嫁のお話を雅彦様と進めますのに……」


「ま、またその話ぃッ……だ、ダメだよッ……お互いに好き……じゃないとッ」


「あらあら。先代泣女の水絵様と安西家の嫡男ちゃくなんであった雅彦様は、許嫁を経てよき夫婦めおとになりましたのですよ……」


「で、でも……安西家じゃない人と結婚した歴代泣女様もいるし……ッそもそも勇くんが嫌がりそうだし……ッ今時、許嫁って古いし……ッ」


 アタフタと許嫁の話を濁そうとしている澪を見た芳江は、俯き残念そうな表情をした。あくまでも本人の意思を尊重するのだろう。


「……泣女に尽くして下さる男性は、勇遂様くらいだと、わたくしは思いますが……」


「……勇くんに迷惑、かけたくないの……」


 芳江は、澪の切ない顔を横目で見る。自分のせいで勇遂はいじめっ子に見られていて、死なせない為に泣く事に人一倍気を使っている。故に、これ以上負担をかけさせたくない。それに春日の事がある、彼女の心境は複雑なのだ。



「ひゃー、お待たせしました! お上がり下さい、居間までどうぞ!」



 そこに雅彦の声が上がり、二人は靴を脱いで玄関を上がる。奥の居間を一足先に歩く澪を芳江は静かに見守る。気を抜けば死んでしまう泣女の宿命をよく知る彼女としては、勇遂と澪をより親密な関係に導きたいのだ。


「澪様……」


 芳江は澪の気持ちを汲みつつ、着物特有のゆっくり歩きで何かを考えていた。年に一度の神事に向け、安西家内での準備が始まる。

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