竹中耕太と春日礼美
「おはよー、澪ちゃん」
まもなく生徒が集結し、本日も勉学に励むべしと授業が始まる朝の時間。きっとあなたも涙が止まらない——という宣伝文句が書かれた帯付きの小説を読んでいた澪は、呼ばれて顔を左に向ける。
「あ……おはよう、礼美ちゃん」
「おはよー。あ、それ最近ネットで話題の小説だよね! ねぇねぇ、面白い⁉︎」
澪に話しかけながら笑顔を向けるのは、ピョンとハネた毛先の髪が可愛らしいレイヤーミディの女子生徒。彼女は、澪の親友である
「うーん……まだ最初しか読んでないから分からないけど、期待は、できそう……」
「ほんとー⁉︎ 読み終わったら貸して貸して〜」
仲睦まじい女友達という空気感が漂う。澪は内気な性格の故に自分から話しかける苦手意識が強い。しかし、普段勇遂から受ける扱いも相まって同情的に接してくるクラスメイトは多いが、その中でも元気いっぱいの春日は、学校付き合いも長く澪を明るく引っ張る女子生徒だ。
「あ、澪ちゃん澪ちゃん。今日は久々に放課後カラオケ行こーよ!」
「カ、カラオケ……? 今日の放課後かぁ……」
「私が歌うの聴いてくれるだけで、いーからさぁ!」
「うぅん……でも、私……」
「安西君と、約束とか……あるの?」
急に春日の声のトーンが変わる。しかしそれはどこか切なさを感じる一言で、表情も作り笑いを隠せていない。察した澪は、慌てて両手を振った。
「あっ、いや……勇くんと約束なんてしてないよ!」
「でも……昨日、安西君すごい怒ってた……約束破られた様な口ぶりだったし……」
「れ、礼美ちゃ……私と勇くんはいっつもあんな感じだもん、だから気にしないで! 今日カラオケ行こ行こ!」
「……そっか。じゃあ放課後カラオケね!」
予定が決まると、礼美は再び笑顔をパッと見せて自分の席に戻っていった。残された澪は小説に栞を挟み、スマホを開いてメッセージアプリを開いた。そして礼美とのトーク画面で文字をフリック入力する。
【礼美ちゃん 昔から言ってるけど、私と勇くんはなんでもないの。だから、遠慮しないでね】
そこまで打ち込み、澪は送信しようとした。しかし言い足りないのか、追加でメッセージを入力する。
【私は、礼美ちゃんの事応援してるよ。きっと勇くんに好きって想い伝わるから。だって勇くんは、女の子に優しいんだもん】
「……」
澪は追加入力して指が固まり、画面を見つめる。彼女は知っている。春日がずっと前から勇遂に恋心を抱いている事を。親友として背中を押してあげたいと願いながらも、なかなか送信ボタンに手が伸びない。
「……」
無言のまま、澪は入力したメッセージを全て選択するとパパッと消去してしまった。そしてスマホを机の中に押し込んだ。
「高城さん、おはよう」
そこに登校した竹中が、驚かせない様に優しく澪に話しかけた。澪は慌てて振り返る。
「おはよう……竹中くん」
「……高城さん、あれから安西に何かされてない? 元気ないよ?」
澪を普段からよく見ている竹中は、察しが良かった。澪は明らかに落ち込んだ顔をしていた。あいさつも心配になるほど活気がない。
「……私は大丈夫だよ、竹中くん」
「……小学校から一緒のよしみだし、辛い事は気軽に相談してくれ。……今時、いじめを我慢する必要なんてないんだ。高城さんには、たくさん味方がいるから」
「うん。……いつもありがとう、気にかけてくれて」
澪が瞳で感謝を示すと竹中は表情にときめき、視線を逸らす。か弱き女子の姿は思春期男子の頼ってきて欲しい思いを一層強める。
「……大丈夫そうなら、良かった」
竹中はバッと背を向けて、自分の席を目指していく。残された澪はそんな彼の優しさを履き違えながら顔を俯かせ、左胸に手を当てて隣の席をチラッと見た。
「……今日も、遅刻するのかな……勇くん」
彼女は勇遂の事を考える。彼は、澪の泣女の事情を知る唯一の存在だ。普段から威圧的に接してくるのも、死なせない為に必死に泣かせようとする故で、極力彼が涙を流した事を把握する為に、周りに嫌われてまで行動している事もよく分かっている。
「……」
澪は、心臓が絞られるように心がキュッとした。あまりにも彼の存在が大き過ぎて、不幸になって欲しくない思いを込めて目を食いしばる。次第に澪の目がうるみ、バッと机に突っ伏した。
(……もっと一人で泣けれたら、楽なのに……)
澪は涙と共に、小さな声を制服の袖に染み込ませる。外は梅雨で重苦しい雨が降り注ぎ、その教室にいる若者達の心を押し潰す。雨で潤わない思いが、晴れない天気に溶けていく。
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