第7話
「結樹様、もうお下げしてよろしいのですか?」
「はい、せっかく用意してもらったのにすいません……」
彼と昼食を共にした時も気持ちがいっぱいいっぱいで、全然食欲がわかなかったのに、夕食もろくに手を付ける事が出来なかった。
理由は当然の事だけれど、まさか夕食までそれが響くとは思わなかったな……。
山之内さんが言った事はきっと真実なのだろう。
でもあの場で出して良い話なのだろうか。
しかし一緒に立ち会った人達がそれを止めなかったと言う事は、僕の耳に入れておくべき事実と言う事なのか。
もしかすると山之内さんは、その汚れ役を引き受けたのかもしれない。
つまりあれは僕に対する戒めなのだろう。
あなたはこの国から出る事は出来ない。
アルファと番うしか生きる道はない。
たとえそれが僕の意志に反した行為でも、無理にでも従ってもらう。
きっとそう言う事なんだろうな。
僕の気持ちを尊重するって言ったくせに……。
でもそれを突き付けられても、まだ了承する事は出来ないし、食欲がわくはずがなかった。
「結樹様、デザートでございます。せめてこれだけでもお召し上がり下さい」
そう出されたものは、季節のフルーツを使ったタルトと紅茶だった。
「結樹様、差し出がましい事を申し上げますが、どうぞお許しください」
いつも必要最低限の話しかしない田口さんが、珍しいな。
「この度の件は、結樹様にとってお辛い事と察します。しかし人類には、未だ貧しく、貧困にあえぎ、満足な食事にも有りつけず、そのために死んでいく人達も多くいるのです」
だから?
だから例え自分の思い通りにならなくても、贅沢な暮らしが出来るなら我慢をすべきだと言いたいのか?
「だから、こんな世界だからこそ、優れた指導者が必要なのです」
思っていた事と違う言葉を耳にし、僕は一瞬動きを止める。
「誰もが等しく幸せな世界を……とは申しません。ですが少しでもそれに近づくため、正しい心を持つ優れた指導者が一人でも多く必要なのです。したがって私も、結樹様が結婚し子を成していただきたいと思っています。それはきっと結樹様のお心を無視した私の独りよがりでしょう。あなたはそれを卑しいとお思いになるかもしれない。しかしその反面、私は結樹様に不幸になってほしくは無いと切に望んでいるのです。矛盾しているとお思いでしょうね。今、結樹様は不幸の真っ只中にいるとお思いかもしれませんが、いまにきっと幸せだと思うようになります。ですので運命を信じ、真っ直ぐに歩んで行って下さい」
そして深く礼を取った後、田口さんはにっこりと笑う。
「今更ですが、これは誰の物でもない、結樹様の人生なのです。その事をお忘れなく、どうかお幸せに」
僕はデザートと共に提供された紅茶だけを持ち、窓辺に移動する。
そこには僕のお気に入りの、小さなテーブルとイスだけの簡易セットが有った。
そこに腰を下ろし、沈みかけた夕日を眺める。
”この世界には貧しい人が、まだ沢山いる。
その人達を救うために優れた指導者が必要だ”
あぁ、確かにそれは真理かもしれない。
だから僕は結婚し、指導者に足る子孫を残さねばならない。
それは僕に提供された贅沢……、いや、僕がオメガとして目覚めた事に対しての意義なのだろう。
確かに数少ないバースは、この世界を救うために現れたのかもしれない。
世界を救うために、地球が生み出した生物。
それが正解なのかもしれないな。
そのために自我を殺してでも、その願いに答えなければならないのだろう。
でも、本当にそうなのだろうか…。
バースに目覚めるまでは、普通の人間として生きていた僕。
もしかするとあの時目覚めず、そのまま普通の人間として一生を終えたかもしれないだろう?
それを考えると、もしかすると全ての人間もバース性を持っているかもしれない、そう考えるのはおかしな事だろうか?
人間がバース性を持つも、切っ掛けが無く、そのまま能力が芽吹かず終わる可能性が有るんじゃないのか?
まあそれも、僕の単なる妄想だろうけれど。
だって僕が思う前に、それに気づいた人などいくらでもいるだろうし、そうなればその研究も進んでいたはずだ。
そして研究が進んでいたなら、きっとこの世界は別の物に変わっていただろうから。
ふと外に目を向けると、赤く染まり掛けた太陽の端に、黒い点が見て取れた。
「何だろう…カラス?」
だが最初は小さな黒い点に見えたそれは、次第に大きくなってゆき、こちらに向かってくるようだ。
そしてスピーカーからけたたましく流れる警報音。
続いて田口さんの声が聞こえた。
「結樹様、所属不明の飛行物体がこちらに向かってきます。現在計器の故障なのか、あらゆる電気回路が遮断されており、結樹様の元に向かう事が出来ません。この建物が強固に建てられており、何ら手出しが出来ないと思いますが、念のため窓には近づかないようお願いします」
「わっ、分かりました」
そう答えたものの、あれから目が離せない。
嫌な気も感じなければ敵意も伝わってこない。
「結樹様……お気をつけて…」
田口さんは最後にそう言うと、スイッチを切る。
どうやら下では大変な事態が起きているようだけど、何故か僕は安堵していた。
現
ガラスに額を付け、近づくそれを心待ちにするように、じっと見つめている。
やがてそれは徐々に輪郭を現にし、はっきりとした姿を目にした。
最初はヘリコプターかと思っていたが、どうやらそれは小型のジェット機のようだ。
それが、このビルの上空で停止している……。
「ホバリングしている?飛行機でもできるんだ……」
僕はこんな芸当が出来るのは、ヘリコプターだけだと思っていた。
すごいなぁ………。
でも驚く事はそれだけでは無かった。
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