第124話 ツギハギ姫の縁談
アルゼは、一瞬、このまま死んでしまいたいと願った。
状況は混乱、などどいうものではない。
彼女に『魔王の因子』を与えた『世界の声』が真名を隠した神たということは、理解していた。
もともと、魔力強化のための様々な施術を施されたアルゼの身体は、もう限界だったのだ。
いちかばちか。
延命をかけて、アルゼは、神の誘惑に乗った。
ヨークの町と、そこに住む人々を捨てて、黙って死への道を歩むことは、どうしても出来なかったのだ。
もし、魔王として覚醒がかなったのならば、自分は銀灰とヨークのために尽くそう。
アルゼは、そう決めていた。
くだらない魔力偏重や、国内の派閥を争わせて均衡を保つだけの、保身の治世は行わない。
新しい銀灰は、ヨークの街から世界に向かって開けていくのだ。
諸侯連合とのいがみ合いも改善出来る。
実際に、彼女は交易を通じて、諸侯連合の重鎮たちとも会う機会があった。
“あの男さえなんとかなれば、当方もあなた方と公式に休戦する用意があります。
なにしろヨークがある限り、旧街道地域を無理やり制圧している意味はないのですから。
あの一帯を返却すれば、表立って銀灰と戦う理由はなくなりますからな。”
誰です? あの男とは。
と、その時、アルゼはたずねたのだった。
“我々、諸侯連合きっての武闘派ですよ。名前はお聞きになったことがあるかもしれません。男爵『血まみれ』ゴーハン。”
蘇生させられて、まだ1時間も経っていない。
アクローネルは、医師としてはまあまあ良心的で、アルゼの身体の状態を滞りなくチェックしたのだ。
そのあと、大急ぎでドレスに着替えさせられ、宮殿の一室に連れてこられた。
途中、あのアキルという少女、銀雷の魔女、オルガが、なにやらこそこそとアルゼを見ながら耳打ちしていたのは、察していた。
そして、連れてこられたのは、殺風景な宮殿にしては、まあまあマシには飾り付けられたこの部屋。
恐らくは、海外の使節との内輪の会合につかう秘密めいた、ただ居心地は悪くない部屋だった。
「ドロシーのアイディアらしい。」
オルガは、困った顔で、アルゼに言った。
珍しく、闇姫さまは、ほんとうに困っているようだった。
「わたしとしては、そんな無茶なとは思うのだが、たしかにメリットもある。
まあ、あとは、おまえの気持ち次第、というところで。」
「なにをすればよいのですか、オルガさま。」
「結婚して欲しい。まあ、準備もあるからとりあえずは婚約、だな。」
「誰と、です? ツギハギ姫をめとりたいという酔狂ものがいますか?」
「ロクに鏡を見ている暇もなかったな。」
オルガは、このときばかりは声をたてて、笑った。
「ミルドエッジもあの状態で、おまえを放置するつもりはなかっただろう。だが、おまえがヨークに放逐されてしまったために、追加の処置を行う余裕がなかった。
アクローネルは、そこらは完璧だ。やつの言葉を借りれば“わたし、失敗しないので”というところだろうか。」
オルガは、部屋の隅にあった姿見を指さした。
鏡の中の女性は、アゼルの目から見て、まあ、悪くはなかった。
顔にも、服から露出している部分にも傷はなく、豊かな黒髪が頭部を覆っている。
ただ、瞳の色は、銀灰には定番の黒ではなく、片方が藍色、片方が金褐色だった。
胸はもう少しあってもいいかな。
と、アルゼは思った。
あとは、えくぼは邪魔だな。なんとなく、子供っぽく見える。
いや、違う。むしろ小悪魔的に異性を誘っているように見えるのだ。
「ツギハギ姫」のころ、自分が嫌った女の典型にいまの自分がなっている、というのは、なんとも皮肉な気分だった。
「わかりました。それがヨークの街、ひいては銀灰皇国のためなら、かまいません。
わたしは誰と結婚すればよいのです。」
それが、国内を安定させるための結婚だということは、わかった。
王侯貴族には、婚姻も政務のうちだった。
どこかの有力な派閥の適当な男性を、婿にとれというのだろう。
これは断じて色恋沙汰ではない。
政務だ。
ただ、皇帝が男性だった場合は、序列はつけるものの、複数の伴侶を得ることは可能ではあったが、女性の場合はそうはいかない。
ヨーク以外には、影響力どころか知名度もないアルゼを補完してくれる「夫」なら正直どの派閥でもよかった。
ただそのほかの派閥を自動的に、敵に回すことになる。
それが、難しい。
「だれだと思う?」
「さあ。誰を夫にしてもそのはかの派閥からの反発は避けられません。かと言って、シャルルでは、もともと後ろ盾がなく、ゼロと一緒ですし。」
「おそらく、銀杯最大の派閥だ。ほかのものが手も足も出なくなるような。」
「そんなところが、ありますか。」
「あるとも!」
オルガが気軽に請け負った。
「『諸侯連合』だ。」
「し、しょ……」
それは、派閥では無い。ほかの「国」だ。
いや、無理やりにこじつけてしまえば
「魔力偏重主義反対派」
と、いうこともできるだろう。
もともとは、銀灰の民であったことは間違いないわけだし。
武力に優れた「諸侯連合」が後ろ盾になれば、国内の派閥など歯牙にもかけない。
それに、アルゼが行おうとしている魔力偏重主義の改革もスムーズに進むだろう。
しかし。
「諸侯連合が認めないでしょう。
とくにあそこには、血まみれゴーハンという反銀灰派の男爵がいて」
「さすがだな、アルゼ。」
珍しくおオルガが褒めた。
「お主もあの男に目をつけていたのか。そう、まさにゴーハンが銀灰と諸侯連合の和平への最大の難関だったのだ。
その男をおまえが婿にとれば、話は一気にすすむ。」
こいつはいったい何者なのだろう。
アゼルはぼんやりと思った。驚きの連続で、精神が半分麻痺していたのだ。
ランゴバルドの「踊り道化師」は全員、人外の化け物でオルガもその一員になってしまったのか。
「そう、心配するな。たしかにいろいろと細かい問題はある。
例えば、この案はおまえを倒したドロシーの発案なのだが、現在、そのドロシーとゴーハンは愛人関係にあるのだ。
だが、そんなことは気にしなくていい。皇室の婚姻なんぞ、政治にすぎないのだから」
語り続けるオルガの顔が、遠くに見えた。
とりあえず、ツギハギ姫はいったんその意識を手放すことしたのだった。
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