第492話 裏切りの銀雷

「そんなことして」

ルトは乾いた唇を舐めた。

「ドロシーにはなんのメリットが。

君だってランゴバルドに婚約者が。」


それはそうなのだ。

ドロシーは、幼なじみの貴族の息子さんと結婚の約束をしている。

そもそも、勘当されて家名をな乗れなくなったことにショックを受けていた彼に、ドロシーんちの家名を名乗っておけば?といったのがはじまりだ。

彼は、冒険者学校の同級生でマシューという。

そもそも冒険者学校自体が、貧民に最低限の教育と職を手につかせる目的の学校だったから、ここに入学させられること自体が、貴族の師弟にはありえないことだった。


ドロシーの生家は、代々、マシューの父親が家督をとる子爵家に仕えていたが、後継者争いのわりをくったかたちで、マシューの面倒をみるために、自分の娘であるドロシーをマシューと同時に冒険者学校にいれたのだ。

もともとドロシーは、魔法関連のもう少し上のクラスに通っていたので、これは大変に苦痛なことではあった。

持ち前の責任感で、マシューの面倒はわたしが見なければということで、マシュー一派の副リーダーを勤めるうちに、こんな形になったようだ。


「あっちはあっちで、遊んでます。だいたい家を勘当させられるほどの、貴族の子弟なんて基本的にロクなもんじゃないのです。

わたしは貴族さまの知り合いは少ないのですが、例えばマシュー。」

ドロシーは、長い指を折った。

「例えばジウル。」

「え? ボルテックの妖怪ジジイがっ!?」

「若いころ‥って今も若いけど、ずいぶんと暴れ回って、公爵家を放逐されてるそうです。

たとえば、フィオリナ。」

「フィオリナが、大公家を?

ありえないことじゃないけど。」

「先ほど、クローディア陛下から伺いました。あれの気がすむようにすればよいとの仰せです。ただし。」


ドロシーはそのときのクローディアの表情を思い出したのか、沈痛な面持ちになった。


「世界の秩序を乱すものとして、再び目の前に、あらわれたなら、討伐する、と。」


「そこまで親父殿に言わせたか。」ルトは唇を噛んだ。「そんなことはさせない。ぼくがフィオリナをこちら側に繋ぎとめる。」

「それはルトの気のすむように。」


ドロシーは、ルトをそっと抱きしめた。華奢な少年が壊れないように、そっと。


「もう一度、聞きますけど、吐き気とか頭痛はないですか?

わたしの体温とか体臭が、我慢できないとか、あったら言ってください。」

「大丈夫だけど」

「よかった。」

「よくないっ!」


キスしようとするドロシーを、ルトはさっきと同じように投げ飛ばそうとしたが、ドロシーは足を絡めて堪えた。うん、ドロシーだって、修練はつんでいるのだ。

二人はもつれ合うようにして、ベッドに倒れ込んだ。


「ち、ちょっと!」

ルトは叫んだ。

「ドロシー自身はなにがメリットになるんだ? こんなことして!」

「ルトくんが好きだから、ではダメですか?」

「ここで、こんな行為をするメリットだよ。」

「あのーーーー〜、したいからする、んです。普通は。」

ドロシーは、この屁理屈小僧を黙らせるために、懸命に知恵を絞った。


「わ、わたしは『踊る道化師』のなかでは、あまりにも弱い存在です。

当たり前の人間で、


魔法も拳法の技もそれほどの才能はありません。

ただ、ルトくんとの繋がりで、パーティに加えてもらってるだけの、あまりにも卑小な存在です。」

「そんなことは」

「実際そうです。ロウさまもギムリウスもこれだけ、わたしに良くしてくれていながら、『試し』を行わないのは、それをすると、わたしが簡単に死んでしまうからです。

つまりは一人前の仲間とは認められていない。」


ルトは、心の中でため息をついた。

年を経た真祖やら神獣と対等な友人と認められることは、それはそれで大変なことなのだ。


「わかった。」

乱暴にならないように、ルトはドロシーの白い体を押し退けた。とはいえ、手のひらのなかに、柔らかいドロシーの感触があった。

「約束する。ぼくは、『踊る道化師』のリーダーとして、きみをずっと側に置く。」


びっくりしたように、ドロシーは目を見開いた。

そう言うんじゃなんだけどなあ。こういうのは、はじめる前の愛の囁き、お互いの気分を高めるためのトークみたいなもんなんだけどなあー。


「それって誓えます?」

「もちろん」


でもそれならそれで。

ドロシーは、脱ぎ捨てたガウンを拾い上げた。ポケットからたたんだ紙を取り出す。


「誓紙です。いま言ってことが記されてます。わたしとルトくんがサインしたら契約成立ってことになります。」


ルトは目を通した。確かに、ドロシーを生涯にわたって側におく、そのパートナーとして苦楽を共にする、とそんな内容だった。


「サインしたら今回は解放してあげます。アウデリアさまとフィオリナさんが気になるんでしょ?」


ルトは、そうだな、と頷いて署名した。


じゃあ、また。

ええ、また。


ルトは窓から飛び出して行った。風を使った飛翔魔法であっという間に見えなくなる。


さて。

ドロシーは誓約書に、自分の名前を書き入れる。


たしかにこれは単なる誓約書でしかない。

なにより、決定的な一言がないのだ。

いちおう、経済的な困難や体調の悪化で、パートナーシップは解消できない旨の一文はあるが。


これをミトラにあるランゴバルドの領事館に提出すると。

内容からしてそれは、立派な「婚姻届」として認められるのだ。




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