第395話 少年と吸血鬼は彷徨う


「やみくもに飛び回ってもミトラは広すぎる。」


ルトを抱いて飛翔したロウに、ルトがそう呼びかけたのは、夜明けも近くなってからだ。

別に朝日を浴びても霧散するような身体は、持っていないロウ=リンドであるものの、やはり飛んでいるところはあまり見られないほうが、いい。


翼をたたんで、降りたのは駅近くの繁華街の路地裏だった。

酔っ払いが数人、路上で寝込んでいるだけの平和な路地裏。


そのうちの一人がふいに起き上がると、なにやら叫んで、二人に掴みかかってきた。

皮膚の糜爛や溶け崩れた鼻から、悪質の麻薬患者だったのだろう。

ロウの一撃で軽々と吹っ飛び、壁に頭を打ち付けてた。

頭部の半ばを粉砕された『生ける屍』は、もう起き上がって来なかった。


ロウは沈痛な顔で、ルトを眺めた。

普段の彼ならば、こんな相手でも命を奪おうとはしない。

下手をすれば、無力化するだけにとどまらず、治療を試みるだろう。

つまり、じっと俯いて、ぶつぶつとつぶやくこの少年は、ほんとうに調子が悪いのだ。


何が決断させたのか未だ分からないが、意を結したプロポーズをフィオリナに、一蹴されたのが、効いているのだ。

ロウは。


あの異世界の少女の考えに近い。

ルトにはフィオリナが。

フィオリナにはルトが。


それぞれ必要なのだろうし、幸いにも彼らは異性同士のカップルだ。

一緒にいる時間を長くしてやるには、「夫婦」という体裁をとるのが、ベストなのだろう。

だが、まだは早い。


長き年月を生き抜いた吸血鬼であるロウは、多少は星をよむことが出来る。

ある程度あの運命とかいうやっかいな伴走者の意向を読み取ることができるのだが、ルトとフィオリナの婚姻については、ゼロだった。

わるいとかよいとか、ではなくまったくの虚無が広がっていたのだ。


つまり、運命は。

二人をどう遇するか、まったく決めていない、ということなのだろう。

ならば、運命の顔をたてて、もう何年か待ってもいいのではないか。


リウやアモンは、古竜を群れの単位で投入して、その祝福という形で強引に運命の方を従わせようとしているが、ロウはもう少し時間をかけてもよいと思うのだ。


そして何より、いまのルトには休息が必要だった。

このまま、フィオリナと合わせてもロクなことにはならない。


「リウやアモンさんが戻ってくるまでに、なんとかしないと。」

そう呟いて、さっさと歩き出すルトを、ロウは背後から抱きしめた。


「なあ、少年。結婚してしまうなら、その前にわたしの身体を味わってみない?

普通の人間の交わりでよい。」

「‥‥なんでここで。」

「おまえが、とても疲れていて、とても落ち込んでいるのがわかるからだ。

人間型の生き物は早くから、知性を獲得してしまうので、とても脆くて疲れやすい。

ルトにいま、必要なのは休息と慰安だろ。」


ルトは黙って、ロウの腕の中からするりと抜けた。


「フィオリナを探すのを手伝ってくれる気がないなら、ここからは別行動にします。」


そう来るか。

ロウは、自分の美貌には自信があったので、あっさり袖にされたのはショックだったが、逆にあることにも気がついた。

彼女は、アキルやフィオリナや、いや今回の顛末を知る全員が、そのように思っていること、

つまり、ルトが、ドロシーと関係をもち、その行為がうまく行ったことで吹っ切れて、フィオリナと結婚しようとしたのだと、考えていた。

だが、どうも違う。


もし、女性とそういった行為が出来る身体なら、ロウの誘惑についてそこまで無関心でいられるわけがないのだ。


いったい、ドロシーとの間になにがあったのだ。


「わかったわかった。一緒に心当たりの場所を探そう。」

ロウは、軽く飛び上がって、ルトの前に着地した。

「まずはどこへ行く?」


ルトの目つきは完全にロウを疑っていた。


「逆にどこから行ったらいいと思います?」


答えを間違ったら、ここでルトはロウを切り捨てるだろう。

緊張してロウは答えた。


「そうだな。まずはクローディアのところだな。アウデリアが一緒なのは気になるがまずは親のところに行こうとする可能性は高いだろう。」

「妥当です。」

そう言ってルトは歩き出した。


こいつらを世の中に放っておくのは危なすぎる。

と、ロウは思った。

どこかの迷宮にでも隔離して1000年ばかり、頭を冷やさせたらどうだろう。



クローディア夫妻が泊まるアライアス侯爵の別邸までは、馬車を使った。

美貌の女性と少年が、二人で歩くには、距離があったし、ミトラは治安が悪すぎた。


「お二人ともお出かけになっています。」

屋敷付きの使用人は、ルトの素性も知れているのだろう。物腰は丁寧だった。


「フィオリナ姫はこちらにお戻りではないのですか?」

ルトは尋ねた。


「はい。夜中に一度戻られて。

朝食を済ませてから外出されました。」

「陛下ご夫妻とご一緒に?」

「いえ、クローディア大公と奥方さまは夜明け前に出られたので別行動です。

行き先は聞いておりません。」


ありがとう、と言ってルトは、背を向けた。


「あやつらは嘘はついておらん。」

背を追いかけるように、ロウは小走りしながら言った。


「それはわかります。次はどこに行ったらいいと思いますか、ロウ?」


冷静な口調だったが、それだけに実に彼らしくなかった。

ロウ=リンドは、プロポーズを受けたフィオリナが取り乱して、ルトの元から逃げたのかを正しくは理解した。

要するにルトの様子が、彼らしくなかったからなのだ。

ルトの力はルトの人格によって抑えてられている。その彼が彼でなくなってしまったら。


「フィオリナの行き先だな、うん、わたしだったらこう考える。ドロシーに昨晩なにがあったのか問い詰める。」

「妥当ですね。アライアス侯爵の屋敷に行ってみましょう。」

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