第352話 宴もたけなわではございますが
アライアス侯爵は、日陰にベンチを作ってもらいしばし、休息をとっていた。
ギウリークの魔王宮への独占権の崩壊、竜人部隊の敗走、それがたんなる余興にしかみえないクローディア大公の仲間たちの実力。
そのあとで、アライアスは、ランゴバルドのルールス前学長から、学長戦の不正選挙の件、そのあとに彼女の命を狙って殺し屋が送りこまれた件、とことん詰められたのだ。
言い逃れもきかない。ギウリークの息のかかった冒険者ギルド「神竜の息吹」は、現在は、実質「踊る道化師」の支配下にあり、証言も証拠もいくらでも出てくる。
もはや、賠償をどうするかと、どこらへんを「責任者」として処罰するがというだけの問題であり、果たしてザフィルド伯爵ひとりの首ですめば儲けもの、と言える。
いっそ、物理的な意味で首をとるか、とアライアスが物騒なほうへ思考が行きかけた時に、ガルフィート伯爵がやってきた。もともと伊達男として、ご婦人方に人気のある伯爵は、この数十分で数十年ぶん歳をとってようだった。
げっそりとした顔で言う。
「楽団に音楽でも演奏させようとしたのだが、まったく言うことをきかんのです。」
困り果てたようにガルフィート伯爵は言った。
「たしか、楽団の手配はアライアス殿にお願いしたかと。」
アライアスは、団扇で風を送っているメイド頭兼警備長に視線をなげかけた。
「どうなっている?」
「青白き妖精楽団です。こんな人気の楽団がこの短時間でつかまるなんて、信じられません。」
いつもはむっつりと押し黙っていることが多い警備長は、頬を上気させてそう答えた。
「どんなダンスにでも即興で曲を合わせてしまう人気の楽団です。団長のアラフェウスのかっこいいいことと言ったら!」
おまえまさか、自分がファンの楽団を強引にリクエストしやがったな!
ふたりの上級貴族の視線に、気がついた警備長は、少しもじもじしながら、
でも、腕はほんとにいいんです。どんなダンスにも即興であわせてくれるんですよ!
と言った。
「つまり、誰かが踊り出さないと」
「絶対に演奏をいたしません。」
じゃあダメだろうが。
と、突っ込む気力もふたりにはなかった。
頼みの綱は。
視線の先て、ラウレスが料理を配り始めていた。
集まった招待客たちの目の前のテーブルに突然、皿が現れた。
続いて、絶妙に火を通したステーキと、付け合せの根菜類が皿の上に出現し、最後に何も無い中空からブラウンのソースがかけられた。
美食に慣れた客たちから、驚きの声がもれる。
おそらく栄養や実際の旨さ、と言った部分を超えて、稀少性そこが食通たちのポイントなのだ。
ならば、盛り付けにいちいち転移魔法を使うなどという無駄こそ、まさに美食にの極値。
「お聞きになりましたか?」
ひとりの伯爵夫人が、となりの者に耳打ちした。
「お料理を作っているのは、つい先日まで竜人を指揮していたあのラウレス閣下らしいのですわ。」
見えないナイフが、目の前のステーキを1口大にカットした。
溢れる肉汁がソースと混じった芳香は、列席者たちの食欲をいやが上にもかきたてる。
「どうぞ、お召し上がりください。」
料理人が微笑んだときには、各自は肉にかぶりついていた。
お客の数は皿の数よりも多かったので、ラウレスが
「おかわりもありますよ。」
と声をかけなければ、かなり場内は険悪なものになったかもしれない。
ラウレスは、人々の記憶にあるものとはまったく違いっていた。
いや顔立ちは、いまの彼のほうが若いのだが、それ以前に物腰や物言い、すべてが以前と違っていたのだ。
とにかく、若く美しい女性に節操のない、常にいらいらと周りを脅かしていたかつての古竜の姿はどこにもなかった。
「なにかの修行でもつんだのか。あるいはなにかの神に帰依した結果なのか。」
かつての彼を知るものはそう思ったが、あえて口には出さなかった。
ラウレスは、昔の仲間たち‥‥会場警護のためにわざわざ竜王のもとから呼び寄せられた「竜王の牙」の面々にも、皿を差し出した。
恐る恐る。竜王の牙たちはそれを口にした。
竜は通常、料理などしない。人化した状態で暮らすものも多いが、いわゆる日常的な「家事」には人間の召使いをやとっているものがほとんどだ。
人間の料理が好きというものは、それなりに多かったが自分で調理したのは、おそらく歴史上、ラウレスが初めてだったろう。
若い女性の姿をとる古竜「妖滅竜」クサナギは、ゆっくりと肉片を口に入れた。
美味い!
体を痺れるかのような快感が走った。
外はこんがりと焼けた肉は、内側はジューシーで柔らかく、噛み締める間もなく胃の中に落ちていった。
無意識に次の肉を放り込む。
味わおうとするのだが、胃が、食道が、早くそれを通せと催促する。自分の食欲に促されるままに、ふた皿めに手を伸ばしたその手が、鱗に覆われているのに気がついて、クサナギはギョッとした。
怒りにまかせて、人とも竜ともつかぬ化け物に変化してしまうことはこれまでもあった。
でも、あんまり美味しいからっ変身してしまうなんてっ!
クサナギは人化は確かに苦手な方ではあった。
苦労して組み上げた人化の術式は、自分をどろどろに溶かして、ヒトという鋳型に嵌め込むようなもので、かなりの苦痛を伴う。
しかも、なにかの拍子に術が解けると、人間でも竜でもない異形に変化してしまうことがしばしばあった。
しかし!
よりにもよってこんな時に!
異形の体は胃の腑やそれにつながる食道をもたない。味覚も感じない。つまり、クサナギはもうこの魅惑的な料理を堪能できないわけであり、しかも苦しい。
この異形を解くためには一度も竜に戻らねばならないのだが、これだけ人が集まったところで竜になることができないくらい、個々の命の重さなど綿毛にしか感じていない彼女にもわかるのだ。
その彼女の背を、柔らかい人間の手がポンと叩いた。
ケクッと音を立てて吐き出された液体は、虹の七色をしていた。
変化した両の手からうろこが消えていく。鉤爪も縮みもとの桜色の爪に戻った。
「あ、ありが、と」
見上げたクサナギの目の前に、さっきの少年がいた。
あきれたようにクサナギを見ている。
「な、なによっ! 助けてくれなんて頼んでないんだからねっ。」
少年も顔が近いた。まさか!
クサナギの心臓が音を立てた。キス? いやまって? 確かにこいつはカワイイ顔してるけど。
いや、少年はあたまを下げただけだった。
一瞬前まで、彼の頭があってところを凄まじい勢いの蹴りが、駆け抜けていった。
「我が君は、なにをフラグをたてているっ!」
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