第323話 灰明宮の妖怪たち
ヘルムド=ラセル三世は、思う。
銀灰皇国は、当たり前の国にある当たり前のものに欠けている。
それは、人が耕したり家を立てたりするのに、ふさわしい平らな土地だったり。
人が人の命を奪うことへの忌避感だったり。
そんな足りないものが、ヒトを歪にし、その歪の果てが、“闇姫”オルガだったりするのでは無いかと。
そう思う。
だが彼はそれを忌まわしいとは、思わない。
所詮は有限の命しか持たない人の生である。置かれた土地で、その環境で育つしかないのだ。
むしろ。
目の前で、先程から長広舌を並べ立てている男のほうがよほどタチが悪い。
彼のもっとも信頼する(とされる)皇太子は、彼が退位後にすむことになる離宮の説明をやっと終えて、膨大な資料の山を、後方の秘書官に渡した。
「正直に申し上げれば、今すぐ移り住んでいただきたいくらいです。」
三世の無言の視線を浴びて、皇太子はあわてて付け加えた。
「いえいえ、引退を早めた方が、という意味ではございません。
政務をとっていただくのにも、充分な広さがある、と。それだけのことです。」
「良い仕事をしたようだ。」
三世の言葉に、皇太子の顔にほっと安堵の色が浮かんだ。
「もうひとつの仕事はどうなっておる?」
皇太子は、僅かに、眉をひそめた。
「父上自らが“悪夢”を放ったとのお噂は」
「真のことだ。」
「そのように心配なさらずとも、闇姫はもはや無力です。陛下に害を及ぼす心配は万に1つも。」
「現に、おまえの放った刺客は返り討ちにあったぞ。」
皇太子は舌打ちした。
こういうところがダメなのだ、おまえは。
三世は、心の中で言った。
おまえは怒りや苛立ちをまわりに出しすぎる。そういうものこそ、抑えなければならぬ。
皇帝の怒りは、向けられた相手の死を意味するものでなければならぬ。
おまえの感情はあまりにも軽い。
だが、三世はおだやかに微笑んだだけだった。
「そのような、者に心当たりはありません、陛下。」
皇太子は言い放った。
「仮に闇姫の犠牲者の遺体がまた、見つかったのならば手厚く埋葬いたじしょう。
ですがそれは、わたしとはなにも関係がない。もしそれが、ほんとうに闇姫を打とうとしたのならば、おそらくは、イーブ公爵の」
「妙な噂話はやめにしてもらおうか、皇太子殿下。」
イーブ公爵カガツキは、ブーツで謁見室の床を踏みつけた。
床材が割れて、部屋がぐらりと揺れた。
「わたしは、陛下とのお約束を忠実に守っている。闇姫はそのまま、泳がせて本人の意思での帰還と、釈明を待っている。」
「泳がせている?」
第一皇女フレイは、扇子で口元を隠しながら嘲笑った。
「語るに落ちるか、公爵。それはつまり、陛下のお言い付けを守らずに、
闇姫に監視をつけていると公言したに等しいのだぞ!」
「御三方ともに、お控えください。皇族同士でいがみあっておられるのも臣下にとっては目のやり場に困るというもの。」
中央軍の中枢であるズールー元帥の言葉に一同は押し黙った。
ズールー元帥は、三世に、向き直るとうやうやしく、しかし、全く敬意の感じられない声で言った。
「陛下が自ら“悪夢”を放たれたといえことは、これ以上オルガを放置する必要はなくなったと、そう思ってよろしいのでしょうか?」
「わたしがオルガを捉えてその心臓をこの場に持ってくる。」
三世は無表情に言った。
「それまでは、手出しは無用だ。」
「かしこまりました。」
うやうやしく、元帥は一礼した。
「ですが、少々の手助けはさせてくださいませ。“熾火”の選りすぐりは、すでにランゴバルドに待機しております。」
「元帥っ・・・」
「出すぎた真似をっ!」
「御三方の暗部の活動も確認しております。」
元帥は、ゆったりと笑った。
少なくとも若き皇族たちよりは、経験も実力もうえ、なのだ。
それが、はっきりと、わかる場面だった。
「ランゴバルドに、待機させた“ 熾火”からの、報告では、オールべでエステル伯爵とその娘、さらには鉄道公社の局長が暗殺された様子。」
ゆったりとした、口調で、元帥は続けた。
「そこに、居合わせたクローディア大公の一行のなかに、黒目黒髪の女性が確認されておりますな。
異世界人のアキル、と名乗っているようですが。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます