第286話 黒竜急襲
まともに定職を持って街中で暮らす人間にとって、竜を見る機会というものは、そうそうあるものではない。竜そのものの個体数が、多くはないのに加えさらに、その中でも一握り、「古竜」と呼ばれる知性を獲得した竜は、人と暮らす時には人の姿を取ることを好む。
自分の住む街の頭上に、古竜が飛来し、街に向かって攻撃を宣言することなど、上古以前ならばいざ知らず、現代であってはいいものではなかった。
それでも西域「八強国」の首都ならなんらかの構えはあったかもしれない。
例えば、ランゴバルドは停滞フィールドと、半ば自動化された射出武器を持って、上空からの侵略にも一定の防御を備えている。
オーベルには、何もなかった。
おりしも、鉄道公社の保安部が、乗り込んできて、軍事も行政も半ば掌握しつつあるこのタイミングだった。
何もできず。
何もできずに、人々はそらを見上げた。
見間違いではないかと、何度も目を擦ってみても、黒い竜は、オーベルの上空にいた。
「ラウレスだな。あれは。」
アウデリアとジウル・ボルテックも戦いの手を休めて、上空を見上げた。
「対抗戦にも引っ張り出されていたな。」
ジウルが言った。
「確か、グランダに聖竜師団を送ってきた時に、輸送役としてついてきてた竜だが、何を考えてこんな真似をしている?」
拳法家の真似事をしているジウルだったが、もともと魔道院で「妖怪」と呼ばれた大魔導師だ。竜を空から引き摺り下ろす方法などは十種類ばかり思いついたし、即座に実行もできる。
「ランゴバルド冒険者学校の関係者として、対抗戦に出ていたな。何を考えてる?」
アウデリアも首を傾げていた。
「誰かに無理やりやらされているのか?」
それは限りなく真実に近かった。
鉄道保安部は、すでにこのとき、小国の正規軍なみの人数、練度、装備を持っていた。
ただし、オーベルに派遣された部隊は少なくとも対竜兵器は備えていなかった。
オーベルのもともとの軍、それは街中の警備も一緒に行う治安部隊に毛が生えた程度のももであったが、すでに暫定伯の名でその業務を、鉄道保安部に移管されるよう指示が出ていた。己の職務でもないことに命をかけるものはひとりもいなかった。
そして、冒険者たちもまた。
彼らは、街に新しい支配者、新しい秩序がもたらされるのなら、それに従おうと決めただけだった。
新しい支配者は、クローディア大公の拘束または命を奪うことを要求したが、ラウレスの、古竜の言によれば、ギウリークはそのことに同意をしていない。
かくして、鋭意クローディアを捜索中だった冒険者は、急に腹痛を起こしたり、やかんを日にかけたまま外出したことに気が付いたりして、早々に依頼の活動を休止した。
オールべの裏社会。恐喝や暴力、場合によっては殺しも行う連中は、もう少し早く手を引いていた。
彼らの首領の元へ、二人組の殺し屋が訪れて、「仕掛け屋を敵に回すのかどうか」の意思確認があったのである。
彼らが最初に送り込んだ四人組は、彼らが手配できる最高の腕を持ったものたちであったが、二人は喉を裂かれ、心臓を握りつぶされて骸となった。
メンツを何より重んじることを普段から言い立てていた首領であったが、かなり現実主義者だったようだ。
「今回の件からは手を引く」
と、ギンとリクに約束して、実際に彼らは、この争いに2度と関わらなかった。
さて、その他大勢はそれでも良かったが、保安局の最高戦力として派遣された「絶士」たちはそうもいかなかった。
グルジエンは、町外れのもともと白狼団が使っていた屋敷を出て、アウデリアと保安部隊が戦っている街区へと急ぐ最中に、ラウレスの「声」を聞いた。
「古竜かあ。」
露骨に嫌そうな顔で、グルジエンはつぶやいた。
メイドの仕事には、ベッドメイキングなど得意なものも、調理など苦手なものもいろいろだったが、そこに「竜と戦う」というのは入っていなかった、と思う。
しかし、上空の黒い竜は凶暴そうで、今にもブレスでを吐きそうだ。
「街を滅ぼす」
と宣言したまま何もせずに、ゆったりと翼を動かして、滞空していたが、こちらの反応を待っているのだろうか。
先に仕掛けるしかないか。
竜のブレスを彼女の障壁で防げるかは、まだ試したことはなかった。ならば試したことのある技で先手を取るべきだろう。
グルジエンは、左右の手にもった包丁を同時に振り上げた。
二本の包丁は、一つになり・・・それは屠龍剣ににた巨大な刃物を形成した。
「大」
グルジエンは、黒竜を睨む。高さは100メトル以上はあるだろうか。
「切」
いくら離れた場所でも彼女の視界が届く範囲ならば、その威力の範疇となる。
「断!!!」
黒竜の首の付け根の辺りから反対側の腕へ。
斬撃は、竜鱗の防御を突破して、確実に竜に致命傷を与えたはずだった。
「ぬっ」
グルジエンは舌打ちした。
竜の姿がダメージを受けると同時にかき消えた。
幻影か。
「ち、ちょっと」
少し離れたところで、不可視のフィールドのなかでラウレスは、ミイシアにつかまって震えている。
これは例え的なものではない。
ラウレスは人間の姿のまま、飛ぶのがかなり苦手であった。浮いていられるのはミイシアのおかげであった。
オールべを脅迫したらだだちに、人化したいというラウレスと、少しの間は街に睨みを聞かせて欲しいという、ギムリウスの考えのへ折衷案がこれだった。
すなわち、本人は人化してもいいけど、かわりに魔力を使って「質量のある影」をつくって飛ばしておいてくれ、と。
「え? そんなこと出来るの?」
と、ラウレスは目をぱちくりさせたが、ウォルトに教えてもらってなんとかやってのけた。
その直後である。
謎の斬撃が、彼の分身を切り裂いたのは。
「し、死んでるよね、これ。食らったら死んじゃうよね?」
「大丈夫。」
ウォルトは軽々と安請け合いした。
「あれはあくまでもダミー。風船みたいなもんだ。本物と違って竜鱗の防御もない。」
「いや、わたしが魔力をいれてるから、それなりに防御は高い・・・」
「ラウレス、もう一個、アドバルーンをあげて欲しい。あんまり早くやられてしまうと示威降下が薄れるんだ。」
ウォルトは、こっちのいうことをきいてくれない。
それこそ、ルトみたいに。
「またすぐ切られるぞ。」
ミイシアが楽しげに言った。
「ギムリウス、わたしをあの斬撃を打って魔法士のところに転送してくれ。邪魔を出来ないようにしてくる。」
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