第238話 蜘蛛には向かない職業

「依頼・・・ですね。わたしを指名されての特別な依頼ということでしょうか?」

ギムリウスはかわいらしく首を傾げた。血まみれになった彼女の制服は、洗濯中で、ミトラでは小姓がよく着るような、少しフリルのついた上下お揃いのシャツとパンツである。


「そう考えてくれて構わない。」

アライアス侯爵は、頷いた。

目の前の可愛らしい生き物は(ミトラには珍しくない頑固な人間至上主義者の彼女にとってはそれが精一杯の譲歩だった)は、少し考えてから頷いた。

「わかりました。料金は後払いでよろしいですか?」


当然、契約金を要求されるものだと考えていたアライアス侯爵とメイド長は顔を見合わせた。

「我々は構わないが・・・それでいいのか?」

「はい。いくらくらいを請求すればよいのかが、わたしにはわからないのです。そう行ったことはリーダーのルトが行なってくれるはずなのですが、今は連絡が取れません。」


「わかった。十分な報酬を約束しよう。

依頼したいのは、息子を誘拐し、あまつさえ生贄に捧げようとしたヴァルゴールの信徒どもを根絶やしにすることだ。奴らの居場所を探し出すために協力してほしい。」


ギムリウスは、またちょっと考えてから、シャツの袖を捲り上げて、何もない空間に腕を突っ込んだ。襟首を掴まれて、引っ張り出されたのは、先日と同じランゴバルド冒険者学校の制服を着た少年だった。

侯爵は、彼の顔立ちがどこかギムリウスに似ているのに気がついた。瞳は一つだけだったが、あるいは血のつながりがあるのか、と侯爵は思った。実際は製作者が同じだっただけなのだが。


「主、主っ!」

少年は、ハムやチーズやドライフルーツなどを山盛りにした大皿を抱えていた

「いま。食事中なのです。」

「見ればわかる。」

ギムリウスは、皿から木の実の入ったチーズを一欠片、口に放り込んだ。

「ミトラのヴァルゴール信徒はどのくらいいる?」


「なにしろ『邪神』なので、名簿などはありません。一度でも寄付や捧げ物をした、というレベルでしたら、全人口の三分の一程度かと。」


侯爵とメイド長は渋い顔をした。

確かに、例えば受験の合格祈願をする際に、セットで競争相手の不合格を祈るのは、ヴァルゴールの祠なのだ。これは取り締まろうが潰そうが、いくらでも湧いてでる。

実際に、侯爵は、娘時代に、恋敵を呪うためにヴァルゴールにいくらかの金品を奉納した記憶があるのだ。


「人間を生贄を捧げているレベルの信徒だとどのくらいだ?」

侯爵は聞き直した。


「誰この人? 答えてあげてもいいですか?」

という表情で、ギムリウスとアイコンタクトをしたあと、少年は答えた。

「そうなるとおそらく1,000人は超えないかと。」


「いったいどうなっているんだ、この街は。」

アライアス侯爵は嘆いたが、少年は淡々と膨大な死者のごく一部です、と答えた。

ヴァルゴール信徒の撲滅は無理だ。

侯爵は瞬時に判断した。


「ならば、我が息子を誘拐し、殺そうとした信徒を捕らえて、罰を受けさせたい。

これならば可能か?」

「・・・時間をいただければ、可能かと。」

「わかった。ならばそれをお願いしたい。元ヴァルゴールの使徒であるお前に酷な任務かもしれんが・・・」


ギムリウスは口を挟んだ。

「いや、元ではありません。ゴウグレは今もヴァルゴールの12使徒の一人です。そうだな?」

「はい、ギムリウスさま。特に信仰を捨てるようなご指示もありませんでしたし、わたしは今もヴァルゴールの使徒であり、その最も有力な12名に名を連ねております。」


メイド長が、ヒィっと悲鳴を漏らしかけた。

おそらくは竜人にも匹敵する魔力と戦闘力を備えた「12使徒」。その一人が目前にいる!


少し、準備がありますので、いったん学校に戻してもらっていいですか?

とゴウグレ少年はギムリウスに頼み、ギムリウスは呼び寄せたのと同じ方法で、ゴウグレを転移させた。


「ぼ、冒険者学校は、ヴァルゴールの使徒までも入校させているのか?」

「それについては少々、説明が必要かと思われます。」

常識豊かなギムリウスは、そこらへんの事情を丁寧に説明した。


ヴァルゴールの使徒の「贄場」をめぐっての争いでほとんどの使徒が、ランゴバルドにし集結したこと。他ならぬ、ヴァルゴール自身から、生贄なんぞ捧げてもらってもなんの役にも立たないのでもう止めるように話があったので、これまでのような血生臭い儀式は中止になったこと。


「なので、ヴァルゴールの使徒や信徒にはもう今までのような危険はないはずです。」


こんなに丁寧に説明したのに、侯爵とメイド長はまるで化物を見るように、ギムリウスを見てくる。なぜだろう。

そうか、これが亜人差別というものなんだな、とギムリウスは納得した。

いきなり身分が下のものにあれこれ説明されても、プライドが傷つくだけで、理解しては、もらえないのだ。

悲しい話だな、とギムリウスは思った。ちなみにギムリウス自身は亜人ではないので、別に傷ついたりはしていない。


「そ、それはヴァルゴールの神託が降った、とそういうことか?」

もちろん、これは差別意識から出たものではなく、二人にはギムリウスの説明が全く理解の範疇を超えていた、とそれだけのことである。侯爵はなんとか辻褄の合うように「神託」という言葉を使ってみたのだが、ギムリウスの答えはまたも二人の理解を飛び越した。


「普通に話してたので、普通に聞こえたのだと思います。」


二人の主従を疑問と困惑の沼に落としたまま、そろそろいいかな、とギムリウスは、また手を突っ込んで、ゴウグレを引き寄せた。


ゴウグレは。


とりあえず、オードブルの皿は置いてきていた。

インバネスコートを羽織り、耳当てのついた帽子。口にはパイプを加えてステッキと虫眼鏡を携えていた。


「待たせたな、ワトソン君。」


意味不明な言動に困惑したのは、侯爵たちばかりではなかった。


「なんだ? その格好とワトソン君というのは?」

ギムリウスの目の中で瞳がぐるぐると回っていた。


「わたしにも不明です。」

ゴウグレは、答えた。

「ヴァルゴール様より、以前お伺いしたところ、事件を解決するときはこの格好で、一緒に行動する相手はワトソン君と呼ぶようにと。」


侯爵は恐怖のあまり背筋が寒くなるのを感じた。

ヴァルゴールが、殺戮と隷属ばかりではなく、狂気をも司るようになったのかと誤解したからである。



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