第237話 取り調べ官の災難

「はい、わたくしはロデリックで、今まで布を扱う問屋をしておりましてな。」

すっかり好々爺といった風情の老人が愛想良く述べた。

「稼業は息子に譲りましたもので、三年ほど前に隠居いたしました。」


そんな、ご隠居がいてたまるか。

オールべの保安長官カッスベルは喚き出したい気持ちをぐっとこらえた。

なぜ、自ら取り調べをしているのかというと、部下が全員、治療院おくりになってしまったからだ。

そして、なぜ、この取り調べ室に壁がないのかと言えば、ほかの部屋はすべて天井もないからだ。

「いまは、手代を借りて気ままに旅を楽しんでおります。

これ、ロクさん、シチさん、お役人様にご挨拶を。」


そんな手代がいるかっ!

ひくひくと、顔が痙攣するのを感じながら、カッスベルは屈強な男たちを睨んだ。


「二人ともかなりの使い手のよつだが」

「いや、お恥ずかしい。」

シチが頭をかいた。

「以前少しばかり剣術をかじったおりましたので。」

「わしは、体術を少々。」

ロクが答えた。


す、すこし、ねえ。


実際のところ、いまの町の現状そして、保安長官としての彼の職務に自分自身、忸怩たるものがあるのだ。

この、ご隠居さんが怒るのももっともなのだ。

この老人は、おそらくは、商家などではない。元高級軍人または貴族なのだろう。

それを振りかざさずに、暴力という形で発揮してくれたのは、むしろよかったのかもしれない。


「まだ取り調べには付き合ってもらうが、今日はこのまま帰ってよい。

くれぐれも町からは逃亡せんようにな!」


数少ない部下が血相を変えて走り込んできた。

ノックもしないのは、ノックすべき扉がないからだ。


耳打ちされて、カッスベルの顔色がかわる。


「お前たちはしばらくの間は、冒険者パーティ『アウデリアと愉快な仲間たち』」に預かってもらうことになった。」


「ほうほう」

老人はニコニコと、頷いた。

「アウデリアさんとはあの高名な冒険者のアウデリアさんですかな?」

「その通り。だからくれぐれも逃げようなどと思うなよ。」

(そんなことをされたら自分の首がとぶ、とまで言わなかったのはこの男なりの矜持だった)


「そうしますと、ご一緒にいたご立派な体格の戦士は、まさか」


「迎えに参った。」

ドアを開けずにクローディアは、ずかずかと取り調べ室に入ってきた。あるいは、壁がろくに残ってない部屋というものは、どこからが、部屋なのか分かりにくいものだったのかもしれない。


「クローディア大公陛下」

カッスベルはいままでにそのような高貴な身分の方に会ったこともない。

どういう礼をすべきか混乱したところにさらに追い打ちがかかった。


「先のロデリウム公、お噂はかねがね。」

「わしはただの隠居ですぞ、大公陛下。」

「気ままな世直し旅という事ですかな。羨ましい限りです、御老公。」

「まま、わしはもう公爵家を離れた身分ですのでな、」

照れたように老人は頭をかいた。

「どうぞ、グリムとお呼びください。久しく使ったいなかったので錆び付いておりますがわしの幼名になります。」


いろんな意味で。

俺の人生オワタなあ。と、カッスベルは思った。


クローディア大公は、出る間際になってカッスベルを振り返り、

「ギルド『紫檀亭』に滞在する。なにか報告すべきことを思い出したらいつでも来られよ。」


ガクガクとその言葉に頷いのは、相当に礼を失していたが、カッスベルは、のちに「気を失わなかった自分を褒めたい」と語っている。

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