第230話 ギムリウスの新しい知己
アライアス侯爵家は、教会に極めて近い貴族である。建前上は、教会は教会、聖帝国は聖帝国ということになってはいるのだが、それは文字通り「世俗」の部分だけであって、うえのほうは、ほとんど渾然一体と化している。
実際に、アライアス侯爵家の現当主の兄は、枢機卿のひとりに名を連ねていた。
「それで、ヘルデを救ったとかいう女性は亜人で間違いないのか?」
このときの当主ドリミアは、女性であった。
これはそれぞれの家によっても多少は異なるが、西域、および文化的にその影響を色濃く受ける北方では、当主を女性が務めることは珍しくなかった。
特に、アライアス侯爵家では、長兄がはやくから、信仰の道に進むことを明言していたため、ドリミアは、侯爵家の跡取りとして相応しい教育を受け、その任をこれまで立派に果たしてきた。
「瞳が複数あります。」
メイド長、または彼女の個人的な護衛官は、胸をはってそう答えた。顔はおぞましいものを見させられたように歪んでいた。
「それに、腰の部分から触手のようなものが。足に張り付いて動きませんのであるいは、退化して動かなくなっているものかと、思われます。」
「ふむ。」
たしかにそれはおぞましい姿だ、な。
ドリミアは、南洋から輸入した茶葉の香りを楽しみつつ。考え込んだ。
「しかし、息子を救ったとかいうことには違いないのだろう?」
「我々が駆けつけたときには、ほかに誰もおりませんだした。」
含むように護衛官は言った。
「服は血まみれでしたが、外傷は見受けられず。」
「自分が治癒させたと、そう申しているのだな、亜人の女は。」
「そう通りです。ちなみに雌ではありません。雄です。服を脱がせた際に確認しました。」
「何者なのか、いったい」
「それについては、本人が語っております。
名はギムリウス。ランゴバルド冒険者学校の生徒だそうです。」
「裏はとれるのか?」
「確認中ですが、あれが、身につけていたのは、間違いなくランゴバルド冒険者学校の制服でした。」
ドリミアは茶を飲み干し、腰を上げた。
「会ってみよう。どこにいる?」
「地下牢に監禁しております。」
「あんなところまで、わたしを行かせる気か?
もう少しましなところに移せ。」
女侯爵閣下が、ギムリウスと面談を果たすまでにはもう一悶着あった、
彼女の息子が。勝手にギムリウスを牢から連れ出していたのである。
護衛の2人も連れて、息子の自室で問題の亜人を見つけたとき、ふたりはバスタブで髪の洗いっこをしていた。
「なにをしているっ」
と言う母親の怒声に、ヘルデは睨みかえし、
「ギムリウスが汚れていたので洗ってやりました。」
「・・・」
「だだの汚れではありません。ぼくを治癒ときについたぼくの血です。」
なら、きくがまさかおまえ、ギムリウスが女の子だと思って裸にしてないよなっ!
それは護衛のまえでは言いにくかった。
ザバッ
とバスタブのなかで、ギムリウスが立ち上がった。
別に裸体を恥じる様子もない。
腰の辺りからたしかに触手のようなものが伸びてそれは、足の部分にへばりつくように一体化していた。
蛮人が
と護衛官が低い声で罵った。
「はじめまして。わたしはギムリウス。」
美しい生き物は、首を傾げるようにして少し考えてから続けた。
そう、ギムリウスの体は人に嫌悪感をもたらすものでは無い。その逆の効果を狙って、他ならぬギムリウス自身が作ったヒトガタなのだ。
「ランゴバルド冒険者学校の生徒。銀級冒険者『 踊る道化師』のひとり。」
「分からんことを言う。」
護衛官が、嘲笑うように言った。
「冒険者学校の生徒がなんで銀級の冒険者なんだ?」
「ルールス先生からそうしてくれと頼まれた。」
バスタオルを手にとって、ギムリウスはヘルデの体を、ゴシゴシとふいてやった。
ヘルデは、まるでそう母の手に委ねられているかのようにうっとりした顔つきでそれにまかせた。
「ヘルデ、ところであなたのお母さんは偉いひとなのか?」
「うん、偉いといえばそうかなあ、侯爵だし、おじは枢機卿をしている。」
そうか、と言って、ギムリウスはアライアス侯爵一行を振り返って、深々と一礼をした。
「失礼しました。改めてご挨拶申し上げます。
わたしはギムリウス、わたしがあの地下室に『 転移 』したとき、ご子息さまは死にかけておりました。故に我が魔道をもって命をとりとめ、その後に、駆けつけた」
天使のような悪魔の笑みを浮かべてギムリウスは、続けた。
「そちらのメイドさんがご子息さまを保護なさいました。」
「たしかに息子が命を救われたことは間違いないようだ。」
侯爵は重々しく言った。
「だが。我が家中には、おまえが、賊の一味ではないかと疑うものもいるのだ。
転移によって来たとのことだが、どこからなんの、目的で転移したきたのだ?」
「冒険者学校のわたしの部屋からです。
あそこは、少なくとも事前に確認したときには人気もなく、誰かの迷惑になることもないだろうと判断致しました。」
「ランゴバルドからミトラへ。しかも正確に座標を設定しての転移だと?」
戻ったら魔法学の講義を取ろうかな、とギムリウスはこのとき考えた。人間の魔法の限界がどのくらいかを学んでおかないと。
彼女の友人たちはその点ではまったく参考にならないのだ。
「正確に座標を定めない転移は危険が伴います。」
「しかし、この、距離を」
「転移するのは、私、1人でしたし」
言い訳をすればするほど、侯爵閣下もメイドさんたちも顔色が、悪くなっていく。
「上古の神獣ギムリウス。」
なにかに気がついたように、侯爵閣下は言った。
「神の御技に匹敵する転移魔法を使ったと言われる上古の神獣ギムリウス。」
「それは違います。」
ギムリウスは可憐に抗議した。およそ、神々と呼ばれる存在で、彼女に「匹敵」する転移の使い手は誰もいなかった。
「いや・・・本人でないのはわかるが。」
侯爵閣下は勝手に解釈してくれた。
「ギムリウスを封じる亜人の一族がまだ残っていたということか。転移魔法と治癒魔法を得意とする。」
ギムリウスは黙った。褒めてくれているらしいのに抗議するのもどうかと思ったからだが、実際、彼女が「得意」だと思っているのは大規模破壊魔法だった。
「そのような亜人の類が、ヴァルゴールを奉じていないと断言は出来ません!」
メイド長はなおも言ったが、これは少なくとも侯爵家の護衛官としては当然だっただろう。
「部屋に残された残留物から、坊ちゃまを誘拐したのはヴァルゴールの信徒に間違いありません。なぜに『贄』の儀式を途中で中断して姿をくらましたのかは不明です。」
メイド長は、じろりとギムリウスを睨んだ。
「神の御技のごとき転移で地下室に現れた、というよりも、まさにこの者がこれから、坊ちゃんをヴァルゴールに捧げようとしていたところへ私たちが踏み込んだ・・・この解釈の方が合理的です。」
「その場合は、現場にあった大量の血痕はどう説明するのだ?」
「大方、儀式に先立って、血糊をばら撒いたのでしょう。生臭い殺戮を好むヴァルゴールならばありそうなことです。」
「ふむ。ならばその後、こうして息子と仲良く風呂に入ったりしている現状をどう説明する? 転移が使えれば、息子を拉致することも一人で逃げ出すことも自由自在のはずだが。」
「だから、その転移魔法云々がそもそも嘘なのです!」
なるほど。
と、ギムリウスは思った。最もな疑いだ。ヴァルゴールの使徒が贄の儀式の前に血をばら撒く習慣があるのか、自分に転移の能力があるのか。
非常識なギムリウスは、これを同時に解決する方法を思いついて、即実行に移した。
細い手を何もないところに差し込む。
一堂が、呆然と見守る中、襟首を掴まれた少年が空間から引き摺り出された。
「主人! 主人! 授業中ですっ!」
可愛らしい顔をした少年は、これもランゴバルド冒険者学校の制服を身につけていた。
「ヤホウ先生の授業中です。ルールス分校の生徒以外の見学者も30人はいました。いきなり強制転移で呼び出すなど、無茶を・・・」
「誰です・・・・」
侯爵の息子ヘルデは、この中で最も若かったが、一番まともな質問をした。
「わたしの後輩です。ヴァルゴール12使徒の一人でゴウグレ。」
「ランゴバルド冒険者学校は、ヴァルゴールに乗っ取られているのかっ」
顔色を変えた侯爵が叫んだ。
「いいえ。むしろ、行き場がない者を、とりあえず冒険者学校に入学させただけです。
ゴウグレ、贄の儀式の前に大量に血液をばら撒く習慣がヴァルゴールの使徒にあるか?」
「いいえ。儀式自体が大量の出血を伴うものですから、前もって祭壇を血まみれにする習慣はありません。」
「ありがとう。」
ギムリウスの手が再びゴウグレの襟首を掴んで空間に差し込んだ。
「これで、ヴァルゴールが贄の前に祭壇を血まみれにする習慣がないことと、わたしが転移能力のあることの証明になりましたでしょうか?」
非常識な蜘蛛は極めて人間的な微笑みを浮かべて一堂を見やった。
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