第226話 仕掛て仕損じなし!

走る。

走る。走る。


走る。こんなに走ったのはいつ以来だろう。途中の旅籠で、無理やり馬を借り受けた。

農作業用の馬は、あきれるほどに鈍かった。

山道は急で、すでにあたりは暗い。

途中で、馬を乗り捨てて、山中を歩いた。さすがに土地勘はある。

道に迷うこともなく、屋敷まではたどり着いた。


で?

どうする。

怪訝そうに見守る召使いたちを下がらせると、男爵と執事は取り急ぎ、金目のものをかき集めた。

西域でしか通用しない紙幣だけではこころもとない。

北方でも中原でも使いやすい金貨、銀貨もかき集めた。


逃げる。

まずは、このまま夜を徹して、最寄りの駅までたどり着く。最初に来た魔道列車に飛び乗ってあとは、なんどか乗り継いでギウリークを出てしまえば、一安心だ。

この時代、西域には、国を横断する警察機構などはない。他国まで逃げてしまえば、追ってはまずかからない。


それにしても。


男爵はあらためて、あの光景に震え上がった。

彼が無敵の存在・・・それこそ、ミトラから竜人部隊でも呼んでこなければ、歯が立たないと思っていた無敵の爵位持ちの吸血鬼。

それが、ロクに戦いもせずに平身低頭して許しをこうとは。

あの少女・・・西域でもギウリークやランゴバルドでは珍しい黒い瞳と髪の少女はいったいなにものなのか。


「おや、まあ。」


女の声に、愕然と振り返った。

部屋の魔法灯は、ほの暗く、女の顔は影に落ちて見えない。


だが、それが屋敷に軟禁した、旅芸人のギンのものであることに、執事は気がついた。

「いいところに来た・・・・いや、相談だ。わたしたちをここから連れ出してほしい。」


「おや・・・」

ギンは笑ったようだった。

うしろからややずんぐりした影が現れた。彼女の連れのリク、だろう。

「藪から棒にどうなさいました?」


「・・・・吸血鬼だ。」

執事は頭を巡らせた。諸国を旅しているこいつらを旅の同伴にしてしまうのはいい手だとは思ったが、まさか彼らの軍がまるごと破れ、さらにその一部始終を、先のロデリウム公爵に見られていたなどということは、とても話せるものではない。

「ペルドットの背後に恐ろしい吸血鬼がいたんだ。伯爵級だ。

あの老人や供回り、冒険者の女もみんなやられた。我々だけがなんとか逃げてきたんだ。いまにもやつはここに来るかもしれない。一刻も早く逃げ出さんと。

手を貸してくれ。礼ははずむ。」

「お屋敷も召使いも捨ててですか?」

「狙いはわれわれだ。われわれさえいなくなれば、のこったものには危害は加えんだろう・・・」


構いませんよ。

と女は笑った。いや表情は分からないが笑ったに見えたのだ。

女の連れ、リクも笑った。

いつの間にかその手の中に、玉のようなものが握られている。それがリクが手を握るたびにごりりと音をたてた。


「ひとまず、この国から出たい。逃げるとしたらどこがよい?

ランゴバルドか? いっそ北方はどうだ? グランダとか。」


「そうですねえ・・・」

考え込むように女は額に指を当てた。

「男爵様におすすめの逃げ場でしたら・・・・



地獄



でしょうか。」


赤い唇は笑みの形につり上がっていた。


きさまっ!

愚弄されたかと頭に血がのぼり、掴みかかろうとする男爵を、執事がとめた。


「てめえら・・・仕掛け屋、か。」

口調が伝法なものに変わっている。この執事も男爵といっしょにさまざまな悪事に手を染めてきた。ときには自ら・・・


腰のレイピアを抜き放つ。

「し、仕掛けや・・・・」


男爵は後ろをむいて、どたばたと廊下を走っていく。

一陣の風のように、仕掛け屋の女・・・ギンがそのあとを追った。


それをさらに追おうとした執事の前に、リクが立ちふさがった。

手に握った球をこれ見よがしにみせつける。


あれを投擲する技か。

執事は理解した。それなりに裏社会を通ってきた男だった。玉はかなり固く、重そうでまともに喰らえば頭蓋も砕けよう。しかし。


「間合いが近すぎたな、仕掛け屋。」

執事は冷笑した。この距離ならば、玉を投擲するよりも彼の剣が疾い。前ロデリウム公爵の供回り・・・恐らくは「ナンバーズ」と呼ばれる精鋭騎士には及ばずとも、彼も剣さばきには自信があった。

ゆら。

と剣先をゆらす。

首を貫く。

なぶり殺しもいいが、速やかに止めを刺して男爵を追わねばならない。


ごき。

リクの手の中で握りしめられた玉が鳴った。ばき。ばきばきばき。

リクの拳のなかで玉は砕けた。ひらいた手のひらから、破片がこぼれおちる。


あれを投げるのではないのか。

狼狽が一瞬だけ、突きを遅くしたのかもしれない。

身体を低くして潜り込んだリクの、首筋を剣先がかすめる。


リクの手が伸びる。拳ではない。掌でもない。

カッと開かれた指はまるで、猛禽の爪を思わせた。

硬球を握り砕いたその指は、まっすぐ執事の胸を貫き・・・肋骨ごと心の臓を握りつぶしていた。



男爵は転びながらも懸命に走った。

胸に抱えた金貨が廊下のところどころにこぼれ落ちる。


だが、そんなものを拾う余裕などない。

屋敷の玄関はすぐそこだ。背後にやつらの姿は見えない・・・開きっぱなしの扉から庭に駆け出す。逃げ切った。

そう思った男爵の首が、締め付けられた。


人間の手ではない。

糸だった。


闇にまぎれて見えぬ糸の首輪が、男爵の首を締め上げる。

舌を突き出し、喘ぎながらもなんとか糸を外そうとするが、彼自身の体重がかかっているのだ。容易にはずれるものではない。


二階から、ギンが目の前にふわりと降りったった。


片手に糸の端を。バルコニーの策に通した糸の端を握っている。


「おやまあ。悪党なりにしぶといこと。」


ギンは、自らの楽器を奏でるときに使う、バチを取り出した。縁をなでると鋭い金属の刃が現れた。


「おまえに嵌められた狩人のイゾウ、盗賊のサンキチが先に地獄で待ってると、さ。」



喉を切り裂いた血が高く吹き上がる。

返り血の一滴すら浴びずに、ギンはその場を後にする。いつもまにかあらわれたリクが後に続いた。


「首尾は?」

「さあ、心の臓をとめたあとは知らねえ。」

「相変わらず、詰めのあまいおひとだねえ。」

「そういう姉さんは?」

「喉を裂いたあとの死体の始末は、わたしの仕事と違うだろ?」


二人の足が止まる。


門の前に人影を見たのだ。


「これが、噂にきく仕掛け屋の業前か。たいしたもんだ。」

あのジウルとかいう女連れの拳士だった。

男爵たちが到着してからロクに時間はたっていないはずだが。


ギンは舌打ちした。

隣町の牧場に行ったはずなのに、いやに早いお着きだねえ。


もちろんこれはジウルの反則技である。「転移」という魔法だ。


「素直に見逃すってんなら、余計な血が流れないですむよ。」

そう言いつつ、スキでもあれば殺す気はまんまんだった。


「まあ、俺はそれもでいいんだが。」

拳士は頭をかきかき言った。

「あの、隠居のじじいが話があるんだとさ。朝を待ってこっちにもどってくるだろうが話をきいてみちゃあ、くれないか?」


「死体を2つばかり作っちまったんでね。それは聞けない相談さね。」


「それについては、こんな解決方法がある・・・『成敗!』」


「なんだか、芝居でも見てるようだね。」

ギンは、カラカラと笑った。

「でも、わたしたちと先のロデリウム公爵閣下じゃあ、出てる芝居の題目が違うのさ。」


「しばし、力を借りたい、とのことだ。俺たちは俺たちで、ご老公と違う立場だが、一時手を組んでもいいと思ってる。

目的地は、同じミトラだしな。」


「ふむ・・・なら話だけ聞いてみるかね。」

ギンの言葉にリクが、姉御!と血相をかえた。

「まあ、こっちがあっちの正体を見抜いてるように、あっちもこっちが何者かわかってて泳がせたんだろうよ。おかげで依頼のひとつは片付いた。

その礼と言っちゃあなんだが、話くらいはきいてやるよ。」


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