第157話 邪神の使徒

フィリオペは誰何する前に、警報に手を差し伸べていた。

体中のチャンネルが、この相手を危険だと知らせている。


感覚としては、知性を持たないまま、一千年を経たと言われる嵐竜。

それに相当するような気がする。人間の姿はしているが、定命の命とはかけ離れた存在。


萎えよ。


と頭巾の下で声が囁いた。

男とも女とも取れない。しかし嗄れた声は、まるで人間の発音器官を持たないものが、無理やり人間の言葉を発音したように、聞き取りにくく。

手を伸ばした警報器が、急に遠ざかった。いや、そんなことはない。フィリオぺの腕が力を失い、足は体を支える力を失い。

フィリオペは、床に崩れ落ちる。咄嗟にマシューが抱き止めてくれたが、マシューも後ろに転げるように崩れた。


「こいつはやばい。逃げろ。」


それだけ言うのに舌がもつれた。瞼も開かない。全身の力という力が抜けていく。

例えばそれは「呼吸」という動作だったり。

心臓の鼓動だったり。


フィリオペの脳裏を昔の記憶が、断片的に駆け巡る。街のチンピラに憧れて、学校を飛び出したこと。好きな女ができて、このままじゃやべえ、と冒険者学校の門を叩いたこと。

はじめてのパーティが、分不相応に潜った迷宮深部ではじめての犠牲者を出してしまったこと。


それが自分の惚れた女だったこと。


あらためて結成したパーティが銀級に昇格したとき、やつの形見の短剣と一晩飲み明かしたこと。

絶頂期に負った足の負傷。


流れた最北の都。

まだ10代にはいったばかりの少女が、貴重な麗月草の束を無造作に、買い取りカウンターに投げつける。


『 麗月草の採れる一帯がトビ蜥蜴の繁殖地になってるなんて、調査不足もはなはだしい! これはギルドの怠慢です!』

『 いいじゃないか、姫。

おかげで、ワイバーンも、いっぱい捕れたんだし。 』

同じ年頃の少年はいそいそと自分の収納から、ワイバーンの生首を並べ始める。


なにをやってる!

ワイバーンはついでに、狩るものではなくて。


「フィリオペ」


何を呼ぶ。俺はもうあっちに行きかけいるんぞ。波乱に満ちた冒険者人生ではあったが、もう満足だ。


「フィリオぺ! 見つけたぞ! とっとと目を開けろ。」


開かないはずの目が開けた。目の前に天使の美貌を持った女性がいた。


フィリオぺの記憶にあるよりは、少し大人びている。あれから何年経ったのか、三年?四年?

その輝きを一層ました彼女は、どういうものか。


木の棒を口に咥えていた。


「何をやってるんだ? 姫。」


今際の際にみる走馬灯にしては、異常すぎる光景に、フィリオペは体を起こした。

動く。手も足も。


「ああ、これか。」


口元からつい・・・と涎が落ちた。

そもそも棒を咥えたまま、どうやってしゃべっているのか。相変わらずのなんでもアリっぷりだ。


「これは、わたしが鬼畜生に堕ちぬためのお守りだとさ。明日の朝ごはんまでこうしていろ、と。」


「誰が?」


フィオリナは、顎で後方を指し示した。

ハルト王子も彼の記憶よりは、ほんの少し成長していた。

フィリオぺ同様に体の自由を失ったマシューを抱き起こしている。


マシューも大丈夫そうだった。術の効力は、フィリオぺより軽かったのか、助かった、などと言いながら自力で体を起こそうとしている。



戦姫がいる。ならば、ここはもう一踏ん張りせねば、な。

フィリオペは、剣を抜いた。刻まれた聖刻文字が輝いて、刀身が炎に包まれた。


「妙な術を使うな。何者だ?」


いまだに男か女かも不明な、相手は、静かに答えた。


「ヴァルゴール様の使徒、ゴウグレ。」


引き攣った顔で、フィリオペは、フィオリナを振り返った。


「任していいか?姫。」

「ちょっとくらいは戦え。」


悪態をついて、フィオリナは、一歩前にでる。

彼女が、愛用の剣を持っていないことに、そもそも剣士であったはずの彼女が帯剣すらしていないことに、フィリオペはその時やっと気がいつた。


「この街を訪れた目的は?

わざわざ、番屋に顔を出したからには、何か伝えたいことはあるのだろう、」


「この街は、クリュークの管轄だった。」

頭巾したから、ゴウグレは淡々と答えた。

「彼がいなくなったからには、我らヴァルゴールの使徒から後任を決めねばならぬ。」


「で? おまえがその後任になるの?」


聞きなれない声に、振り返ったフィリオペは新たなる人物を見つけた。

年は、フィオリナやルトよりは少し上、か。

トレンチコートに、サングラスとストールで顔を隠していたが、それでもとんでもない美人だとわかる。

細身だが、しっかりと筋肉がついた体は、一瞬、男性か女性か見分けがつかなかったが、セーターの胸を艶やかな球体が押し上げていた。


「真祖吸血鬼リンド伯爵。」


ゴウグレの声にわずかに驚きが走る。


「お主もこの街を所望していると? そう言うことか?」


「いや、冒険者学校に通ってる。」


「・・・何を言ってるのか、わからん。」

ヴァルゴールの使徒から理解不能のタグを貼られたロウは、カラカラと笑った。


「と言うことは血の祭典を起こすってことね。

この街でより多くの人命をより残虐な方法で奪った使徒が、この街の支配権を得る、と言う。」


その通り。

と、だけ、ゴウグレは答えた。なんでこっちが言いたいことを先に解説してしまうんだ?の不満もアリそうな声だった。


「おまえが我々の邪魔だてをするならば、いずれ会い見えることもあろう。」


ゴウグレの体が雨の中に溶けていく。

降りしきる「雨」そのものに同化していくのだ。


「長わくばそのようなことにならぬよう願っているよ・・・」


「逃すのか? ロウ。」

ハルト王子が尋ねた。

「血の祭典をおこすなら、やってくるヴァルゴールの使徒はヤツだけじゃないからね。」

ロウは笑って答えた。

「全部、倒さねばならないにしても適当に同士討ちしてもらったほうが都合がいい。」


「いったいこんなところで何をしてるんだ?」


フィオリペは、ハルト王子とフィオリナに尋ねた。


「冒険者学校に通ってるんだ。」


と言う答えに、熟練冒険者は困惑し、押し黙った。

そうだった。こいつらは昔から理解不能だった。

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