第142話 殺戮の荒野に
フィオリナはうつむいていた。
そのまま・・・ぽつり。と言った。
「おか、あ、さ、ま・・・」
やばい!
アウデリアはとっさに足元に刺した斧の柄をつかんだ。防御は、間に合った。
かろうじて、だが。
斧の横殴りの一撃が、フィオリナの蹴りを払った。
どうなんだろうか。
確かに、アウデリアの腕に思いしびれを残して、フィオリナの蹴りはあらぬ方向にそれた。
赤いものが飛び散る。フィオリナの血だ。
しかし、どうなのだろう。
あの角度で。
あのタイミングで切り込んだのなら、脛から先は、ばっさり切断されるはずなのだが。
我が娘ながら、まったく化け物じみている。
母親を蹴り飛ばしながら、あのヴァルゴールの匂いのする異世界人、アキルの襟首をつかんで、木の上に放り投げている。
アキルは、太い枝につかまって、かろうじて落下をふせいでから、なにやら喚いた。悲鳴だったのかもしれない。
「よく、かわした、アウデリア。」
フィオリナは、世にも恐ろしい笑みを浮かべた。
「いや、なに。その昔、お母さまと呼ばせるくらいなら殺してやる、と言われたのを思い出した。
いくら、ろくに家にもよりつかないような母親でも、そこは『お母さまと呼ぶくらいなら死んでやる』だろう。」
アウデリアは、笑った。
白い歯が覗く。猛獣が牙をむいたようだった。
「で、目的はそのヴァルゴールの『何か』を救うことか?」
「いや・・・アウデリア。あなたを対抗戦に出さないことだ。」
突きと蹴りは、神速。アウデリアは諦めた。蹴りだけは捌く。重いパンチに顔が左右に揺れた。そのまま突き入れた膝をうけて、フィオリナの細い体がくの字になって吹っ飛んだ。
“自分で飛んだ、か。”
威力が逃された。
“これで最も得意なのが、剣なのだからな。”
振りかぶった斧を振り下ろす。
衝撃波は、フィオリナの手から飛んだ光の剣とぶつかって相殺された。
爆発にまぎれて接近する。
そして。
“やはり、娘、だなあ。”
フィオリナも同じことを考えていた。
同時に二人がダッシュして接近した結果。気が付いたときには、もうそこは武器の距離ではない。
アウデリアのあごがフィオリナのパンチで突き上げられた。
意識が抜けていくのを、口の中を食いちぎって耐えた。
組みつかれながら、腹へ受けたのパンチの威力は、腹筋を突き抜けた。
魔力の循環で強化しているアウデリアの腹筋を、だ。
へどを吐きながら、背中にひじを落とす。膝をつきあげる。跳ね上げた脚が、軌道をかえてフィオリナの側頭部を叩く。ぐらっとよろめいて、フィオリナが後退する。
よし、距離がとれた・・・
いや、違う!
距離を取らされたのだ。
フィオリナは、剣の次くらいには、魔法が得意だ。
無詠唱、同時発動の光の剣は7本。
“古竜以外では見たことがないな”
アウデリアは苦笑した。たしかに本気のフィオリナは、古竜でも相手にしていると思うのが妥当かもしれない。
アウデリアは斧を振り上げる。
その背後で、巨大な影もまた斧を振り上げた。
射出された光の剣の連撃は、影の巨人が放つ斧が薙ぎ払う。そのまま、フィオリナに対して圧倒的な質量の一撃を叩きつける。
アウデリアはうめいた。
彼女が生み出した影の巨人が、受けた傷は本人にも跳ね返るのだ。
しかし。
素手のフィオリナがどうやって斬撃を?
フィオリナの手には「光の剣」が握られていた。
「それは、投射ようの魔法だぞ。」
アウデリアは苦笑いした。
「実体化させて手に握るな。」
手の斧を足元の地面に叩き込んだ。
地面が割れて、ひび割れがおきる。
フィオリナはとっさにかわしたが、アキルが避難していた背後の木がひび割れに巻き込まれた。
悲鳴をあげて落ちてくるアキルを、フィオリナがキャッチした。
「面白い!」
相手が強ければ強いほど、戦いは楽しい。
アウデリアは自分が、笑っているのが分かる。
呼び寄せた炎のヴェールから、フィオリナが逃げているのは、抱き上げたアキルを守るため。
アウデリアの前後左右に、同時に光の剣が現れた。
体を捻って急所だけは避けた。
脇腹、太腿から、おびただしい出血。
アキルを地面に下ろしたフィオリナの、頭上に石造りの門が現れた。
開いた門の中から、現れた黒く禍々しい剣を、フィオリナがつかむ。
じう。
肉が焼ける嫌な音がして、闇色の剣を握ったフィオリナの手から、血が滴りおちた。
右手に光の剣。左手に常闇の剣。
相反する力を携えて、フィオリナが笑った。
“見事じゃないか。我が娘。”
アウデリアも笑う。
“化け物め。なんのためにおまえは生まれてきた?
ルトと番になるためだろう。
一人一人では、あまりに孤独で暴走しがちなその力を制御しあうためだろう?
断じて、一時の快楽に溺れるためではない。
いやさ、溺れてもいいのだ。
だが、必ず、戻ってこい。ルトのもとへ。
世界がおまえたちを待っている。”
それを口に出して言ってやれないわたしが、母親失格なのかもしれん、な。
光の剣、常闇の剣、さらに雷雲からは、稲妻が襲いくる。
薙ぎ払って、アウデリアは歩んだ。
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