第132話 吸血鬼と魔人

わかった。

好きにやってくれ。


と、ちょっと不貞腐れたようにウィルニアは、言った。


ネイアが地味な男物のコートを跳ね上げた。

下はいつものボロ、だ。


「とうとう、ネイア先生の実力が見られるのか?」

ルトが前に乗り出した。


「いいや。」

前にヨウィスとやり合ったことのあるロウがつぶやいた。

唇は妙に赤く、サングラスの下の目は赤光を放っていた。

「ヨウィスが勝つさ。」


ネイアの顔がすだれのように切り裂かれた。

鮮血にまみれたまま、後退するネイアの肩口がスッパリ裂けている。

それが、首を切り落とそうと放った斬撃を回避した結果だと、何人が気がついただろう。


ヨウィスの操る鋼糸による傷は、あまりにも鋭利だ。

鋭利過ぎて、回復はむしろしやすい、という。


だが、両眼を含めて顔を切り裂かれたロウの傷は、それほど早くは回復しない。


距離を稼ごうとするネイアだが、ヨウィスの斬撃はどこまででも届く。


足首を斬られ、指を落とされた。

耳が切れ飛んだ。

首への切断と心の臓への一撃は交わし続けたが、試合はあまりにも一方的になった。


「強いな、ヨウィスは。」


「今さら言ってくれるな、ルト。」

ヨウィスと引き分けたことを誇るように、ロウが言う。

「わたしは昔、鋼糸使いとやり合った。その対策を充分練ったうえで、ヨウィスに挑んだ。

一度は『ぼく』を封印した状態で圧倒した。

二度目は、リンドとして立ち向い引き分けた。


従属種としてはネイアは優秀だ。」


ロウはこれまでに見たこともない残虐な笑みを浮かべていた。


「従属種、としては。」


ヨウィスの糸が無数の斬撃となって、ネイアを襲う。

ネイアは。


霧へと姿を変えた。


「ネイアにはこれがある。」

「逃げの手段としては、だな。」

ロウが言った。


「そうでもない。」

ルトは、低く言った。


霧に変化したネイアは、ヨウィスの周りをめぐる。

だが、ヨウィスは冷静だ。息苦しいのか、ストールをずりさげ、サングラスは投げ捨ててしまっている。霧に巻かれてもそれ自体はなんの痛痒もない。

いつまでも霧に姿をかえてはいられない。


もとに戻ったその瞬間に斬撃を叩き込む。

そのタイミングを待つ。

相手にうつ手はない。


霧の中に、キラっと光るものを見い出してとっさに、ヨウィスは飛んだ。


正確には、すでに建物の間に渡してある彼女の糸の上を走ったのだ。

霧になったまま、魔術を使う?


ヨウィスは飛来する氷の矢を交わした、あるいは糸で叩き落とし続けた。

これは、予想外、だった。だが、対処できないほどではない。

魔法の種類は氷の矢、のみ。

魔法の発動は、霧の動きを見ていれば分かる。


それでもいく本かは、彼女の顔を掠めた。

体は、所詮、なみの人間である。

全力で走り回るうちに息が苦しくなってくるが、これはネイアにとっても諸刃の剣のはずだ。


霧に変化するという魔術と並行して氷の矢を使い続ければ、魔力の枯渇はその分早い。


霧は煮凝りのように固まって人の姿になると、ヨウィスの前に立った。

なんとなくの頭と四肢はあるが、あくまで霧のまま、だ。

ヨウィスの糸は虚しくその胴体をすりぬける。


ヨウィスが、息を継ぐため大きく口を開けたその瞬間にネイアの霧に変化した右手は、その体内に侵入していた。



「へえ。」


ロウが楽しそうに言った。


「やるじゃん。」


ヨウィスが鮮血を吐いた。

霧に変化した体には大したことは出来ぬ。

だが、体内に侵入してしまえば。


ヨウィスが糸を振るう。だが、辛うじて四肢が判別できる程度の霧の塊は分断はされるものの、なんの痛痒も感じないようだった。


ヨウィスが膝をついた。血に塗れた顔が。笑った。


「『ぼく』だな。」


「離れろ、ネイア先生! 『ぼく』の糸は霧でも切れる。」


ヨウィスの口腔に差し込まれていたネイアの腕が、斬られた。霧のまま有効な攻撃を受けたのは初めてだったのだろう。

霧は集まり、ボロをまとった美女の姿なった。


片手は上腕部から失われていた。

飛び下がろうとしたネイアの全身を、ヨウィスの糸が縛り上げた。

首を、顔を、胸を、腰を、両足を。

変形するほどの力で、ギリギリと締め上げる。


ヨウィスは楽しそうに、身動きひとつできないネイアの顔を覗き込んだ。

胸元にかかった笛を取り上げて。


三度吹いた。




「あれは、いつの間にああ、いうルールになったんだ。」

ロウがつぶやいた。


「ウィルニアが、『もうダメだ』と思ったら、渡された笛を三度吹け、と言った。

前の試合で出血多量で失神したリアの代わりに、エミリアがリアの笛を吹いた。」

ルトは、治療のためのメンバーが駆け寄るのを眺めながら、言った。

「なんだか、もうそれでいいんじゃないか?」


会場に集まった観衆が見させられているのは、巨大な鏡だった。

ほとんど塀ほどの大きさのある鏡が、闘技場の真ん中に数枚設られ、そこに映る戦いを見せられていたのだ。


実際に二人が戦ったのは、迷宮内の特別な試合会場で、そこからの映像を、地上にいる彼らも見ることが出来るのだという。


あれはウィルニアだからなんでもあり、だな。


知らず知らずのうちに、アレが本物のウィルニアであることを、少なくともそれに匹敵するなにか、であることを観衆たちは知らず知らずのうちに納得しつつある。

果たして審議のほどは定かならず。


でもまあ。

なんだかもうそれでいいんじゃないか?


ちなみに観衆のなかには、各国の学校関係者や物見高い貴族連中が多数含まれている。


そして、観衆には分からないが、いま、ネイアの治療に当たっているのは、第二層のロウ配下の吸血鬼である。

ネイアが吸血鬼であることは、グランダの民には大っぴらには知られない方がいい。


そこまで配慮、思慮遠謀をめぐらしてしたのか、賢者ウィルニア。


ネイアは、まだわたしは負けてないっ!などと喚いているが、だれも相手にしない。

心は折れていないのだろうが、骨が折れている。

「ぼく」のヨウィスは、愛想良く社交的で、この上もなく残忍だ。

片手を失い、顔を人相がわからなくなるほど、切り刻まれた相手を骨が砕けるまで締め上げることに、躊躇しない、というか嬉々としてそれを行う。


そして、いざインタビューの段になると引っ込んでしまい、「わたし」のヨウィスを困らせたりする。


「いやあ、圧勝でしたね、ヨウィス選手。」

「あ、しょう」


ぞわわっ!

魔王宮第二層と観客席に寒風が吹き荒れた。

インタビュアーの賢者ウィルニアも顔を引き攣らせる。


渾身のギャグがすべったヨウィスは、むうっと唇を尖らせた。


「リヨンは、笑ってくれるのに。」


「それはともかく」

咳払いをして、ウィルニアは話をすすめた。


「ヨウィスさんはお怪我はいかがでしょう。」

「ここの医者には見せる気がない。はやく表につれていけ。」

「一番、苦戦した場面とか」

「最初にへんな長ゼリフを言わされたところ。」

ヨウィスは、頬っぺを膨らませて、自分の上司を睨んだ。

「あれは、なに?」


「わかるものだけ分かればいい。

追憶の断片だ。わかるものだけが分かればいい。」

遠くを見るように、ウィルニアはつぶやいた。


「勝手なこと言われても、わたしもわからん。」

と観客席のロウ=リンドがきっぱりと言った。

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