リンドは歌う
長い夜だ。
ルールス先生、いやルールス分校長の屋敷を出たあと、ぼくは少し歩くことにした。
リウはもう眠っただろうか。
あと何時間かで朝日が昇る。
ぼくは、暗闇の中をひとり、さまよった。
外側から見ると、ランゴバルド郊外の丘をひとつ、すっぽりと包み込むように建てられたランゴバルド冒険者学校は、実際は、それ自体で別の世界『迷宮入り』を構成している。
広さはまだ確認していないのだか、実際の面積ははるかに広いのでは、ないだろうか。
なにしろ、空を飛んでも壁がまったく見えないのだから。
学校やそれに付属する寮棟、闘技場や体育館などの施設をはずれて、ぼくは、鬱蒼と木々が繁った森を抜ける。
もちろん、街灯などは1本もない。
道は、凹凸だらけで細く、暗視の魔法をきかせないと、転びそう。そして転んだ拍子にまわりの木々の枝で、怪我でもしようものなら、容易に遭難できそうだ。
森を抜けると、木々がすこし疎らになったそこは、小高い丘を中心とした草原になっていた。
丘そのものは、木々に覆われていて、この暗闇のなかでは、かろうじてシルエットがわかるだけだ。
そのなかで。
ちらりと灯りが見えた。
当たり前の人間なら、そこになにか不吉なものを感じて回れ右したと思う。
あいにくと今宵のぼくは、不吉をいちいち感じてやるには疲れすぎていた。
草むらを風が吹き抜ける。
気温はかなり寒い。
ぼくは、シャツ一枚だ。風邪を引く前に戻るか。
そう思ったときに、風にのって歌声が流れてきた。
ほんとうに「歌う」ことを生業にするものの、朗々たる美声ではない。
日々の生活につかれたものが、眠れぬ夜にふと口ずさむ歌だ。
ぼくは、その声に聞き覚えがある。
リンドの声、だった。
声に導かれるままにぼくは丘を登った。
短い髪の真祖は、タートルネックのセーター。飾り気のないその顔は少年のようにみえたが、胸の膨らみがそれを裏切っている。
小さなギターに似た弦楽器を爪弾いていた。
空を見上げて、唱う歌は、夜空に吸い込まれていった。
「鎮魂歌・・・のつもりか?」
「いいや。」
ロウは、空を見上げたまま。吐く息が白いのは、わざとそうしているのだろう。
「千と三百年前に中原の港町ではやった歌だ。
スキだった歌なんだが・・・忘れていたな。『#紅玉の瞳__ボス__#』に会うまでは。」
ロウの座る前には、小さな白い石がひとつ置かれていた。
「『紅玉の瞳』の遺体を埋めたのか?」
「そうだな。あとでエミリアも連れてきてやろうと思う。どこに埋めたのかわからなくなると困るから、石をひとつおいたよ。」
ぼくは、となりに座った。
小さな焚き火は暖をとるためのものではなさそうだった。
燃やせるものは燃やしてしまおう。
そう思ったのだ。と、ロウは言った。
「ひどいもんだよ。」
怒りを感じる口調でロウは言った。
「ひどい義足、ひどい義手、制御のための補助頭脳もひどい。あれでは動くのがせいいっぱいだったろう。
よく、エミリアをひっぱたけたもんだ。
もう・・・」
ロウは、なんと言ったら良いのかわからない、といったふうにうつむいた。
「・・・『紅玉の瞳』は、もう残っていない。彼女の最期の意思が動かしていた人形だ。」
「最期の意思?」
「ロゼルの一族を存続させたいとの意思だろうな。あとはいくつかの生前の彼女の行動や思考を模倣するように調整された魔道頭脳・・・」
ロウは、首を振った。
「ひどいもんだよ。なあ、ルト。人間はこの千年で進歩したのか?」
「魔道人形のことなら、現代では失われた技術だな。」
ぼくは言った。
「ランゴバルドはこれだけ電気が普及していても、ウィルニアの蓄電池はまったく使われていない。
原理的にも製造にもそれほど難しい技術ではないにもかかわらず、だ。
伝承がなければ技術も知識も容易に途切れる。」
「当時もいまもわたしはここにこうしているというのに!」
泣き叫ぶようにロウは言った。
「わたしの周りのものだけがわたしを追い越していく。わたしだけを残してわたしだけをおいてすべてのものが消えていってしまう。わたしは・・・」
両手で顔をおおってうつむいたロウは、指の間からちらりとぼくを見た。
「・・・慰めてもらってもいい? 寝室をドロシーに明け渡してきたんだった。このままここで?」
「よくない。」
「そうだよな。ちょっと寒いよな。」
「そういう問題ではない。」
「やっぱりお墓のまえだと興奮しないか?」
ロウが目ざとくぼくが脇においた紙包みを手に取った。
「・・・ルト!! こんな準備のいいことしなくてもっ! 吸血鬼と人間では子どもなんてまずは出来ない。」
「ルールス先生に持たされたんだ。」
そうかそうか、と言いながら、セーターを脱いだ。
形のいい乳房が溢れる。ロウはあまり下着を付けない。
元々下着には体型を矯正したり正しい位置に固定して動きやすくする意味があるのだろうけど、ロウにはそんなものは必要ない。
身もふたもないことを言えば、彼女には分泌物も排泄物もないから。
裸の上半身をオレンジ色の炎がいっそう艶かしく照らした。
「大丈夫だよ。噛んだりしないから。」
ぼくは、ロウを抱き寄せて、唇にキスをした。
その感触が冷たいのは仕方ない。
「わたしはルトを困らせてるね。」
「わかってるんなら、ドロシーをけしかけないでほしいんだけど。」
「まあ、その時が来たら、わたしも仲間に入れてほしい。それくらいの時間は待つ、けどね。」
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