第72話、その日に起きたこと その1

校門の脇で待っていたドロシーは、ぼくとエミリアを見つけて、手を振った。

細身の体によく似合う青いジャケットとスラックス。


襟のないジャケットから鎖骨のラインが覗く。

シャツも用意させるんだった。

あの下が、いきなりあのとんでもボディスーツだとすると、あまり飛んだり跳ねたりはして欲しくない。


エミリアも制服を脱いで、入学試験の時に着ていた貫頭衣のような衣装に着替えていた。


とりあえず、博物館が回してくれた馬車に乗り込んだ。


「ずいぶん、待遇がいいね。」

とドロシーが意外そうに言った。

「わたしたちは、半分、研修目的のお手伝い要員でしょ?」


「副館長のニフフさんが、ぼくのことをずいぶんと買ってくれてるんだ。」


「黒蜥蜴・・・・現れるかな。」


エミリアがぽつり、と言った。


「なぜ?」


「ここ何日か、犯行予告のパフォーマンスをやっていない。」


「そうだっけ?」


「『勇者像の広場』に現れたのが、最後よ。わたしの・・・」

エミリアは口ごもった。

「知り合いが追い詰めたんだけど、転移で逃げられたって。」


「黒蜥蜴が転移魔法!?」


ドロシーが驚いたように口を出した。


それが当然の反応で、転移を使える魔法使いなど、街に一人いればいい方で、その用途はせいぜい脱出のための非常手段だ。

体育館まで歩くのがめんどくさいという理由で、転移を使うのは、ぼくらの中でもギムリウスとロウくらいのものだった。

ドロシーが、ロウの特訓に付き合いすぎて妙な常識を身につけていないか心配だったが、健全だったようだ。


「もうちょっとのところまで追い詰めたらしいけど、突然、空間の裂け目に飲み込まれたように姿を消したんだって。」


「ちょっと、ちょっと。

転移魔法が使える術者から、何かを守り切るなんて不可能なんじゃない?」


ドロシーが言う。


「転移と言ってもあらかじめ、用意した座標に対して、魔法陣などの補助を使って、まあ、たいていの場合は、片道で飛ぶのが精一杯だから。」


「そうか・・ロウさまは特別なんだね。」

言いかけて、気がついたように

「それならロウさまやリウ、アモンが来てくれればもっと確実に『神竜の鱗』を守れるのに。」



それからしばらくは、たわいもない話で盛り上がった。

武器のクラス、エミリアは当然棒術を取るとばかり思っていたら、なんと片手剣を学ぼうと思っているらしい。

棒術は、この若さで達人クラスなのだが、先日の決闘騒ぎで他の武器の習得の必要性を痛感したらしい。


一方、ドロシーは、街で見つけた簡単クッキングの本を熱く語った。

いわゆる、クエスト中に、迷宮探索の中でも簡単に調理が安く、早く、美味しくできる。という触れ込みのベストセラーだった。

だが「迷宮の中でも」は全くのウソ、だ。

と、ドロシーは力説した。

「そりゃあ、納屋を丸ごと収納できてれば、別だけど。」

とドロシーは言った。

「どう考えても調味料だけで21種類は多すぎる! それだけ広い台所に住める主婦もそんなにいないのに。」


すまん。それ、書いたのヨウィスだ。あいつの収納は、ランゴバルドの公設市場くらいはあるんだ。


博物館前で馬車を降りると、ちょうど警備兵と打ち合わせをしていた「暁の戦士」所属の鉄級冒険者ブルッセルに出会った。


「よお、待ってたぞ、学生。そっちの二人はパーティ仲間か? ハーレムパーティって奴だな。」

そう言って笑うので、ぼくは慌てて否定した。


「こっちのドロシーは貴族の御曹司の婚約者です。エミリアの方はうちのクラスのボスの恋人なんで、へんな噂たつとこまるんですけど。」


「で?

だれの女かはともかく、使えるのか?」


そう言ってブルッセルは、ポンとドロシーの肩を叩いて、硬直した。

叩いた彼の手が。ドロシーから離れない。

触った手を、瞬時に凍りつかせたのだ。そのまま、身体を密着させると、ブルッセルのドロシーの倍はありそうな体躯がくるりと宙を一回転した。

地面に尻もちをついたブルッセルの首元に、ピタリとエミリアの棒の先端が突きつけられていた。


「わかった、わかった。」

ブルッセルは素直に感心しているようだった。

「最近は、冒険者学校はずいぶんと対人戦闘に力を入れてるんだな。確かに稼げる迷宮が、『邪神窟』『夢幻回廊』『魔王宮』。

行くだけで不便なところばかりじゃあ、それも正解か。」


男らしい笑みを浮かべて立ち上がると、彼はあらためて、よろしく頼む、とあたまをさげた。


「俺は『暁の戦士』リーダーのブルッセル。鉄級で主に護衛任務をやっている。冒険者学校の出身だから、おまえらの先輩にあたる。」


「ドロシー=ハートです。」

「エミリアです。よろしくお願いします。」


「うむ、よろしく。」


そろそろ閉館する美術館を、ぼくたちはブルッセルさんに先導されて、三階の一角に進んだ。

ランゴバルド育ちのドロシーは何度か来たことはあるが、隠し部屋には気が付いておらず、びっくりしていた。


ニフフ老は気負うこともなく、ぼくらを笑顔で迎えた。


「さて、日付がかわるまではまだじかんがある。段取りを説明しておこう。

飯は食ったか?」


「はい、学食で食べてきました。」

と答えると、いやあ、懐かしいなとブルッセルは相好を崩したが、その話題には深いりせずに、打ち合わせに入った。

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