第50話 羅刹

「フォシア!」


 声を発したら時は遅かった。もうフォシアは空に身を躍らせている。


 十メートルを超す高さを自由落下。音もなくフォシアは地に降り立った。


 身を乗り出そうとし、必死になって俺は自制した。フォシアの意図を察したからだ。 


「女だ!」


「先ほどの声はこいつか!」


 騎士たちの叫びが響いた。その叫びの内容が、すなわちフォシアの意図だ。


 囮となる。それがフォシアの狙いであった。


 フォシアを放ってはおけない。今すぐ飛び下り、フォシアのもとに駆けつけたい。けれど──。


 それはしていけない。それはフォシアの想いを無碍にすることだから。


 フォシアのためにも、俺はやらなければならなかった。今、俺にできることを。


「ミカナ、ミーラ、いくぞ」


 俺は倒れているポリメシアを担ぎ上げた。ロープを回収。城壁を移動する。


 俺が足をとめたのは門から離れた位置だ。見下ろし、騎士の姿を探す。


 いない。門にかたまっているようだ。


「しっかり握ってるんだ」


 ミーラにロープの端を握らせた。本当は身体にくくりつけて地に下ろしたかったが、切れてしまったので長さが足りなくなったのだ。


「わかりました」


 うなずき、ミーラはロープの端をつかんだ。ゆっくりと城壁から下ろす。


「次はミカナだ」


 俺がいうと、ミカナがロープをつかんだ。バレートを失い、狼狽しているだろうに健気に微笑もうとさえしている。


「絶対に俺が守るから」


 微笑み返し、俺はミカナを城壁から下ろした。



 ハルトたちが姿を消したのを確認し、フォシアは騎士たちに目を転じた。すでに騎士たちは彼女の存在に気づいている。


 というより、フォシアはわざと気づかせたのだった。ハルトたちを逃がすために。


 ハルトは三人の女を抱えている。彼女たちを守りながら逃げることは困難であった。


 騒ぎを大きくし、ハルトたちの逃走を助ける。それがフォシアの狙いであった。


 フォシアは飛ぶように走った。血まみれのバレートに駆け寄る。


 開かれたままの瞳に光はない。屈み込んで手をあてると、心臓は沈黙していた。死んでいるのだ。


 フォシアは蘇生を諦めた。彼女の神秘の血でも死者を復活させることはかなわない。


 すう、とフォシアは立ち上がった。美麗な顔がぎしぎしと細く尖っていく。


 バレートはハルトが初めてできた仲間だった。その仲間をよくも──。


 人間に干渉することは禁じられている。けれど、ハルトの敵なら別だ。最小限ならかまわない。


 その時、騎士たちがフォシアを取り囲んだ。全員、剣をひっ下げているが、彼らに殺気はなかった。


 騎士たちの目が驚愕に見開かれている。フォシアのあまりの美しさに驚いているのだ。


 その騎士たちの目に光がうかんだ。情欲の光である。


 ちらりと騎士たちは目を見交わした。


 暗黙の了解。一瞬で彼らはフォシアを犯すことに決めた。このような場合でなければ抱くことのできない美少女である。犯すことに躊躇いはなかった。


 必要なら拉致監禁し、好きな時に陵辱できる肉人形にすればいい。問題が起こりそうなら逃亡者であるとして殺して口を封じればいいのだ。


 騎士たちは下卑た笑みに顔をゆがませた。獣以下の下劣な連中である。


 動かないフォシアに、騎士たちは怯えてすくんでいると解釈した。つかまえようと一人が手をのばす。


 無造作な行動。


 誰が大勢の騎士に取り囲まれた少女が抵抗すると思うだろうか。騎士が不用意に近づいたとしても責められなかったろう。その代価を騎士は片腕で支払うことになるのだが。


 騎士の腕をフォシアは掴んだ。たやすく捻り、引きちぎる。切断面から噴水ように鮮血が噴いた。


「ぎゃあ!」


 遅れてやってきた激痛に騎士が悲鳴を上げた。


 目の前で起こったことの意味が咄嗟に理解できず、他の騎士たちは呆然と立ちすくんだ。ようやく行動に移ったのはフォシアが騎士の顔面にちぎった腕を叩きつけた時だ。


 声をあげえず騎士は昏倒した。はじかれたように他の騎士たちがフォシアに襲いかかる。


 この時に至っても、まだ騎士たちはフォシアをとらえるつもりであった。とらえて陵辱するつもりである。それほどフォシアの美しさは超越的であったのだ。


 それが間違いだった。


 剣ももたぬ騎士などフォシアにとっては小鼠を蹴散らすようなものであったから。いや、たとえ騎士たちが剣を抜いていたとしてもたいして違いはなかったろうが。


 フォシアは颶風と化して騎士たちを襲った。殺すつもりはないが、ただで生かしておくつもりもなかった。今宵のフォシアはとてつもなく残虐な気分のようである。


 フォシアは他の騎士たちの睾丸を蹴り潰した。背骨を折る。目を潰した。


 騎士という名の下衆どもを、二度と騎士の立場に戻すつもりはなかった。下衆は下衆らしく、一生地べたを這いずりまわっていればいい。


 騎士たちはみじめたらしく泣き叫んだ。耳にした城壁外の騎士たちが何事かと動き始めだしたようだ。門が重い音をたてて開いた。


 これをフォシアは待っていたのである。城壁外の騎士をおびき寄せることができればハルトたちは逃げやすくなるだろう。


 城壁内に駆け込んできた騎士たちは息をのんだ。血まみれの騎士たちがのたうちまわっていいるからだ。


 遠くから足音が響いてきた。別の騎士たちもまた駆けつけようとしているのだ。


 面倒そうにフォシアは頬をかいた。


 騎士たちの数が多い。多すぎる。手加減していてあしらえる数ではなかった。


 かといって本気を出して戦うわけにはいかなかった。さすがにそれは見逃してもらえないだろう。


 人間とかかわると、やはりろくなことにはならない。ろくなことには──。


 フォシアはちらりと城壁を見上げた。今頃、ハルトはどうしているだろうか。上手く脱出できただろうか。


 ハルトを思うだけで胸が高鳴ってくる。さっきわかれたばかりなのに、もう寂しくてたまらない。逢いたくてたまらない。


 ハルトと離れて、フォシアははっきりとわかった。自分はハルトに恋していると。


 今までフォシアは人間に恋したことなどなかった。恋した者を知ってるはいるが、そんなこたは信じられなかった。が、今は違う。


 どうして、こんなにハルトのことが恋しくなったのかわからない。思えば初めて会った時から恋が始まっていたのだと思う。まるで魔法にかかったように恋していたのだ。


 しかし、今はそうではなかった。きっかけはハルトのもつ魔力めいた魅力であるのかもしれないが、それからはハルトの人柄に惹かれた。だから、今は大きな声ではっきりといえる。


「わたしはハルトが好き!」


 騎士たちがびくりと身をすくませた。突然、フォシアが叫んだからだ。何がなんだかわからない。


 そんな騎士たちの様子とは関係なく、フォシアは楽しそうに微笑んだ。


「さあ、追いかけっこしましょ」

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