第31話 襲撃
「ヒトゥウス将軍」
呼び止められ、がっしりした体躯の壮年の男が足をとめた。
「……タニハラ殿か」
ふりむくと、男──ヒトゥウスは訝しげに目を細めた。彼を呼び止めたのが異世界人である賢一であったからだ。
異世界人はエーハート王国にとって貴重な人材であるため、無論、ヒトゥウスは顔くらいは知っている。が、特段、言葉をかわすほど顔見知りというわけでもなかった。
それなのに異世界人ほ方から声をかけてくる。どういうわけだろうとヒトゥウスは思った。
「何か用かな?」
「いえ、用というほどでは」
賢一は愛想笑いを顔にうかべた。冷淡な人間ではあるが、そのくらいの分別は持ち合わせている。
「難しい顔をされていらっしゃるので、何か心配事でもおありになるのではないかと思いまして」
「いや、心配事などはないが」
眉一筋うごかすことなくヒトゥウスはこたえた。
「それならいいのですが」
「失礼する」
軽く会釈すると、ヒトゥウスは歩き去っていった。
その背を見送る賢一の目に光が宿った。ひどく冷たい光が。
「服部か」
背をむけたまま、賢一はいった。背後に立っていた結菜が嫌悪に顔をゆがめた。
「勝手に心を読まないでくれるかな」
「おまえこそ背後にこっそり転移するな」
冷たく賢一は言い返した。ふん、と結菜が鼻を鳴らす。
「相変わらずひっそりと忙しそうね。情報収集で」
「戦いの帰趨を決するのは情報だ。情報戦を制した者が勝利を得る。この異世界で生き残るためにはあらゆる事を知る必要があるんだ」
「で、ヒトゥウス将軍からはどんな情報を得たの?」
「エーハート王国辺境での蛮族にてこずっているらしい」
「エーハート王国が? 蛮族なんかに? 蛮族って少数部族なんでしょ?」
「だからだ」
賢一は皮肉に笑った。
「少数部族などに大層な軍勢を動かすことはできない。が、少数部族は精強だ。だからてこずっているんだろう」
「ふうん。将軍様もなかなか大変そうね。助けてあげたら。恩にきるかもしれないわよ」
「考えてる」
賢一は薄く笑った。
マロロアからグネヴァン帝国にむかう街道は大きい。グネヴァン帝国に続く唯一の街道であるので、旅人の数も多かった。
石畳も途切れ、整備されていない道をごとごとと揺れながら馬車が走っている。乗っているのは俺とバレートたち、そしてソイアとミベニアだ。
馬車はソイアが仕立てたものである。馬車を使えばグネヴァン帝国には三日で着くという。
「どうした?」
御者台の隣に座したミベニアが、俺に気がついてふりかえった。
「景色を見るついでに見張りを、ね」
俺はこたえた。
馬車は緩やかに走っているので、揺れはひどくない。そうでなければ舌を噛んでいただろう。
後ろではバレートのはしゃいだ声がしている。馬車で旅するのも、エーハート王国を出るのも初めてであるからだ。
ミベニアが苦笑した。
「バレートは楽しそうだな。わからんでもない」
「そうだね」
俺は同意した。ミベニアもまた退屈から逃れるために故郷を捨てた旅人であった。
「フォシアのことだが」
ふいにミベニアがいった。
俺は戸惑ってミベニアを見つめた。フォシアのことを話し出した真意をはかりかねたのだ。
「フォシアがどうかしたの?」
「彼女とは親しいのか?」
「親しい?」
俺は首をひねった。
フォシアとは先日出会ったばかりである。特に親しいというわけではなかった。
そのことを告げると、ミベニアは小さくうなずいた。
「フォシアのことが気にかかるんですか?」
俺が問うと、ミベニアはまたもや小さくうなずいた。
「ああ。不思議な少女だからな。どこか人間離れしているところがある」
ミベニアがいった。今度は俺がうなずいた。確かにフォシアにはそういうところがある。強さにおいて、美しさにおいて。
それきりミベニアは黙った。俺もまた。
しばらく馬車は走り続けた。電車でよくあるように、俺はいつしか居眠りをしていたようである。バレートたちの話し声を子守歌として。
突然、馬車がとまった。危うく倒れそうになり、俺は何とか馬車につかまった。
「あれは……」
馬車の前。道をふさぐように別の馬車がとまっている。乗客と御者らしき男たちが立っていた。
「どうかしたのかね?」
俺たちの馬車の御者が声をかけると、とまっている馬車の御者らしき男が笑った。
「車輪がいかれてな。今、修理を終えたところだ」
「そいつは良かったな」
御者が応じた。
その時だ。背後で叫ぶ声が響いた。ポリメシアのものだ。
「なんなの、あんたは?」
俺は慌ててふりむいた。馬車の幌をめくり、一人の男がのりこもうとしているのが見えている。男の手には短剣が握られていた。
突然のことにバレートたちは呆然としているようだ。いや、フォシアのみ違った。はね上がると、男に蹴りを叩き込む。
爆発が怒ったような衝撃に、男が吹き飛んだ。ようやくわれに返ったバレートが立ち上がる。
その時、前方からも敵が迫っていた。御者と二人の客だ。
ミベニアがとびおりた。やや遅れて俺も。
「ハルト、できるか?」
ミベニアの問いに、ああ、と俺はことえた。
暴漢と闘った時の感覚。それはまだ身体に残っている。
やれる。やれるぞ。
俺は一人の襲撃者に迫った。一気に肉薄する。
襲撃者が短剣で切りかかってきた。
素早い動きだ。素人の俺にでもわかる。こいつらは戦い慣れていた。手練れというやつだ。
けれど俺には見えている。はっきりとこいつらの動きが。
俺は迫る短剣をするりと躱した。身を躍らせる襲撃者の首筋に手刀を叩き込む。一撃で襲撃者が昏倒した。
「ほう」
ミベニアが感嘆の声をもらした。俺の戦いぶりを見ていたようだ。
「ここは任せたよ!」
ミベニアに告げると、俺は馬車の後方にむかって走った。襲撃者のほとんどはそこにいると踏んだからだ。
その推測はあたった。後方に五人の襲撃者がいる。一人、倒れているのがいるが、フォシアが蹴り飛ばしヤツだろう。
バレートは馬車からおりていた。剣を抜き払い、襲撃者たちを牽制している。
が、まるで相手になっていないのは素人の俺から見ても明白だった。俺やバレートと違って、襲撃者はプロであった。
馬車の中からポリメシアが魔法で援護していた。そうでなければとっくにバレートはやられていただろう。
フォシアは?
俺は視線をはしらせた。ソイアを守るようにしてフォシアは馬車の中にいる。
「ハルト!」
俺をみとめ、バレートの顔が輝いた。
「ミベニアは?」
「襲ってきたやつと戦っている。一人は俺がたおした」
俺はこたえた。
襲撃者たちに動揺の波が伝わったようだ。プロである彼らが、すでに二人やられている。
俺は襲撃者の一人に駆け寄っていった。襲撃者が瞠目する。俺の襲撃速度に驚いているのだろう。
「あっ」
俺は身体の異変を感得した。エンジンの駆動がとまったような感覚だ。
まずい。
思った時は遅かった。襲撃者の短剣が俺めがけてはしってきた。
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