第32話 その時、キスは奪われた

 先ほどまでの感覚とは違う。俺には襲撃者の短剣の動きが見えなかった。


 死ぬ。


 俺は悟った。俺の命を刈り取る光がひらめく。


 瞬間、衝撃が俺を襲った。たまらず俺は近くの藪の中に転げ込んだ。


 その時になって俺は気づいた。突き飛ばされたのだと。


 突き飛ばしたのはフォシアだった。ややきつめの可愛らしい顔が俺の目の前にある。


「フォシア、何を──」


「ハルト。強くなりたい?」


 フォシアが真剣な目で俺に尋ねてきた。


 こんな時に何をいっているんだろう。今、この時、バレートたちは危機に陥っているのに。


「フォシア、そんなことは後で」


「ハルト、強くなりたい? なら、わたしが強くしてあげる!」


 フォシアがいった。何か言い返そうとして、俺はやめた。そうせざるを得ないほどのフォシアの真剣な眼差しだった。


「強くなりたい!」


 俺はこたえた。するとフォシアの目の光が強まった。上気したように頬が赤らんでいる。


「なら、キスして」


「キ、キス!?」


 俺は目を白黒させた。何を突然言い出すのかと思ったのだ。キスと強さとの関係がまるでわからない。


「そう。キスよ。早く!」


「で、でも」


 俺は狼狽した。


 こんな時にそんなことをしていいのかわからないし、またキスしたことないので、いまいちやり方がわからないからだ。


「もう! 仕方ないわね!」


 じれったくなったのか、ぐいとフォシアが俺の胸ぐらをつかんで引いた。フォシアの蕾のような唇が近づいてくる。


 柔らかな感触が俺の唇をおおった。花のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。


 唇を割って、何かが口の中に入ってきた。それがフォシアの舌であると気づくのに少しかかった。フォシアの舌が俺のそれをからめとる。


 ごくり、と俺は喉をならした。フォシアが唾液を送り込んできたからだ。


 すう、とフォシアの唇が離れた。その時になって、ようやく俺は目を開いた。少女のように俺は目を閉じていたのだった。


 フォシアは恥ずかしそうに目を伏せていた。嬉しそうに微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。


「フォシア……」


 俺はあえぐような声をもらした。胸がドキドキして張り裂けそうである。


 なんといってもファーストキスであり、相手は絶世の美少女であるフォシアなのだ。胸が高鳴らないほうがおかしい。


 その時だ。俺は異変を感得した。


 あの時の感覚。高性能のエンジンが駆動しはじめた感触がある。


 強くしてあげる。フォシアはいった。


 それは、こういうことだったのだ。からくりはわからないが。


「いくよ、フォシア」


 告げると、俺は飛び出した。ミベニアが参戦している。馬車前方で相手していた襲撃者を始末したのだろう。


 バレートが倒れていた。手傷を負っている。


 怒りが腹の底から湧き上がってきた。血が奔騰し、さらに活力があがる。


 俺はバレートにとどめを刺そうとしている襲撃者に飛びかかった。


 気づいた襲撃者が振り返ろうとしたが、遅い。俺は拳を襲撃者の顔面にぶち込んだ。


 血を口からまきちらし、襲撃者が倒れた。残りは四人。


 ミベニアが相手をしているので、実質は三人だ。


 仲間がやられたことを知った二人の襲撃者が俺に殺到してきた。同時に襲いかかってくる。


 俺から見ると、動きは鈍い。彼らの刃を余裕で躱すと、俺は襲撃者たちの首と腹にパンチを叩きつけた。


 強化された俺のパンチだ。たまらず襲撃者たちが昏倒した。


 残りは二人。いや──。


「おい!」


 一人が声をかけた。するとミベニアと対していた襲撃者が跳んで離れた。背を返して走り去っていく。


 声をかけた男も一緒だ。勝ち目がないと判断し、逃走するのだろう。


 ミベニアは追わなかった。無理をして始末する必要はないと判断したに違いない。


 襲撃者の正体が知りたければ倒した者たちがいる。彼らを尋問すれば襲撃者の意図が知れるだろう。


「うっ」


 ミベニアがうめいた。襲撃者の状態に気づいたからだ。


 襲撃者の口からたらたらと血がしたたり落ちていた。毒を飲んだのだ。


 即効性の致死毒。みるみる襲撃者たちの顔が土気色になっていく。もはや助からないだろう。


 とらえられて口を割らないように訓練されているのだ。襲撃者はやはりプロであった。あらためて俺は寒気を覚えた。


「目的はソイアだな」


 ミベニアがつぶやいた。


「ソイア?」


「ああ。これだけの手練れの集団だ。馬車を狙った盗賊などではあるまい。そのような集団が狙うとなればソイアしかあるまい」


「首謀者は誰なんだろう?」


 俺は疑念を口にした。するとミベニアは苦く笑った。


「さあな。心当たりなら幾らでもある。エーハート王国の者、グネヴァンの者。様々だ」


「グネヴァンの者?」


 さすがに俺は驚いた。が、平然とミベニアはうなずいた。


「権力者の周辺は常にきな臭い。油断などできないというのが本当のところだ。覚えておいた方がいい」


 ミベニアはいった。


 放浪し、きっといろんなものを見てきたのだろう。経験に裏打ちされた言葉は重みがあった。


「ともかく今回は切り抜けられたようだな。感謝する。やはりおまえたちに護衛を頼んだのは間違っていなかったようだ」


 ミベニアの顔にようやく笑みがういた。

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