第16話 今夜は、ここ
「ここがいいかな」
フォシアが足をとめた。
店の前。扉が開いているので、中は見えていた。
椅子とテーブルが幾つか。客らしき男女が席につき、肉やパンのようなものを食べている。ワインを思わせる赤い酒らしきものを飲んでいる者もいた。
居酒屋のようなものか?
俺は察しをつけた。
「食事をするのかい?」
俺は訊いた。
この世界に転移して、食べたのは串に刺した肉だけである。腹は減っていた。
「食事はするけど、それよりも」
フォシアは建物の二階を指し示した。
店は二階建て。上階は宿屋になっているらしい。
「今夜はここに泊まるわよ」
「ああ」
俺はうなずいた。日常生活については、この世界に住んでいるフォシアに従った方がいい。
店に入ると十七歳ほどに見える少女が出迎えてくれた。泊まりたいと告げると、でっぷりと太った店主が鍵を渡してくれた。
「二部屋必要なんだ」
渡された鍵が一つなので、俺はいった。フォシアた同じ部屋というわけにはいかない。
が、店主は首を横に振った。
「部屋は一つしか空いていないんだ。いいじゃないか。あんたら恋人同士なんだろ」
店主は意味ありげにニヤリとした。
俺は慌てて否定した。フォシアのような美人と恋人同士なんておこがましいと思ったのだ。
きっとフォシアも困惑しているだろう。
ちらと窺っては見ると、フォシアはまんざらでもないように微笑していた。頬がうっすらと赤く染まっているのは気のせいだろうか。
「ええ、そうよ」
俺がこたえるより先にフォシアが鍵を受け取った。
「でも、先に食事をしたいの」
フォシアがいった。すると少女がテーブルに案内してくれた。
椅子に座ると、他の客の視線が集中していることに気づいた。
異邦人の俺が珍しいのだろう。が、それだけではなかった。
視線は主にフォシアに集まっていた。見惚れているのだ。フォシアが美しすぎるのだった。
フォシアはそんな視線を微風のように受け流していた。いや、感じてすらいないのかもしれない。
もしかするとフォシアは自身がとんでもなく美しいということをわかっていないのかもしれなかった。
そんな事を考えているうちに、食事が運ばれてきた。パンのようなものと肉と野菜を煮込んだものだ。シチューのようなものなのだろうか。
俺はパンのようなものをちぎって口に運んだ。
味はパンに似ている。が、硬い。ふわふわのパンに慣れた俺には馴染めない硬さだ。
煮込み料理は美味しかった。
味つけは塩と香辛料だけだろう。けれど肉と野菜の旨味が汁に溶けだしていた。
俺はパンを煮込み料理につけて食べた。硬いパンもこうすれば美味しく食べられる。
食事を終えると、俺たちは二階にむかった。部屋は一番端だ。
借りたカンテラをかざして廊下を進む。電気照明と違い、たいして光量はない。
ドアにかかった錠を鍵で解く。ドアを開け、カンテラの光に浮かび上がる部屋を見回した。
「あっ」
俺は息をひいた。
窓際にベッドがおかれているのだが、たった一つしかないのだ。
ツインだと思っていたが、どうやらダブルの部屋であるようだった。ベッドは大きく、二人で眠ることはできそうなのだが。
「あわわ」
俺は慌てた。まさか今日会ったばかりの女の子と同じベッドで寝るわけにはいかない。
俺はため息を零した。ソファもないこの部屋では床に寝るしかないだろう。
「ハルト」
フォシアが俺に顔をむけた。ベッドが一つきりであることに驚いた様子はない。
「な、何だい?」
どぎまぎしながら俺は問うた。
「桶にお湯をもらってきて。それと身体を拭う布も」
「桶にお湯?」
「そう。ベッドに入る前に身体を拭きたいの」
「風呂はないのか?」
怪訝に思って俺は訊いた。宿なら風呂の一つくらいはあるだろうと思ったからだ。
「風呂?」
フォシアが小首を傾げた。
「そう、風呂。お湯がたっぷりある大きな容器に浸かって汗を流したりするんだけれど……」
きょとんとしたフォシアの顔。どうやらムヴァモートに風呂はないらしい。
「沐浴はするけれど」
フォシアがいった。水浴びのことだ。
「わかった。お湯をもらってくる」
俺は階下にむかった。店主に頼み、湯をもらう。
「もらってきたよ」
部屋に戻ると、俺は桶をおいた。
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