第7話 フォシア
何が起こったのか、瞬時に俺には理解できなかった。事態を悟ったのは、四足の獣が地に降り立った時だ。
それは白銀の体毛が輝く犬に似た獣だった。
が、犬にしては大きく、精悍で、より戦うことにむいたしなやかに体躯をもっている。狼といった方が近い獣だった。
「な、なんだ、こいつ?」
男の一人が獣を睨みつけた。その手には短剣はない。
「ううるる」
獣は男たちにむかってうなり声をあげた。威嚇しているのだろう。
俺はわけがわからず座り込んだままだった。獣が何故男の短剣をはじいたのか──。
「こいつ、何しやがるんだ。邪魔すると殺すぞ!」
威嚇するように二人の男が短剣を閃かせた。が、獣はたじらぐことなくうなり声をあげ続けている。
「ちっ。仕方ねえ。まずはこいつから始末するぜ」
二人の男が獣に躍りかかった。空を裂いて煌めく刃が突き出される。
とっさに俺の身体は動いていた。ほとんど無意識的な行動だ。獣を抱くようにかばった。
次の瞬間、衝撃が俺の背を襲った。次いで灼けつくような痛みが背に広がる。
刺されただとすぐに気づいた。なんとかしようと思ったが、身体が動かない。
何か大切なものが身体から流れ出る感覚。すぐに俺は意識を失った。
「あーあ、殺っちまったか」
血に濡れた短剣を手に男が苦笑した。同じように血のついた短剣を手にした別の男がふんと鼻を鳴らす。
「別にいいんじゃねえか。どのみち殺るつもりだったんだしよ」
「しかし、馬鹿だよな、こいつ」
短剣をはじきとばされた男が嘲笑いつつ、倒れ伏した晴人を見下ろした。
「ラダーを庇って自分が殺されてりゃあ、世話ないぜ」
「確かに馬鹿ね」
四つめの声がした。
はじかれたように男たちは辺りを見回した。そして思った。殺しの瞬間を見た者がいる!
がーー。
辺りに人の姿はない。殺人の目撃者はいないのだった。
「ど、どこだ? どこにいやがる!」
「ここよ」
再び声がして、慌てて男たちは振り返った。そして、見た。声の主を。
それは少女だった。
年齢は十六、七といったところだろうか。煌めく銀髪としなやかな肢体をもつ、野性味あふれる美少女であった。
「なんだ、お前は?」
「フォシア」
男の問いに、少女ーーフォシアはこたえた。
「フォシア?」
「そう。フォシア」
少女は倒れた春人を見た。そして苦笑した。
「かばう必要なんかなかったのに。それなのに命懸けで助けるなんて」
「何いってるんだ、こいつ?」
男たちは怪訝そうに顔を見合わせた。その彼らの目に、次第に鈍い光が浮かび始める。殺意の光が。
「殺すところを見られたぞ」
「こいつも殺すしかないな」
「しかし」
男の目の光にいやらしいものがまじった。これは欲望の光であった。
「良い女じゃないか。すぐに殺すのは惜しいな」
「そうだな」
うなずきあうと、男たちは短剣をひらひらさせた。
「おとなしくしな。そうすれば楽に殺してやるからよ」
「馬鹿がここにもいた」
フォシアの笑みに嘲りの色がにじんだ。すると男たちの顔色が変わった。
「俺たちを馬鹿といったか?」
「そうよ。何もわからない大馬鹿者。楽に殺してやるって? 笑わせてくれる」
「ほう」
男たちは獰猛に笑った。そして短剣を握りなおした。
「いいだろう。嬲った後、あっさり殺してやろうと思ったが、やめだ。じっくり苦しめてから殺してやるぜ。助けてくれって泣き叫ぶ声を聞きながらな」
「誰が泣き叫ぶって?」
ぬっ、と男の眼前にフォシアの顔が現れた。いつ接近したのかわからない。
「なっ」
さすがに驚き、反射的に男は短剣を薙ぎつけた。が、短剣はむなしく空をうっている。
フォシアはわずかな身動ぎしただけであった。それだけで男の一撃を躱してのけたのである。
「すばしっこい奴め。しかし、いつまでも逃げられと思うなよ」
短剣を拾いあげた男がフォシアを睨みつけた。そして他の二人に目配せした。
「一斉にかかるぞ」
いうと、男が襲いかかった。同時に他の二人も。
短剣が閃いた。が、三条の光流は流れすぎるだけだ。
短剣の攻撃をことごとくフォシアは躱してのけた。まるで舞いを舞っているかのような動きである。
次第に男たちの息があがってきた。荒い息とともに男の一人が喘ぐようにいった。
「くそっ、どうしてとらえることができないんだ」
フォシアは確かに普通の少女には見えなかった。躍動的で野性味がありすぎる。が、三人の男の攻撃をかわせるほどの武術の達人とも思えなかった。
「それはあんたらがのろまだからよ」
フォシアは溜め息まじりの声で告げた。少し面倒になってきている。
「誰がのろまだ」
男が短剣を突き出した。フォシアがするとり身を躱し、突き出された男の腕をつかむ。
「だから、のろまっていったでしょ」
「うるさい! はな──」
男の声が悲鳴に変わった。フォシアが手に力を込めたからだ。
ベキリッ、と不気味な音がした。フォシアが男の腕をへし折ったのである。
すぐに男の悲鳴が途絶えた。フォシアの手刀を首筋に打ち込まれ、昏倒したのである。
あっ、と男たちが思った時は遅かった。疾風の速さで襲いかかったフォシアに瞬時に叩きのめされている。赤子の手をひねるとはまさにこのことだろう。
「まずい!」
フォシアは呻いた。少年のことを忘れていたのだ。
慌ててフォシアは少年──晴人に駆け寄った。胸に手をあてる。
「……治癒師のところに連れていっている暇はなさそうね。仕方ない」
フォシアは白い腕に歯をたてた。浅く噛み裂く。
フォシアの腕からたらりと血が滴り落ちた。それを晴人の口に押しつけた。
「飲んで。飲むのよ」
フォシアがいった。こくりと小さく晴人の喉が動いたようだ。
青白い晴人の顔に血の気がさした。生色が戻ってきている。
「ふう。これで大丈夫」
フォシアは安堵の息を吐いた。 それから改めて晴人を見つめた。
フォシアにはわかっていた。晴人がムヴァモートの人間ではないことが。
先ほどのことだ。晴人が胡乱な男たちに誘い込まれていることにフォシアは気づいた。本当なら放っておくところである。
人間の少年がどうなろうとかまうなというのが基本であった。今までもそうしてきたのである。
が、どういうわけか晴人だけは放っておけなかった。理由は良くわからない。
それで尾行した。殺されそうになったから、思わず飛び出してしまった。人間同士の争いに介入するという愚行をおかしてしまったのだ。
「どうしてなんだろ?」
可愛らしくフォシアは小首を傾げた。そのフォシアの頬が薄く紅色に染まっている。
そのことにフォシア自身は気づいてはいなかった。ただ胸が高鳴っていることはわかった。
晴人を見ているだけで身体が熱くなるのだ。血が奔騰しているのがわかる。
「どうしてなんだろ?」
再びフォシアは小首を傾げた。
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