第6話 追放

 呆然と俺は佇んでいた。

 

 石畳の街路。


 行き交う人々はムヴァモートの住人たちだ。人間だけでなく、エルフやドワーフと呼ばれる亜人たちも混じっている。


 五分前にエーハート城を追い出された俺にはもちろん行くところなんかない。だからこうして途方にくれて立ち尽くしているわけだが。


 その俺の手には小さな革袋があった。中には数十枚の金貨が入っている。


 安い宿屋に泊まるなら一か月はもつということだった。逆にいえば一か月しかもたないということだ。


 いきなり外国に放り出された心境だった。何をどうしていいのかよくわからない。


 その時だ。


 俺の腹がぐうと鳴った。どのような異常時であっても腹はやはり減るらしい。


 俺は辺りを見回した。露天が並んでいる。


 衣服やサンダル、壺や装飾品など様々な商品を扱っている露天があった。中には果物らしきものを並べている露天や肉を焼いている店もある。


 何の肉かわからないが、美味そうな匂いが俺の鼻孔に届いてきた。誘い込まれるように歩み寄っていく。


 露天の店主はごつい体格の男だった。見慣れない俺を見て一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに笑むと、


「美味いぜ。食ってけよ」


 と、すすめてきた。商売熱心な男である。


 男の前には七輪に似た土器の上で炙られている肉があった。じゅうじゅう音をたて、香ばしい匂いを辺りに漂わせている。


「新鮮メゴッヒの肉だ。美味いぞ」


「メゴッヒ?」


 何なのか、わからない。ムヴァモートの動物の一種であることは間違いないだろうが……。


 俺は深く詮索することをやめた。腹がとんでもなく減っていたからだ。


 とにかく何か食べたかった。きっと毒にはならないだろう。


 俺は人差し指をたてた。


「ひとつ」


「あいよ」


 店主は器用に木製の串で数切れの肉を突き刺した。


「五ナンドだ」


「ナンド?」


 俺は首を傾げた。エーハートの貨幣単価はわからない。


「ナンドがわからないのか? あんた、旅の人か?」


「ま、まあ、そんなもんです」


 俺は曖昧にうなずいた。本当のことをいっても笑われるに決まっているからだ。


「いくらもってるんだ?」


「これだけです」


 俺は袋を差し出した。開けてみて店主は目を丸くした。


「おいおい、こいつはラダーじゃないか」


 店主は困ったように顔をしかめた。それから台の下から壺を取り出し、中から銀貨を掴みだした。


「なんとか足りたな」


 数十枚の銀貨と銅貨を袋に詰め、店主は俺に突き出した。


 受け取ると、思わぬ重さに腕が下がる。こんなに重いのかと思った。


「こいつはいただいておくぞ」


 袋から金貨一枚をつまみ上げると、店主は金貨の入った袋を返してくれた。


「こいつに入れていくといいぞ」


 店主がボロボロの大きな袋を掲げてみせた。紐で口を縛るようになっている。


「ありがとう。助かります」


 袋を受け取り、金貨と銀貨のつまった袋を入れ、さらには肉を受け取り、俺は歩き出した。


 歩きながら、肉を口に運ぶ。


 何の肉かわからないところに不安は残るが、味は美味かった。芳醇な味わいの肉汁が口中に広がる。


 やや硬めの歯ごたえ。甘味のある味で、豚肉を思わせた。


「おい」


 背後から声がした。振り向くと、三人の男たちが笑いかけてきた。


 金髪と銀髪。瞳の色は全員蒼だ。エルフやドワーフなどの亜人ではなく、三人とも人のようだった。


「あの……何か?」


 俺が訊くと、三人のうちの一人が人懐っこく笑みを深めた。


「あんた、旅の人なんだろ?」


 男がいった。店主と同じように。よほど俺の外見が珍しいのだろう。


 まあ、当然だ。学生服を着ている者など、ここには見当たらない。


「え、ええ。まあ」


 俺は店主の時と同じように曖昧にこたえた。


「そうか。今、エーハートに着いたのかい?」


「は、はい」


「今夜はここに泊まるんだろう?」


「ええと」


 俺は迷った。特にどうしようと決めていたわけではないからだ。


 が、この国の外の状況がわからない以上、しばらくはエーハート王国にいたほうが良いような気がする。ともかくはどこかに落ち着きたかった。


「しばらくは滞在しようと思っています」


「そうか。なら、宿屋を紹介してやるぜ。良い宿屋を知ってるんだ」


 男は片目をつぶってみせた。どうやら男たちは客引きであるらしい。


 俺は迷った。男たちを知らないからだ。


 かといって、見知らぬ異世界で宿屋を探すことも、また泊まるためのやりとりも面倒な気もしていた。彼らの方から声をかけてきてくれたのは幸運であったかもしれない。


「それじゃあ、お願いします」


 俺がいうと、男はうなずき、ついてこいといって歩き出した。


 男たちが足をとめたのは、人通りの絶えた裏通りであった。表通り過ぎからどれくらい離れているのか、すでに俺にはわからなくなっている。


 少し不安になってきた俺は尋ねた。


「あの……宿屋はまだですか?」


「もう着いたよ」


 男の一人がいった。


 驚いて俺は辺りを見回した。宿屋らしき建物はどこにも見えない。


「あの、どこに宿屋が」


 いいかけた俺の顔にパンチがとんできた。咄嗟のことで、さすがに躱すことができず、俺の顔にパンチが炸裂した。


「あっ」


 たまらず俺は倒れた。すると男たちはニヤニヤしながら俺を見下ろし、


「どうだ、ベッドの寝心地は? さあ、早速宿代を払ってもらおうか」


 男の一人が俺の袋を拾い上げた。中から金貨と銀貨のつまった袋を取り出す。


「こいつはもらっておくぜ。礼に忠告しておいてやる。街中で大金を見せびらかせるもんじゃないぜ。悪いやつがたくさんいるからな」


 大笑すると、男たちは背を返した。慌てて立ち上がると、俺は袋につかみかかった。


「返せ!」


 俺は叫んだ。異世界で無一文になることは死に直結しかねないからだ。


「なんだ、こいつ」


 男が俺を振り払った。そして、腰に吊した短剣を抜き払った。


「面倒だ。殺っちまうか」


「そうだな」


 他の二人も短剣を抜き払った。ぎらりとした冷たい光が俺の目を射る。


「や、やめろ」


 情けなく声を震わせ、俺は後退った。


 男たちの目は冷酷そうに光っており、荒事には慣れていそうな物腰である。人を殺すという行為にためらいはなさそうだった。


「くたばりな!」


 男の一人の短剣が閃いた。


 次の瞬間である。短剣は宙を舞っていた。


 何が起こったのか、瞬時に俺には理解できなかった。事態を悟ったのは、四足の獣が地に降り立った時である。

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