第4話 合わない歩調

『もしもし。こんばんは、エプロンくん』

 

「こんばんは、塚本さん。ごめんね、遅くなって」

 


『大丈夫。で、話なんだけどこの間のエプロンのこと、エプロンくんの言う通りエプロンすれば良かったと思って』

 

「……え、なになに、急にどういうこと?」

 

『エプロンくんは、なんでエプロンした方がいいと思ったの?』

 

「え? 単純に汚れるからだよ。制服は安くないし、普通は替えがあるとも思えないしね。工芸は月曜日の一、二限だから帰るまでに時間もかかる。クリーニングには出せないし、時間が経った汚れって落ちづらいから」

 

『やっぱり。実はあの日お母さんがね、泥まみれの制服を見てもう鬼のように怒ったの。怒られながら、なんでかエプロンくんのことを思い出して。話したこともない女子にわざわざエプロンしないのか、って声かけるなんて、どんな人なんだろうって。布団に入ってから段々気になって気になって、気になり過ぎて気づいたの。私、エプロンくんの声しか知らないなって』

 

「そっか。……声か。なんだか複雑だなあ」

 

『なんで?』

 

「前に何かで見たんだけどね、人間って一番最初に声から失っていくんだって。生きていくのに、重要度が低いものから機能を停止していくみたいだよ。記憶も同じで、どんなに大切な人だったとしても、声の記憶から忘れてしまうらしいよ」

 

『言われてみれば、だいぶ前に死んじゃったおばあちゃんの顔は思い出せるのに、声はどんなだったか思い出せないかも。……あんなに大好きだったのに、なんでだろ』 

 

「でしょ? だから塚本さんも、エプロンくんの声しか知らないってことは声を忘れられた塚本さんの中のエプロンくんは、完全に消滅してしまうってことだね」

 

『うーん。でもそれって、関係が疎遠になったりしたらってことじゃないの? 私のおばあちゃんみたいに、死んでしまった、とか』

 

「そうだね、それは一理あるね」


『それに私は一生、エプロンくんの声を忘れることはないと思ってる』


「……」


『あ、違うか。忘れたくないの。エプロンくんの声、好きだから』


「……それは、どういう意味で?」


『そのまんまだよ。好きだって思う気持ちに意味も理由も必要ない。こじつけようと思えばできるけど、そんなものが必要?』

 

「ははっ、参ったな。なんかそれ、塚本節が効いてていいね」


『あれこれ理屈を捏ね回すのも嫌いじゃないけど、私は私が感じたことを優先したい。きっかけは声だけど、結局それは声だけじゃないってこと。つまりエプロンくんが、好きだよ。こんな気持ちになったの、初めてだからわかる。今すぐ付き合ったりしなくてもいい。どうせ私たち、結婚するから』


「……だいぶ話が飛躍するね」


『ひいた? 私、強情なの。だから、覚悟しておいてね』


「ははっ、大歓迎だけど、一ついいかな」


『なに?』


「まずは僕たち、お互いのことを知るべきじゃないかな。特に塚本さんは、もっと僕について知るべきことがたくさんあると思うよ」


『好きな食べ物とか、得意な教科とか……あ! 住所とか?』


「ははっ、そうだね。好きな食べ物はクリームシチュー。得意な教科は……そうだな、生物。住んでるのは東京都西東京市ひばりが丘、駅からそんなに遠くないよ。家族構成は両親と騒がしい兄貴が一人。でもそんなことよりまず知ってほしいことがあるんだ」


『例えば?』


「名前だよ。僕は塚本さんの名前を知っているけれど、塚本さんは僕の名前すら知らないんだ。僕ら、まずはそこからゆっくり始めよう。ゆっくり、沢山のことをお互いに知って、忘れられなくなればいいって思うんだ」


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泥に塗れて溺れたい 緒出塚きえか @odetsuka_kieka6

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