4.
ホログラフィック・パネル(注・この世界におけるスマートフォンのようなもの。)を操作し、
だが、私だけが一方的に彼女のことを知るのは不誠実な気がして、その直前でやめようとする。
しかし知らないということもまた誠実ではないと思える。少なくとも、咲良は私に向き合ってくれた。ならば、私もまた相応の態度で返すことが礼儀ではないのだろうか。
わからない。思考が渦巻いて堂々巡りに迷い込む。どこにも正解なんてものがないような気がしてくる。
本当はわかっている。
私は、私の好奇心を誰かに非難されたくないだけだ。
それを誰かを言い訳にして誤魔化しているだけだ。
その日も図書室に行くと、いつもと同じ場所に咲良はいなかった。
いつにない事態に、少々の焦燥を覚える。
彼女は常世の住人だ。いつ、いなくなっても不思議ではない。
だが、別れもいえずに会えなくなるのはもう嫌だった。
私は学校中を探し回った。
教室も体育館も音楽室も理科室も視聴覚室も行ける場所はとにかく全部探した。
けれど見つからず、時間はただ過ぎ去っていった。
冬の日没は早い。すぐに外は暗くなり、コンピューター室にたどり着いた頃には月が空に居座っていた。
欠けた月が明るい光で照らす室内に、彼女はいた。
この世界の物理法則とは異なる原理で“生きて”いる彼女は光も反射しないのか、月光が身体を透過していた。
本来実像を形作る光がその身体を突き抜け、光ではない像によって描かれる光景は、くらくらするような儚さを感じさせる。
現世ではありえない現象が起こり得るという矛盾。私と咲良の出会いも、またそうなのだろうか。
「咲良……」
「私を見つけてくれたんだ、
咲良の表情ははっきりと見ることができる。月を背にしながら影にならないその顔には、張り付いたような笑みが浮かんでいる。
「当たり前でしょ。あなたは私の友だちなんだから」
「……そっか」
咲良は笑ったまま短くつぶやいた。
いつもは饒舌な咲良も、今日は静かだ。
私は、覚悟を決めて口を開いた。
「……この前の話だけど」
この切り出しで、彼女には自身の死についてのことだと伝わったようだ。
「私は、あなたの死について知らないって決めた。誰かに聞けば、何かを調べれば、それはわかることかもしれない。あなたが私に向き合ってくれたのに、私があなたに向き合わないことは誠実じゃないかもしれない。だけど、私は他のなにかからそれを聞くことのほうが、ずっと不誠実だと思う。私は……」
そこで私は口をつぐんだ。
ずっとなんていえばいいか考えていた。考えても考えても正しい言葉はわからない。正しい言葉、なんてないのかもしれない。正解なんてものがないのと同じように。
それでも、私は信じていたい幻想にすがりついて、いうべきことを探す。
「私は今のあなたに向き合いたいから。過去じゃなくて、いま、ここにいるあなたと」
「……私が死んでいるとしても?」
「死んでいるか生きているかなんて関係ない。ここにいるあなたは、今しかない咲良だよ」
私が正しいと思って吐き出した言葉を聞いた咲良の顔からは笑みが消えていく。
眼を細めてこちらを見つめる彼女はおもむろに話し始めた。
「今の私を見てくれているなら、向き合うというなら、私の気持ちも知ってくれるつもりはあるの?」
「……あるよ」
私の答えに、咲良の顔からは表情が消えていく。
やがて、彼女はいった。
「あなたが好き」
出し抜けに放たれた声は、私の身体に入り込まずにただすり抜けていく。
そのごく僅かな音に込められた意味を理解するには、もう一度彼女が自由律を生み出すまで待たなくてはならなかった。
「私は私のすべてよりもずっと枯琉刹那のことを愛しています」
口の中が乾燥しているのに、喉が鳴る。咲良の言葉しか聞こえないのに、心臓がうるさい。私は生きているのに、立っている感覚を失う。
愛している? 好き? 私を?
私を好きといった彼女の表情は月の光よりも眩しく火照っていた。
私を好きといった彼女の言葉の意味を捉えようとする。しかし、この世でもっとも純粋なもので構成されたその言葉をそれ以上分解することはできず、どんな理屈を振りかざしたところで同じ結論へ帰着する。
つまり、咲良が私に好意を抱いているということだ。
「なんで……」
無意識に漏れていたのはひどくつまらなく背を向けた言葉。
「始まりは入学式。きっかけはあなたを知ったこと。それで十分だった。あなたを知れば知るほど私はあなたに惹かれていった。あなたの話す言葉も立ちふるまいも他者への態度も選ぶ本もぜんぶ私の心を満たすものだった。だから私はあなたに見てほしかった。私のことを」
だけど、私は。
「だけどあなたは私のことを見ていなかった。いいえ。あなたは誰のことも見ていなかった。だから、私は決めたの」
「……まさか」
「一度決めればとても簡単だった。死ぬことであなたに見てもらえればそれで満足だったけど、こうしてあなたと話すことができた。だから、後悔はしていないの」
咲良の告白に、私は返すべきことがわからなくなった。
彼女の想いに応えることがどうすればできるのか。彼女のためにできることはあるのか。
私は結局私の尺度でしか彼女に応えられないのか。
だが、私の限界だとしても、彼女の心からの言葉を受け止めて返さないことは、他のなによりも彼女を否定していると思ったから。
これ以外の方法が私にはわからなかったから。
「私は……私は、私には好きな人がいる」
言葉を紡いでいくことが怖い。
「今は遠くにいるけれど……想いは変わらない。私はずっとあの人のことが好きだから。だから……」
その先にあるのは拒絶だけ。自分の意志で直接誰かを拒むことがこんなにも恐ろしいとは思わなかった。いや、忘れていただけだ。かつてあの人を拒絶し遠ざけた絶望を忘れていただけだ。
「だから、私はあなたの想いを受け取ることはできない。ごめんなさい」
都合のいいことをいっているのはわかっている。命さえもなげうつほどの想いを自分勝手に拒絶することがどれほど罪深いことかわかっている。
わかっているつもりになって、自分の罪を理解したつもりになって、己を慰めようとしているだけだということは、わかっている。
「……ありがとう、刹那さん」
優しい声音が聞こえたとき、それがひどく悲しい声に思えて、私は顔を上げた。
「答えが聞けてうれしかった。あなたと話せて楽しかった。……あなたと出会えて、私は幸せだった」
それは最後の言葉だった。
咲良の身体は光の中へと消えていった。
「……咲良?」
名を呼んでも、眼を動かしても、どこにも彼女はいない。
それを理解するには、永遠に等しい時間が必要だった。
Perforate 水野匡 @VUE-001
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