第25話 羊と踊る2
ごとり、金属の引き戸を開く。
濃厚な血の臭いが流れ出し、鼻を突いた。
……手遅れだったか。
薄暗い室内の半分ほどを埋め尽くして巨大な白い塊が鎮座していた。もこもことした羊毛の壁がそびえ立ち、僅かに蠕動している。ぴちゃり、にちゃり、ずぞぞぞと、舐め取り、啜り上げ、咀嚼し、呑み下す音ばかりが漂う。
「なんだ、コイツは……」
明らかに、過去に見た羊とは様相が違っていた。あまりにも大きすぎる。サイズだけではなく造りの異形ぶりまで際立ち、さらに存在感の圧力が以前の羊とは桁違いだった。
だが、圧倒されている場合ではない。先刻見逃していなければ間に合ったのかもしれなかった。悔恨をかみ締め、煙は羊毛の壁へと殴りかかった。しかしふわふわとうねる羊毛の壁に手応えはなく、拳はすっぽりとのみ込まれる。雲のようでつかみかかることもできない。
「なんだよこれ、どうしろって」
よく見れば、尻尾のようなものがちょろりと床近くにはみ出していた。それを掴むと、投げ飛ばす勢いで思い切り引っ張ってやる。
羊毛の壁がぶるりと震えた。
「……邪魔ヲ、スルナ」
白い壁の中央をかき分け、鮮血にどっぷり濡れた妖羊の顔面が浮かび上がる。
黒いドレス姿の少年を見つけると、血を滴らせながら嬉しそうに顔を歪めた。
「オヤオヤ、けものノオ嬢チャンナノダ……」
ふしゅるしゅる、緋色の
苦々しく、煙は言い返した。
「血に濡れたその口で、オレのことをケモノと呼ぶのか」
「ワザワザ戻ッテキテクレルトハ、良イ子ジャナイカ。今ノ俺ニ敵ウハズモナイノニナア。丁度良イノダ、オマエモ俺ガ救ッテヤルノダ」
羊毛の壁が、その全体を揺さぶり煙の方へせり出してきた。
先ずは妖羊を被害者から引き離さなければ。生存の微かな可能性にかけて、室外へとおびき出すことにする。
「
言いながら戸口の方へと後ずさる。
「哀レナ強ガリナノダ。オマエモ美味シイノダロウナ」
不定形の巨大な羊毛の塊が、その後を追ってもこもこ蠢いていく。
戸口を抜ける際に、羊毛から解放された被害者の姿がちらりと確認できた。マットの上に残された見知らぬ少女の残骸は、体組織の三分の一程が既にえぐり取られた状態だった。
「駄目か・・・こいつ、許さねえからな」
煙は体育館の競技スペースへと飛び出した。不定型な羊毛の雲海が後に付いて、ずるずると狭い戸口を抜け出していく。染みこんでいた大量の血が床に擦り付けられ、跡を引き摺った。
「今マデ、ヨクモ散々虐メテクレタナア。今日コソ、タップリ仕返シスルノダ。楽シミナナノダ」
ふしゅるるる。妖羊が嗤う。
コートの中央で待ち受け、ゴシックドレスの少年が小ぶりなナイフを構えた。
今更無用だとばかりに、右目の眼帯を投げ捨てる。隠されていた青い瞳が露出し、鋭く妖羊の顔面を睨みつける。
その眼差しを受け止めて、妖羊がブルブルと全身を震わせた。
「オオ……堪ラナイ。コッチモ美味ソウナノダ。オ嬢チャンモソンナニ食ベテ欲シイノカ。良イゾウ。ジックリ味ワッテアゲヨウナノダ」
「相変わらず無駄によく喋るな。オレが黙らせてやるよ」
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