第22話 暗い箱の中3
「莫迦な……俺はまた、裏切られたのか……」
呻きと落胆の声を絞り出して、男はアフロヘアをガシガシとかき混ぜだした。
取りあえずケモノらしき何者かの存在も確認できた。このままこの倉庫に隠れていても、黒猫は
お腹の底では、まだ手つかずの
さて、どうしよう。
このままケモノも贄華のことも忘れて体育館を抜け出し、家に帰ってしまうことも出来そうだった。黒猫から後で文句を言われたら、あなたが居なくなった所為でしょうと言い返してやれば良い。
まあまあ悪くないアイデアに思える。そうしようか、そうしてしまえば面倒もなくて楽だもの。
……ふーん、逃げ出したんだ。
嘲る声がありありと脳内再生された。あの黒猫の意地の悪いニヤニヤ笑いが目に浮かぶ。後で何を言われるかなんて、もう想像が付いていた。これはこれで、負けを認めたみたいで納得のいかない結末だ。
いいや、もうごちゃごちゃ考えるのは止めよう。黒猫も言っていたではないか。ここからは深紅次第なのだと。だったらひとりでも勝手にしてやるもんね。と深紅は決意する。
侵入してきたケモノを追おう。そしてその前で、私ひとりでも贄華を咲かせるんだ。
男は未だ頭を抱えて呻いている。風変わりなところはあるが根は悪い人では無さそうだった。ケモノを許さないだとか無謀なことを言っていたが、巻き込んで危険な目に遭わせるのは忍びない。
深紅は扉へ向かいながら白アフロに告げた。
「ケモノが通り過ぎた今がチャンスです。この隙に逃げ出しましょう。私は先に行きますけど、あなたも早くしたほうが良いですよ」
重い引き戸に手をかけ、開けようとした。だが何故か微動だにしない。
ふしゅるるる。
歯の隙間から息を吐く音が聞こえて横を見ると、白アフロの丸っこい体が全力で扉を押さえつけていた。
「いけない。絶対に行かせられないのだ。ここを出るなんて危険すぎるだろう。ここにいれば、俺が君を守ってみせる。俺と一緒にいれば、安全なのだ」
もう、誰にも裏切らせないのだ……そう言って食いしばった歯茎から息を漏らす。
ふしゅるう。
散々かき混ぜすぎた所為なのか、薄暗い室内で白いアフロヘアがひときわ膨れあがって見えた。
「君は俺と居るべきなのだ。ここにいれば何も心配はいらないのだ。何処へも行かせないのだっ」
戸を開けようとしてみてもガッチリと固定されていて、非力な深紅では相手にならない。
「困ります。ケモノはまだ近くにいるんですよ。早く逃げるべきです。あなたも」
ふしゅるる。
白アフロはむき出した歯をギシギシ擦り合わせる。
「逃げる?駄目だ駄目だ駄目だ絶対に。君まで僕を置いていこうとするのか。どうして皆、俺の前からいなくなってしまうのだ。あいつも、あいつも、おまえも……俺はただ守ってやりたいだけなのに、なんでみんな消えてしまうのだ」
見開かれた男の眼が、暗がりに爛々と浮かぶ。
「今度こそ、今度こそ俺は守り抜いてみせる。もう誰も……逃すものか」
ああ……そういうことだったのか。遅ればせながら、漸くそこで深紅は気がついた。白い装いとアフロヘアの姿をして目の前に立ち現れたモノが、何であるのか。自らの迂闊ぶりに嫌気がする。
そっと後ずさりながら、深紅は慎重に問いかけた。
「みんなとは、誰のことを言っているんですか。あなたは誰を守ろうとしていたのですか」
「決まっている。俺がこの手で守るべき、俺の大切な人たちだ。あの荒れ狂う怪物から俺が守って、守り抜いて、それから……それから……」
白アフロの目線が行き場を失い、フラフラ空中を彷徨いだした。
今更ながらに理解する。あの時、道を引き返して黒猫の向かった先に、ケモノはいなかったのだろう。ならば、あの時あの場所に現れるはずだったケモノは、何処へ行ったのか?何処へも行っていない、ほんの少しタイミングをずらして、深紅の前に現れていただけだ。
白いアフロヘアをした、自称ケモノを追う者として。
残念だけど、この男は人ではなかったと言うことだ。
おそらくは何人も喰らっている、
そしてこれからも、その本能のままに人間を喰らうのだろう。
あれ?だとすると、さっきの侵入者は一体何?ちょっと気にはなったが、今はそれよりも目の前のケモノをどうにかしないといけない。
ひとつ深く息をついて、頭を切り換えた。
まずは、はっきりさせてやろう。
見ていなさいよ……
深紅は心の底でゆっくりと贄華のスイッチを入れた。お腹の深いところから、蓄えられていた熱がふわりと全身へ広がっていく。
深紅は白アフロに問う。
「あなたはケモノと向かい合ったことがあるのですよね」
波紋状の痺れが深紅の奥から発生し、幾重にも肌の上を伝う。
「そうだとも、俺は何度も、何度もあの膨れあがって暴れ狂う怪物を押さえつけ、撥ね除けて……」
「そうして結局、あなたは喰われた」
静電気だろうか、深紅の躰中で産毛が逆立ち、表面で碧白く細微な火花を散らし始める。
「違う。俺は奴を……ヤツを退けて、」
「そしてあなたは人を喰らった」
薄暗がりの中、深紅の肌そのものが内側から仄かに碧く、光を帯びて浮かび上がる。
「違う。俺はみんなを守ったんだ。みんなを完全に安全な、恐れるものなど存在しない場所へと導いて、救ったのだ……」
「教えてくれませんか。あなたに救われた人間たちは、どんな味がしたんでしょう」
伏せがちの双眸までが、彩りを変化させ深い碧に底光る。
「俺は知らない。知るはずがないだろ。俺が知っているのは、みんなの安堵と幸福だけだ。柔らかく温かなものに包まれて、満ち足りている感情が舌の上で広がって……」
「充足感があるのでしょう?人を自分の体内に取り込み、自分の一部にするということは」
深紅の被るニット帽から、パチパチと沸き立つ碧い火花が縺れ合うように放射される。
「俺が救うのだ。ケモノに怯え、震えるみんなを、俺の中で解放してやるのだ……」
「だから人の味を覚えたケモノは、繰り返し人を襲わずにはいられない……でもそれって、人が美味しすぎるのがいけないってことですよね」
カチリ。深紅はスイッチを完全に押し込んだ。
押しのけられたニット帽が床に落ちる。ふわり、深紅の顔を包むように伸びだし、碧く輝く豊かな髪となってエネルギー体が揺らいでいた。倉庫内の空気が放射された光に炙られ、じわりと温度を上げる。
「俺は……おれは……どうして」
全身の彩りを変えた少女の前で床に膝をつき、虚脱した白アフロは座らない首をゆらゆらと巡らせている。
「良いんじゃないですか」
深紅は両手をさしのべる。
「きっと、美味しいことが彼らの罪なんです。あなたは償わせることで彼らを救った。それだけのことなんですよ」
「君は、何を言って……」
「あなたは何も間違えてなんかいない。あなたはあなたのままで良いんです。この私が保証しますから」
両サイドから包み込むように、深紅はアフロヘアの中へ手を差し込む。揺らぐ頭部を固定すると、上を向かせた。
「俺は……?」
「喰らえば良いんです。望むままに、欲するがままに。今あなたの前にあるすべてが、あなたに投げ与えられた贄の華なんですから」
そう燐から教えられていた。ケモノの願いを、願望を、欲望をすべて認めて解放する。それが贄華というものなのだと。
「良い……のか。喰っても。君を」
ぐいと頭を引き寄せ、碧く光る瞳で男の眼を深々と覗き込む。
「はい。問題ありません」
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