第20話 暗い箱の中1 


 ひとけのない体育館は広大な空間を持て余しているように感じられた。


 ケモノから身を隠すためには、内部の照明をつけられない。高い天井の下、光源は頼りない誘導灯のみに限られ、薄闇が周囲を満たしている。

 ガラス張りのエントランスから覗き込まれても見つからないよう、二人は通路沿いを奥へと移動することになった。


「上手い具合に待避できて幸運だったなあ。いいところに居てくれた管理人に、感謝しなくては」


 丸っこい体でトコトコと先を進みながら、声を潜めて白アフロは言う。

 しかし深紅シンクはその言葉に頷けないでいた。


「あのサングラスの人、どこへ行ったんでしょうか。通報だけならすぐに済みそうですけど……」


 車椅子の男は姿を消していた。公共施設の管理担当者にしては風変わりな部分が多すぎるような気もする。


「きっと警備会社への連絡だとか、業務もあるのだろう。こんな時間まで残って働いていたくらいだから、仕事熱心な人なのかな」


 のんびりと発言する白アフロは車椅子の男のことを素直に信用しているようだ。

 だが深紅は、サングラスの下からの一瞥が気になっていた。深紅が体育館に入ろうとする際に、投げかけてきた視線。これから人を助けようとしているにしてはあまりに事務的で、まるでペンケースの中身を確認しているかのようだった。


「私は仕事のことばかりな人も、どうかと思います」


 仕事熱心……つい、姉のことを連想してしまう。どうせ今夜も帰ってこないはず。今頃何をしているのだろう。


「自分の成すべき務めを果たす。俺は大切なことだと思うのだ」


 噛み締めるように呟いて、白アフロは続ける。


「後はどこか君が休める場所を使わせて欲しかったのだがなあ。いきなり走らされて、君も疲れただろう」


 進む通路の途中、事務室やロッカールームらしき扉はあったが施錠されていて入れない。たどり着いたのは用具倉庫だった。分厚いマットやボールを入れたケージなどが雑多に詰め込まれていて、少々埃っぽいが取りあえず座ることは出来そうだ。屋外につながる小ぶりな窓があったが、室内を見渡せるものではなく、人が通れるサイズでもない。


「取りあえずはここに隠れて、あいつをやり過ごそう」


 白アフロはそう言いながら、小窓を覗き込んで外の様子を慎重に窺っている。深紅もおずおずとマットの端に腰を下ろした。


 明かりは小窓から差す月光のみ。暗い室内で膝を抱えつつ、横目で男の姿をあらためて確認する。セーターからスニーカーまで、白で統一された装いと、この目立つ白髪のアフロヘア。


 ふわふわとした白ずくめ……深紅の前に颯爽と現れたタイミングと言い、どうしても放課後に実留ミツルから聞かされた人物のことが連想された。最近新たに登場したというくだんの白いケモノ退治屋だ。しかし、このおっとりとした振る舞いに丸っこい体格は、凶悪なケモノを狩るという精悍なハンターのイメージから外れていた。


 噂に出てくるようなケモノの退治屋なんて、信憑性の無いエンタメに過ぎない。深紅としてはそんな風に思っていたのに。無謀にもケモノを狩ろうとする何者かが実際に存在するのだろうか。まさか目の前のこの男が?


 あり得ないとは思う。でも一応確認はしておくべきかも。念の為だと自分に言い聞かせて、深紅は白アフロに問いかけてみた。


「あの……あなたは、知っているんですか。私たちを追いかけてきたもののこと」


 少しばかりの逡巡を見せながら、白アフロは答えた。


「うん。信じてもらえないかもしれないが……君は『ケモノの噂』を聞いたことがあるかな。巷で噂の、ケモノと呼ばれる人喰いの怪物だよ。君はそれに襲われかけていたのだ。そして俺はそのケモノを探しているところだった」


 神妙な表情で、あっさりケモノというワードを出していた。しかし一般的には、良識ある大人が真顔で口にして良い話題ではないとされている。


 深紅のことを子供とみて、からかっているのだろうか。


「ケモノ、ですか。最近、学校でクラスメイトからよく聞かされています。でもそれって、若者の間で流行りの都市伝説ですよね。面白おかしく騙られた怪談じゃないですか」


「そうだね。そういうことになっている。しかし、どうせ作り話だなんて皆が侮っている一方で、実際の失踪事件は増えているじゃないか。碌に解明もされないまま、犠牲者ばかりが増えていく。今だって、君がそのうちの一人になりかけていたばかりだ。まだまだ信じない人が大部分だけど、ケモノは実在する。こうしている今も、どこかで誰かがケモノに襲われているのかもしれない。俺は……そんな人たちを救わなくちゃいけないのだ」


 冗談で言っているわけでは無さそうだ。まさか本当にケモノのハンターをしているのだろうか。そもそもケモノを倒すなんて、普通の人間に可能なのだろうか。深紅としてはどうにも信じがたくて、抱えた膝の陰から疑念の眼差しを向ける。


「あなたはケモノに遭遇したことがあるのですか」


「あんなもの、遭わないで済めばその方が良い。本当に、見た目ではわからないのだ。まさか正体がそんな残忍な怪物だなんて、普段の姿からは想像も付かない」


 白アフロは用具箱のひとつに腰を下ろすと、丸っこい体を抱え込みながらぶるりと震えた。


「俺の見たあいつは、黒い服を着た女の子の姿をしていた。君よりも年下なくらいの、細身な少女にしか見えないのだ。でも本性は残虐で容赦が無い。目をつけた獲物は徹底的に追い詰め、喰らい尽くす。俺の大切な人たちも、皆あいつの餌食になったのだ」


 黒い服の少女……?実留の話でハンターとして語られていた人物とは別なのだろうか。こちらはケモノであるらしい。


「あいつだけは許せない。最近この公園近辺に出没しているらしいとわかって、俺は張り込んでいたのだ。さっき君を追ってきていたのもあいつに違いない。これ以上あいつの好きにさせるものか。絶対、君に手出しはさせないのだ」


「……」


 白アフロの、ケモノに対抗しようという気持ちは本当らしい。このままここに隠れて、この男に護衛されていればケモノのことはやり過ごせるかもしれない。


 でも……深紅はそっとお腹に手を当てる。深いところに溜め込まれたまま、ふつふつと滾る熱を感じた。リンから託された、この贄華ニエハナはどうしよう。私、何のためにここにいるんだっけ。


 そんな深紅の迷いをなぞるように、白アフロが問いかけてきた。


「なあ、君こそ何だってこんな時間に、あんな人気の無い公園で一人きりでいたのだ。危険すぎる。自分からケモノに食べられようとしているようなものだ」


「それは、その……友達と待ち合わせをしていたから」


 何となくそう弁明していた。たぶん、嘘にはならないだろう。ただし……あの黒猫のことを友達と呼べるのならば、だが。

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