第14話 錯誤する研究室1


「つまり、我々のしていることは徒労に過ぎない。先生はそうおっしゃるのですね」


 触れれば切れそうな、冷徹な口調だった。背後で聞いている香雨コウは、ひやりとして首をすくめる。


「そう気色ばむこともないだろう、音羽オトワ君。僕もすべてが無駄だと言っているわけじゃない。ただ、今回君たちに出来ることは限られていると、指摘しているだけだよ」


 ゆったりと穏やかに、かすれ気味の声で先生と呼ばれた青年は応じている。いつも通り、電子装備満載の黒塗り車椅子に身を委ね、屋内なのにサングラスを掛けている。


 霧紫ムラサキと香雨、二人の捜査員は現在担当している事件について助言を得るため、とある大学の研究室を訪れていた。

 空藤クドウカイ准教授……考古学、民俗学を主軸にしながら犯罪学をも手掛けるという、異色の学者だった。以前からオブザーバーとして様々な事件の捜査をサポートしてもらっている。個々の人格よりもその背景や成り立ちに着目した独特のプロファイリングで、これまで数々の事件で成果を上げていた。


 実績ある人物なのだと、理解はしていた。しかしこの学者に会うとき、香雨は漠然とした不安にいつも見舞われる。

 かつて、学術上の調査現場で大きな事故に遭い、どうにか一命を取り留めたのだと聞かされていた。義手や義足、車椅子を見れば、その肉体へのダメージがいかに重大なものであったかうかがえる。

 しかし本当に深刻なのは、他の部分の毀れ方ではないだろうか……こうして直に話を聞くたびに、香雨はそんな疑念を深めていた。


「我々に限界があるというなら、その理由を教えてください。助力頂くために、先生のような部外者に意見を伺っているのですから」


 霧紫は微塵も臆することなく、この異様な学者に強い語気で応じている。それが香雨のような新人には頼もしく見えた。


 軽くいなすように、学者はゆっくりと頷く。


「ふむ。ならば先ず、君たちはこの一連の事件の主体を、どのように理解しているのかな」


「主体、ですか。実行犯については……現在のところ我々では未確認体と呼称しています」


 未確認体強襲事案。そう呼称される、正体不明の何者かに襲われた痕跡を残し、人が消失する事件が相次いでいた。当初こそ動物園や個人飼育の大型肉食獣が逃げ出し、人を襲っているものと見なされていたが、屋外より屋内、むしろパーソナルな環境下で多く発生していることが判るにつれ見解が変わってきた。これは人の手に因るものなのではないか?しかしあまりに残虐としか言いようのない痕跡と、被害者の肉体の大部分が消失している状況は、食べられたものと解釈したくなる。当然だが人に可能な範囲は遙かに超えている。


 結局、得体が知れないのだ。故に未確認体などと言う曖昧な表現しか出来ない。被害者も人体が失われているため生死の最終確認が出来ず、行方不明というぼんやりとしたカテゴリに入れておくしかない。


「残念ながら特定には至っていないということです。これまでも幾度か、重大な関与が疑われる人物に迫ることはありましたが、何故か我々の手が及ぶ寸前に、対象自体が犠牲者となって消失するという状況が続いています」


 霧紫の言葉に当時の憤りを思い出し、香雨は思わず口を挟んでしまう。


「先日の、七番街のケースもあと一歩のところでしたよね。あと一日あれば被疑者確保までいけそうだったのに。ホント悪夢です、ゴール直前でゴールが消えてなくなるんですから。姿の見えない何かに弄ばれているみたいです」

 言ってしまってから縮こまる香雨。


 学者は無表情に応じる。

「ふむ。それは、お気の毒様だね。心中お察しするよ。しかし、果たしてその人物を押さえたところで、この事件が収束していたとは考えにくいのではないかな」


「それは……」


「類似する事案が多発しているだろう。既に単独犯と見なすには無理がある」


「つまり、組織的犯罪であると先生は見ているのですね」


「さて……どうかな」


 学者が表情を歪ませた。笑った……のかもしれないが、サングラスの所為もあってよくわからない。時折浮かべて見せるこの不可解な表情を目にするたびに、香雨の中の不安はじわりと膨らんでいく。


「僕がの主体を尋ねたら、音羽君は即座にそれをの主体と解釈したね。犯罪というものは犯罪者が生み出すもの。君たちはそう考えている」


「当然です。犯罪をなくすために犯罪者を検挙する、それが我々の職務ですから」


「実に正しいね。しかし……君たちの限界はそこにある」


「何故です。犯罪者がいなければ、犯罪は起こらないでしょう」


「理解すべきは、君たち治安機関に出来ることは、基本、対症療法に限られていると言うことだ。犯罪という個々の症例に対して処方を積み重ね、その結果を抑止へとつなげていく。しかしこれはあくまで犯罪という病の、結果に対するアプローチでしかない。犯行を引き起こした原因に対しては効力を持たない」


「それが我々の限界だと?しかし、捜査を積み重ねれば原因の解明にも繋がるはずです」


「そうだね。だからこの部分に関しては君たち治安機関の限界と言うよりも、役割の違いと解釈すべきかな。視点を変えれば、犯罪とはニンゲンという群体性生物が罹患した社会的病であると捉えられる。そして貧困や差別など、集団社会が孕んでいる病巣に原因を求めるなら、対処は行政や立法の領域になってしまう。しかし、その行程は長期的な視点に基づくものにならざるを得ず、効力を発するには時間が掛かりすぎるだろう。現在進行している病状に対して悠長に構えていれば被害は果てしなく拡大し、不安は増大していく。だから短期的な応急処置として、君たちも不可欠な役割を担っているのだが……ただし今回の事件に際して、効果的に機能できているとは言い難い」


「それは……」

 霧紫は口籠もる。成果を何一つ得られていない現状では、否定できない。


「君たちの役割は、いわば投薬による対症療法だ。しかしこれにはどうしても誤診による無駄な、時に有害な薬剤投与のリスクがある。特に、今回のように病原が不明な状況ではその危険性が高い」


 じわり。喫水を上げる不安に急かされ、香雨は口を開く。


「そんな……つまり、現行の捜査に誤診があると。前提から間違えていると言うことですか」


「根本から錯誤している可能性は否定できない。だからこそ、君たちがいくら血眼で捜査に打ち込んでも、結果が伴うことがないのだろう。これが対症療法の……君たちの限界だ。犯罪という症例の表層からしか、物事を見ることが出来ない。故に錯誤に陥る」


 硬い表情で、霧紫は口を閉ざしている。


「そんな……」


 無力感に、香雨も言葉を失う。研究室が重い沈黙に支配された。

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