第12話 空っぽの放課後1


 焦らすようにゆっくりとした動きで、時計の針が運ばれていく。


 22時13分。市民公園までの道のりを考えれば、家を出るのにちょうど良い時刻のはずだった。……いや、少しだけ早いだろうか。


 深紅シンクはいそいそと、淡い緑のカーディガンの上に用意しておいた薄手のPコートを重ねる。それに……忘れてはいけない。引き出しの奥から小さな革袋を取り出すと、僅かに熱を帯びたそれを首にげる。


 心音がわずかにペースアップするのを感じていた。落ち着け、浮き足立つな。自らに言い聞かせ、深呼吸で息を整える。


 今日、学校からの帰宅時間はいつもより遅くなってしまった。結局放課後は実留ミツルの誘いに応じ、ケモノに関する噂話の続きをたっぷり聞かされることとなったためだ。

 あれほど止めようとしていた友莉ユウリもなぜか付き添いと称してくっついてきて、いつしか実留の語りにすっかり引き込まれた挙げ句、むしろ熱心に耳を傾けるようになっていた。適当な相づちで済ませている深紅の方が、疎外感を覚えてしまう。

 最近のトレンドはやはりゴシックドレスのケモノ退治屋関連とのことで、毎週のように新たなエピソードがどこからともなく流布されているらしい。


「でさ。あたしのキャッチしている最新情報としては、どうやらこのゴスロリちゃん以外にも、新たな退治屋が登場してきているらしいの」


「ああ、ケモノをやっつけてくれる人が増えるんだ。良かった……これでケモノが少なくなってくれればいいのに」


 昼休みには実留に対して軽口で応じていた友莉だったが、ケモノの噂自体はそれなりに信じているようだ。……いやいや、ケモノなんて実際に見たことないでしょ?などと余計なツッコミを入れそうになり、深紅は危ういところで口を噤む。


「この新人ハンター、港の方で人体の一部だけ発見された事件とか、例の高架下の事件とかに関わっているらしいんだけど、まだ断片的な情報しか出てこなくてどんな人物なのかはっきりしないんだよね。やっぱり性別も分からないし。むしろ色々とよくわからなくてふわふわしているところが特徴なのかな。黒い服ばっかりのゴスロリちゃんに対して、こっちは輝くみたいに白っぽくてぼんやりしたシルエットしか目撃されていないらしいの。ゴスロリちゃんの濃厚キャラ付けに懐疑的だった深紅さんとしては、こっちの退治屋はどんなものでしょ」


 どうって、私にそんな感想聞かれましても。などと応えるわけにもいかない。


「うーん……、属性満載よりは真面(まとも)そう。と、思えなくもないけど、ぼんやり白くてふわふわしていてよくわからないなんて、これってもう幽霊だよね。ケモノを退治する幽霊だなんて、妖怪大決戦みたいになってきていない?一見特徴は少ないかもしれないけれど、キャラクターとしてはむしろ人外の域にまで達していて、これで信憑性を語るのは無理がありそう」


「むむ、手厳しい。黒のゴスロリちゃんに対して白の新人退治屋、良いと思うんだけどなあ。それにさ、ケモノに対抗する勢力が台頭してきているという展開そのものが興味深いでしょ」


「二人目で勢力は言い過ぎじゃない。それでも、今までの身近な不安を煽るばかりだった内容からすると、『お話』としては進化が見られるんじゃないかしら。ホラーだと思っていたらバトル物になっていた、みたいに」


「むう……これだけ次々と新たな情報が出てきているのに、まだ作り話に過ぎないとおっしゃる。危機感なさ過ぎだよう。深紅さんだって少しは気を付けておかないと、いざケモノに遭遇したとき真っ先に食べられちゃうんだから」


 思わず吹き出しそうになってしまい、慌てて頬を引き締める。


「食べられる……私が。ケモノにってこと?」


「もちろんそうだよ。深紅さんみたいなコは特に注意していなくちゃ。もしあたしがケモノだったら、うちのクラスの中なら絶対深紅さんから真っ先に食べちゃう」


「それって、私がこんなだから、弱々しくて簡単に食べられてくれそうってこと?」

 

ニット帽ごと、ベリーショートすぎる髪型の頭を両手で抑える。


「うーん、それもないことないかもしれないけど、違うの。肝心なのはそこじゃない。何て言うか、見てると食べたくさせられちゃうんだよ」


「どう見ても骨っぽくて肉付き良くない方だと思うんだけど」


「だからそういうところでもないんだよね。ねえ、友莉もそう思わない?」


 少し考え込んでから、友莉はゆっくり頷いて見せた。


「それは……まあ、うん」


 実留と友莉はちらりと顔を見合わせてから、深紅の方をのぞき込んでくる。


「ちょっと、ふたりとも、何?」


「深紅さんはね、」

「音羽さんはね、」


「「おいしそうなの」」


「ええと……どういうことかな」


 怪訝な顔をしている深紅を見て、ニヤニヤする実留。友莉はなぜか赤面して、違う、違うの私はそういうことじゃなくって、などと両手を振って弁明を始めた。


「まあ、そんな深紅さんをケモノの魔手から守るためには、更なる奴らに対する知見が必要なのだよ。いざというとき頼りになるのは退治屋くらいしかいないんだもの。そこで次なるエピソード。今思い出したけどこの新人ハンター、実は髪型がすごく特徴的で」


「ちょっと実留、今日はもう良いでしょ。いつの間にかこんな時間じゃない。もう帰ろ、帰ろうよう」


 まだ顔をほてらせたままの友莉が席を立つ。結局三人は結構な時間をカフェで費やしていた。

 家まで送ろうとする友莉と意味もなく家までついてこようとする実留をなんとか押しとどめて、帰宅した頃にはすっかり陽も落ちていた。


「ただいま」


 開かれた玄関の扉の内側。深紅の声は暗い屋内へと吸い込まれていった。

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