第11話 焦げついた地下室
「君は、強欲は罪だと思うかい」
薄暗い室内に、浮かび上がる問いかけがひとつ。古ぼけた照明の真下、黒一色に塗られた車椅子が置かれ、そこに力なく腰かけた青年が呟いていた。屋内にもかかわらずサングラスをかけている。
「当然だ」
青年と背中合わせに立つ少年が、振り向きもせずに応じる。ざっくりとワイシャツを羽織っただけの、寒々しいほどに簡素な装いだ。だがその右目は黒い眼帯に覆われていた。
「
少年の声に迷いはない。
倉庫のように広く、コンクリートが剥き出しの地下室に二人はいた。家具ひとつない灰色の空間は小声の会話も耳障りに反響する。青年がずり落ちそうな姿勢で茫洋と天井を眺めているのに対し、少年は足元の床をまっすぐ睨み付けていた。
「流石に容赦のない意見だね、躊躇なく断じてみせるものだ。迷いを持たない、このシンプルさこそがハンターの素養なのかな」
「フン、単純だっていいたいんだろ」
「無駄が無いのは美徳だよ。君が見せるソリッドな立ち居振る舞いは、人を魅了せずにはいられないだろうね。だが同時にその無機質な表皮に爪を立てて、内包された中身を
「なんだよそれ。勝手にしろ。何をされても、オレはオレでしかないから」
少年は無愛想に応じる。
青年はうっすらと頬を歪める。笑ったのかもしれない。
「では教えてもらおうかな。僕は不思議だったんだ。何故君はそんなにも実直にケモノを憎むことができるのか」
「憎む?感情なんて介在する余地はない。オレは
「おやおや、レゾンデートルで語るとは、軽薄が過ぎるのではないかな。君はまだ隠し持っているのだろう?或いは君自身まだ直視できていないはずだ。あの夜、焼け落ちたこの部屋で行われた始終について。君に何ができて、何ができなかったのか」
問われた少年の顔から、表情が消えた。
「……先生には関係の無いことだ。知りたいならあの
「畏れ多いですよ。それに、君の口から引きずり出さないと意味が無い。まあ焦らず、じっくりと解きほぐしていくとしよう。どうせ、ケモノたちの夜はまだまだ永いのだから」
照明から落ちてくる煤けた光に手を翳し、青年はサングラスの下で目を眇めた。誰に対してともなく、
「底の見えない欲望の井戸……汲めど溢れて尽きることはなく……奈落で歌うは終末のケモノ……か。君の言うとおり、確かにあれは罪深いモノだな。あからさまな強欲ゆえに、救いようもなく罪深い。そうなのだろう?」
青年の声は枯れているくせに陶酔の色を帯びている。そのノイズが揶揄と感じられ、少年の気持ちに障った。湧き起こる苛立ちが少年の言葉に滲み出す。
「今更だろ、人喰らいの……ケモノの罪だなんて」
「ほう、知ったような口を利くものだ。君がケモノの罪の、何を知っているというのだろう。……そう言えば君も、いつも僕が用意した衣装に文句をつけるのに、その眼帯だけは肌身離さず、気に入ってくれたみたいだね」
「これは……」
少年は覆い隠すように眼帯に手を当て、口を噤む。
「最も欲するものが、最も美味しい。これこそがケモノの行動原理だ。いちばん美味しいのは、いちばん大切なもの。君もそうは思わないかい。君がその右の眼窩に隠し持つモノについて、僕は詮索する気なんて無いんだが……もしかすると、君もその罪の味を知っているのではないかな」
「もう良いだろ。放っといてくれ」
「そう、君にはきょうだいがいたはずだ。双子の、確か名は」
「先生には関係ないって、言っただろ」
ささくれた声を放つ。羽織っただけのシャツの生地の下で、少年のまだ肉付きの薄い背筋が強ばる。痩せて尖った肩先が、二度、三度と
「そんなに警戒しないでほしいな。僕は君を糾弾したいわけじゃないのだから。良いんですよ。今はまだ無理に向き合わなくて」
青年はそこでひとつ咳き込み、呼吸を整える。そして口調から戯れが消えた。
「問題はそこではないのだから。僕はね、単純に君のことが羨ましいのだよ。あの夜、殺戮の限りを尽くされた邸内で、君はただひとり生存した。威り狂ったケモノの牙の寸前に、そんな無防備な肉体を晒け出していたはずなのにだ。しかも微塵も顧みられることなく、無傷で捨て置かれてしまうだなんて、僕はもう想像しただけで、心臓が張り裂けてしまいそうなほどの嫉妬を禁じ得ない」
青年の言動は加速し、俄かに熱を帯び始めていた。
その異様な熱量に
「またかよ。先生はいつもそうだ」
「ああ……実にいいね、その目だ。君は僕に呆れているのかい。それとも憐れんでくれているのかな。今こうして僕を侮蔑しているそのまなざしが、かつてはケモノの振舞いを前にして怯えるしかなかったのだろう?」
「勝手に決めつけるな。何も知らない癖に」
「もう少し素直になるといい。君はあの時の自分に後悔しているのだろう。何もしないでいるくらいなら、いっそ自らを投げ出してみればよかったんだ。本当は君もその身体で、欲望を味わいたいんじゃないかな。抗えない暴力に、自分を委ねてみたいだろう」
「いい加減にしろ。先生、だからあんたは」
憮然と、少年は吐き捨てた。
「だからあんたは無神経だというんだ。少しは自分を見てみろ。そんな欠損だらけの姿を晒して、あんたはまだ喰われたりないのか」
「当然だとも。僕にはまだ無駄な部分が多すぎる。満ち足りることなど程遠いよ。つまりは僕も欲深い」
「知るもんか。だったら勝手に喰われてしまえ。オレを巻き込むな。オレには響峯を受け継ぐ者として、やるべきことがあるんだ」
青年はゆったりと顔を歪ませる。その様は、角度によっては笑ったようにも見えた。
「そう。君はケモノを狩りたい、だから僕のところへ来たのだったね……
青年は暫し恍惚とした表情を浮かべ、少年に告げる。
「22時55分。市民公園体育館裏の小道。いいね?」
「ああ、了解した。羊だろ?今度こそ逃さない」
パン。少年は握った拳で小気味よく掌を打った。
「健闘を祈っているよ。衣装は用意して置いた。今回こそ、くれぐれも冥様に粗相のないように。」
「灰被りのご機嫌取りなんてオレの知ったことか。あんたの余計な注文さえなければ、もう少し上手くできるんだ。動きづらい格好ばかりさせてさ」
「普段も自分からセーラー服を着用しているのに、少し装飾が多いくらいで動けないなんて、ハンターとして未熟なだけではないかね。文句は言わない約束でしょう。あくまで君は冥様の引き立て役に過ぎないのだから」
「こっちの都合も知らずに勝手なことばかり。あれこれの便宜には感謝してやっても良いけど、そんな役目までひきうけたつもりはないぞ。言ってるだろ、オレはレタスと猫が嫌いだって」
「可哀想に。真に美しいものを前にして額ずく、その喜びを知らないだなんて」
やれやれと、青年は首を振る。
「ぶれないな先生は。理解したくないぞそんな性癖」
「十四にもなってレタスが食べられないのも、如何なものかな」
「余計なお世話だぜ」
車椅子の方など見向きもしないで、むくれる少年は足早に地下室を出て行く。
「お互い様ですよ」
その背中に呼びかけると、青年は悠然と天井を仰ぎ、車椅子に身を委ねた。
「さて……今夜はどんな声で聞かせてくれるのかな」
僅かに頬をたわませ、サングラスの下の目を閉じた。
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