第2章 羊と幽霊
第8話 ぎこちなく迷える
「……ていう話なんだってさ」
机の端に腰を据え、昼休みをフルに使って滔々と語られていたエピソードもようやく終着点にたどり着いたらしい。
クラスメイトの
「ふーん、そうなの」
「あれ?深紅さん反応薄い。せっかく中学の後輩から仕入れてきたとっておきなのに。つれないなあ」
深紅がこの教室の一員となってまだ日が浅いというのに、席隣の実留は当たり前のようにファーストネームで呼びかけてくる。ひどく遅れて加入してきた事情持ちの新顔が、それなりにクラスへ受け入れられているのには彼女の果たしている役割が大きい。初対面の時からからぐいぐいと距離を詰めてくる実留の流儀はありがたく感じていたが、同時にどこか面倒くささも覚えていた。その所為で彼女との会話には薄っすらとした罪悪感がいつも付き纏う。
「ええと、これも秋原さんの好きな、例のケモノの噂というものなのでしょう」
感謝の気持ちがあるのなら、愛想や愛嬌をもって少しは相手の喜びそうな返答をすればいい。しかし深紅はそのあたりの技量に乏しかった。自覚はしているのだが、なかなか改善される兆しは見えてこない。
実留はこの手のオカルトめいた話題が大好物で日にいくつもこうやって披露してくるのだけれど、そんな深紅のお陰で毎度素気なくあしらわれることとなっていた。しかし彼女もめげることはなく、むしろそんなやり取りを楽しんでいる節さえある。
「むむ、せめて都市伝説と言ってほしい。ウワサだって莫迦にできないんだぞ。深紅さんだって7番街での連続少女失踪事件のニュースくらいは知ってるでしょ」
それはこの1カ月ほど、ワイドショーを中心にマスコミを矢鱈と賑わせている事件だった。3人の少女が立て続けに同じ繁華街で消息を絶ち、すわ薬物売買トラブルがらみの誘拐だとか国際的人身売買組織の関与が疑われるだとか、SNSやネットでも諸説が
「うん、聞いたことはある」
「その真相に、実は例のケモノってやつが深く関わっていた……と言うか、真犯人はケモノだったのだ!ねえ、これってすごくない?」
「秋原さんって、ホントにケモノがらみの噂好きなのね。今流行ってるのはわかるけど。でももし本当にそんな怪物が地下街で暴れたりしたら、それこそ大ニュースになっているんじゃない?」
「それはだね、閉鎖されてた地下街のすごく奥の出来事だったから外の人には騒ぎも聞こえてなかったわけ。しかもケモノの死体は退治屋の連れていた猫が食べちゃったから跡形も残っていなくて、さらにその上」
「その上、生き残った二人の女の子が後日その地下街を訪れても、何故か廃地下街への入り口はきれいになくなっていて、見つけることはどうしてもできなかった……のでしょう?」
「あれ、深紅さんもしかしてこの話知ってたの」
掌底でニットに覆われた額を支え、深紅は陰でひっそりため息を吐く。
「知らなかったけど、何となく想像がついたというか、怪談には定番のオチだもの。噂話だから面白さ優先になるのは仕方ないけれど、秋原さんの持ってくるものにはリアリティが乏しくて……特に退治屋のキャラクターなんて属性盛り過ぎではないかしら」
いけない、とは思いつつ。またしても言い回しが辛辣な方へと傾いていく。
それでも実留は不敵に笑って見せて、
「ふふふ、ところがこのゴスロリ退治屋が出てくるエピソードは、ネット上を探せば他にいくつも出てくるのだ。まあそっちでは大概、普通に女の子ってことになっているんだけど」
「性別まで適当なの?」
「曖昧な部分があるからこそ、真相がどうなのか気になるんだよ……ってもう、やっぱり全然信じてないなあ。頭っから全部嘘だって決めつけちゃうのもどうかと思うぞ。こういう一見突飛な流言の中にこそ、とんでもない真実が隠されていたりするんだって。じゃあ次は放課後に、このゴスロリちゃんの出てくる別の話をひとつ聞かせたげよう。駅前のカフェにでも行ってさ」
そこへ二人の背後から声がかかる。
「こらこら、また実留ってば、音羽さんを無闇と引っ張りまわしちゃダメでしょ」
クラスメイトの
「でたな護衛部隊。またしてもあたしと深紅さんの仲を引き裂こうというのか。あたしは深紅さんがいざケモノに遭遇しても大丈夫なよう対策を講じるべく、過去の事例をレクチャーしているのだ」
「またケモノの話してるの?アンタも好きだよね。はいはい、実留なんて放っといて、それより音羽さん、次の体育の授業どうする?見学なら私から先生に伝えておくよ」
無視すんなぁー、と抗議の声を上げる実留をそのまま無視する友莉。
「ええと……」
深紅自身としては、多少の運動ぐらい問題ないと思う。しかし前回の授業の際の教師やクラスメイト達の対応を思い出すとどうも躊躇してしまう。深紅の一挙手一投足の度に、授業が中断するのだ。気を遣ってくれているのはわかるが、注目に晒され続けているとつい……面倒くさい、と感じてしまう。
「そうしようかな」
「うん、その方がいいよ。まだ無理したらダメでしょう。風に当たって身体冷やさないように温かくしておいてね。先生への連絡は私がしておくから音羽さんはゆっくり来てくれればいいよ。ほらほら、実留はとっとと着替えて準備する」
「むむむ、友莉が厳しい。愛が足りない。せめて深紅さんの愛をください」
実留は友莉に引きずられていく。
「さらば愛しき人よ。くれぐれも食べられないようにケモノには充分気を付けるのだぞ。そいじゃ放課後のこと、考えといてねー」
「まだ諦めないのかこいつは」
二人が去ると、深紅の周りはざわつく教室の中にぽっかり生じた空白地帯となっていた。
静かになったところで窓の外を見る。
燦々と校庭に降り注ぐ陽射しは眩しいくらいだった。
「ケモノだなんて……」
深紅は薄く笑った。
あみだにずれたニット帽を直しながら席を立つと、校庭に向かった。
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