第5話 夜明け前1


 【三つ目のウワサ】


 ねえ、知ってる?昨日聞いた最新情報なんだけど、ケモノを専門的に退治してくれる人がいるんだって。


 ケモノはものすごく凶悪だからどんな武器を使っても人間には絶対に勝てないはずなんだけど、退治屋だけはその道のエキスパートだから迅速確実、おまけに格安でやっつけてくれるんだって。


 ええ?胡散臭い?やっぱりそう思うよね……言ってて自分でもそう思うし。


 あっと、でも気を付けて。これだけは忘れちゃだめだよ。退治してもらえばケモノはいなくなるかもしれないけれど、当然食べられちゃったもとの人だって、もう絶対に帰ってこないんだからね。


 二度と会うこともできないからね。顔を見ることも、言葉を交わすこともあり得ないんだから。本物にはもちろんだけど、見分けのつかないそっくりのニセモノにさえ、もう会うことはできない。


 それでもいい?ホントにいいのかな?あたしだったら……どうしようかな。ふふっ。



 * * *



 キスでもしそうな至近距離。


 人形は笛吹きの顎を掴むと上を向かせ、その目の前で自らの眼帯を捲り上げた……ように見えた。だが、背後にいるAとBの位置からは、何があったのかはよくわからない。

 ただ二人の顔と顔の間で青白い光が灯り、次の瞬間、笛吹きの体が激しく跳ねて仰け反った。


 笛吹きから目を逸らさず、人形は手袋の先でふたりの少女に指図する。


「さあそこのキミたち、下がっていた方がいい。ここからはちょっとばかし荒っぽい

ことになるからさ。カウンターの中にでも隠れててくれ」


「わわっ、何あれっ」


 笛吹きの体が破裂したかのように、輪郭が突如膨張した。膨らんだだけではなく、全体がもっさりとした毛に覆われていた。


「どういうこと?」

「めぐってば、いいから早くこっち」


 AがBをカウンターの中に引っ張り込む。


 毛むくじゃらの塊はさらに二度、三度と膨張を繰り返し、天井を圧するほどのサイズまで育っていた。ずんぐりとした体躯、小ぶりな耳に前足、細長いしっぽ、細く突き出した鼻先が忙しなくひくつき、そこから鋭利な前歯が伸びる。


「へえ、意外と大物だったんだ。しかし、格好はまんまのネズミかよ」


 黒衣の人形は平然と、巨大な齧歯類の前で眼帯を付け直す。


「いーちゃん、これって」

「うん……」


 下らない、面白半分の噂だと思っていた。しかしこれではもう、Aも認めるしかない。


「本当に居たんだ、ケモノ……ホイッスルさんがそうだったなんてなんて」

「どうしよう、あたしたち食べられちゃう。あああ、人形さんが」


 巨大鼠が鼻先を眼帯人形に近づけ、首をかしげながら匂いを嗅いでいる。


「ピイ。ピイィイ。イイ匂イ。美味シソウ。僕ハオ腹ガ空イタ」


 笛のような鳴き声を上げながら、くぐもってはいるがまだ人の言葉をしゃべっている。


「キミたちはそこから動かないでいてくれよ。そっちには手を出させやしないからさ。そのためにオレはここにきてるんだから」


 眼帯人形は腰を落とし、手のひらに収まりそうなサイズのナイフを取り出すと顔の前でピタリと構えた。怪物の大きさに比べてあまりに頼りなく見える武器だが、その表情に怖気おじけづく気配など皆無だ。


「人形さん何者なの?」

「しいっ、気になるけど、黙っていないとケモノに見つかっちゃうでしょ」


「ピイィ。オ腹スイタ。食ベタイ。食ベタイ。ピイ」

 巨大鼠は前歯をガチガチ鳴らしている。


 人形の足元から声がした。

「さっさと終わらせておくれよ。ウチも空腹なんだから」


 思わず声を上げそうになったBの口をあわててAが塞ぐ。

 猫が、しゃべった!もう今さらだけれど、異常なことだらけだ。


 大鼠から目は逸らさずに、人形が猫に応える。


「わかってるって、灰被り。あんたは手を出すなよ、コイツはオレの獲物なんだから」


「ピイィ。空腹。食ベル。モウ食ベル」


 大鼠が傾げていた首をすとん、と落とした。テカテカ光る前歯が人形の、黒髪の上に振り下ろされる。すうっ、と人形の影が後方に少しだけ滑る。ほんの半歩後ずさることで紙一重の回避をしつつ、仰け反りながら細腕のナイフが一閃されていた。


「ピイイイイイィィィッ」

 地下街をつんざく笛の音の悲鳴。


「やったっ」

 思わず声を上げてしまうAとB。


 刃は鼠の顔面を斜めに切り裂き、両目を潰して片耳を切り飛ばしていた。


「へたくそ」

 すかさず猫の罵倒が聞こえた。


「なんでだよ、これでアイツにはこっちの位置がわからないだろ」


 体勢を整え、人形はナイフを構え直している。


「浅墓だね、まったく」

 猫の呆れ声。


「ピイッ、ピイッ、ピイイイィッ」


 苦痛に悶える大鼠が首と前足を滅茶苦茶に振り回していた。


「手前の得物のたちってものを考えな。相手の動きを見つつ懐に飛び込んで、ようやく致命傷が与えられるんだろうが。どうすんだいこっから」


「そんなもの、どうにだって、するさっ」


 だが、でたらめに暴れる大鼠に手を焼かされて防戦一方となり、人形は入口の方へと追い詰められつつあった。


「人形さん、お願い、頑張って」

 小さく呟くB。Aともども見ていて気が気ではないが、今は人形少女の奮闘を祈るしかない。


「こいつオレの位置がわかるのか」


「莫迦だね。目なんざ飾りだよ。潰すなら鼻だろ、鼠なんだからさ。やっぱりウチが手を貸してやろうかい?この猫の手ってやつをさ」


 ヒヒッ。こんな状況だというのに、銀猫が笑う。


「灰被りが、手だすな。お断りだって言ってんだろ。むかつくな。オレは笑う猫が一番嫌いなんだ」


 強がって見せても旗色の悪さは誤魔化しきれない。どう見てもパワーと持久力に勝る大鼠が、華奢な人形を圧倒していく。首と前足のランダムな動きに気を取られている隙に、細長いしっぽが横殴りに打ち込まれた。銀猫は軽々とよけて見せたが、人形はまともにわき腹を捕らえられ、壁に叩き付けられる。


「ぐっ」

 衝撃で、切りそろえられた黒髪のウィッグが吹き飛ばされた。色素の淡いショートヘアが露わになり、倒れ込んだ少女はボーイッシュながら西洋人形的な趣が濃くなっていた。


 鼻をひくつかせ大鼠が歩み寄る。

「ピイィ。イイ匂イ。旨ソウ」


「だめっ、人形さん食べられちゃう!」


 咄嗟にBが飛び出し、カウンターに置かれていたボトルを掴むと大鼠目がけて投げつけた。

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