第4話 ハーメルンの廃迷宮3


「危ういなあ、キミたち」


 不意に背後から少女たちの耳元へと、吹きかけるような距離で囁かれた。


「「!!」」


 咄嗟にグラスを手放し、耳を押さえて振り向く二人。

 あまりにも至近距離に、整いすぎた澄まし顔があった。見た目にそぐわないハスキーボイスに覆った耳たぶが、じん、と痺れる。


「人形……さん?!」


 グラスはカウンターに転がり、中身は床へと流れ落ちていた。


「無防備が過ぎる。キミたちはもう少し慎重になるべきだ。それとも誘っているつもりかい」


「……目覚めたのか」

グラスを手にしたまま、振り向きもしない笛吹き。


「フン、意外かよ。オレ、その怪しげなジュースとやらはひと口しか飲まなかったからな。残りは全部コイツが飲んだんだ」


 動き出した人形の足下、編み上げブーツの横で銀色の毛並みの猫がにゃあああぁとあくびまじりに鳴いた。


「それでも結構な効き目だったぜ。あっちの部屋からそこの椅子までたどり着くのが精いっぱいだった。キミたちも際どいところだったな。口にしていたら、それこそキミたちの方がお人形にされていたところだろ」


「ええっ」

 零れてしまった液体に目をやるふたり。


 だが、笛吹きの声は落ち着き払っていた。


「ふむ、君は夢でも見ていたのかな。随分と奇妙な夢だったようだね。それともまだ寝ぼけているのか……。さあ、君もこちらに来て歓迎会に加わるといい。僕らの国の新しい仲間を紹介しよう。こちらの二人が……」


「オイオイ、まだその猿芝居を続けるのかよ。いや、さっきから聞かせてもらっていた話に因めば、ネズミ芝居とでも言うべきかもな」


 ネズミ、と言うワードに反応したのだろうか。黒いドレスを纏った人形の挑発的な物言いに、笛吹きは眉根を震わせた。


「やれやれ、どうしたのかな、彼女は寝起きで少し錯乱しているようだ。君たちも驚かせてしまったかもしれないが、彼女は本来こんな粗雑な話し方をするような子じゃないんだ。この衣装にも相応しい、清楚で気品に溢れた人柄で、寧ろ人見知りなタイプなんだよ」


 黒衣の人形は袖で口元を覆い、眼帯に覆われていない左眼だけでクスリと笑ってみせる。


「ええ。勿論、仰るとおりなのですわ。……なんて、いい加減察しなよ。猫被ってやってたんだよ。でも生憎、オレは猫が嫌いなんだ」


 ヒャヒャ、ブーツの足元で尻尾を震わせ、銀色の猫が笑う……笑う?


「見て、いーちゃん、猫が」

「嘘、笑うはずなんて、ないよ……」


「失踪した三人の少女たちの傾向から、アンタの趣味嗜好にあたりをつけてキャラ作ってみたんだけど、如何でしたかしら。少しでも美味しそうと感じていただけたのでしたら嬉しく存じますことよ?ふふっ。まあ正直、このファッションはやりすぎだと思ってるんだけど、こればっかりはオレの所為じゃないから勘弁してくれ」


スカートの裾を摘まみ上げながら、忌々しげに話す。


「何を……言っているんだ。君も、僕たちの国に賛同してくれたはずじゃなかったのか」


 笛吹きの目線が落ち着きなくし、そわそわと不安定に彷徨い出した。


「まだその路線で続けるんですの。うふふ……って、まったく危ないアブナイ。ほらキミたちもこんな奴の近くにいないで、こっちへおいでよ」


 白いレースの手袋に包まれたしなやかな手が、少女たちの腕を取るとダンスのステップでくるりと回り、引き寄せる。黒いドレスのフリルを翻しつつ、そのままの勢いで後方にあるステージのアームチェアに飛び込んだ。


「ひゃ」「きゃっ」

 ふたりを胸に抱きよせたままふかふかの背もたれに沈み込む。


「わわっ」

 ドレスに包まれた華奢な体躯に受け止められ、ふたりは戸惑いふためく。

 

 それに構わず、眼帯人形は横柄な態度で振り上げた編み上げブーツの脚を組み、カウンターにひとり残された笛吹きを不遜にねめつけた。


「ふふ。これ良い椅子だよね。どこから見つけてきたのかな。ピカピカに磨かれていて、こんな薄汚れた地底の廃墟にはもったいない。まさしく『玉座』と呼ぶに相応しいじゃないか。誰がここに座るつもりだったのかな。誰をこの足下にかしずかせるつもりだったのかな。こうしてステージから見下ろしてみるのも、なかなか良い眺めだとは思わないか……なあキミたち」


 耳元で紡がれる錆びを含んだ声が、少女たちの頭の芯に沁みる。


「止めろ」


 ゆらり、笛吹きがスツールを立つ。アームチェアの背もたれに埋もれる少女たちの方へと歩み寄った。


「いい加減にしろ。そこを退くんだ。そこは、」


 笛吹きの腕が、ゴシックドレスの胸元に伸びる。


「そこは僕の席だぞっ」


「くくっ、それは残念。では」


 白いレースの手袋が伸びてきた男の腕をつかみ、引き寄せた。


「お返しして差し上げますわ」


 くるり、少女たちを抱えた人形と笛吹きの身体の位置が一瞬で入れ替えられる。逆転して今では笛吹きがアームチェアに押し込められていた。

 浮遊感とともにAとBは解放されていたが、アクロバットな動きの連続にクラクラ眩暈を覚える。


「やっぱりね。こいつがアンタのお気に入りか。この如何にもな王様の椅子が」


「これは僕の椅子だ。僕だけの椅子だぞ。僕だけにここに座る資格があるんだ。そして君たちは」


 背もたれに仰け反り気味に張り付いて、首を振りながら笛吹きは言う。


「僕の国民なんだ」


 眼帯人形が片眼でニヤリと笑う。


「フフン、ようやく認めたか。アンタは『僕らの』国なんて言っておきながら、本当は自分が王様になれる国が欲しかっただけなんだ」


 言いながら人形は、AとBが自分の背後に回るよう立ち位置をずらす。


「弱者のための国と言いつつ、自分より弱い女の子ばかりを集めて侍らせて、自分がそこに君臨したかったんだろ」


 笛吹きはゆるゆると首を振り続ける。


「違う。僕は彼女たちを救うんだ。肉食獣どもの爪や牙の届かないところで、僕が楽園を築くんだ」


「僕『の』楽園だろ。じゃあさ、オレ以前にアンタがここに連れてきたっていう三人の少女はどこでどうしてるんだ?本当に彼女たちは救われているのかよ」


「ああ……勿論だ。みんな僕らの国に喜んで賛同してくれて……今は三人とも隣の部屋で眠っている」


「いつから眠っているんだ?アンタが最後に彼女たちの姿を見たのはいつだったんだ」


「それは、ああ……あ……れ、おかしいな。もう随分と……あの子たちはどうして……」


「なあ王様、幸せに暮らしているはずのアンタの国民たちはどこへ行ったんだ?そこの扉の向こうで、幸せな夢でも見続けているのかい」


「おかしいな……こんなこと……僕は置いて行かれたのか……僕はまた裏切られたのか……僕はまたひとりになるのか」


 椅子の中でがっくりと首を落とし、笛吹きは呟いている。


「OK。どうやら間違いなさそうだ。もう充分だろ」


 眼帯人形は足下の猫にちらりと目線を振る。銀色の猫はにゃあとひと鳴きし、頷いて見せたようだった。


 人形はやにわに笛吹きの脚の間、アームチェアの座面に飛び乗ると編み上げブーツの片脚を高々と振り上げる。

 ドンッ。

 その靴底をアームチェアの背もたれに、笛吹きの肩口のあたりにめり込ませた。


「さあ、見せてみろよネズミの王様。アンタの本当の姿をさ。そろそろ、腹が空いてきただろう?」


 ぐい、とその端正な顔を笛吹きの鼻先に寄せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る