第3話 ハーメルンの廃迷宮2


「これって、人形?」


「きれい……洋服も可愛い、けど」


「等身大の、こんなのって」


 なんだか怖い、とふたりは感じた。


 人のようでありながら、人ではありえないクオリティの造形。その姿かたちを大まかな印象では人間であると認識しながら、細部の違和感がそれを裏切る。人のようだが、人には見えない。だから怖ろしい。


「どうして、こんなものが、ここに?」


 戸惑う少女たちの背後で、乱雑に扉が開いた。


 笛吹き男が毛布を抱えて戻ってくる。

「ごめん、見つけるのに手間取ってね。これで今夜は……おや、どうしたんだい二人ともそんなところで」


 AもBも、血の気の失せた顔で振り向いた。


「ホイッスルさん、これって」


 大ぶりのチェアをそろりと回転させる。

 そこに鎮座するものの姿を見て、笛吹きの動きが止まった。


「どうやって、ここに……」


 唖然とした呟きに続く数舜の停止の後、笛吹きはゆっくりと毛布をテーブルに載せ、顔を伏せる。俯いた口から、リズミカルな笑いが零れていた。


「くくっ……クックック、見てしまったのだね。いけないウサギ君たちだ」


 笛吹き男のなかで、何かが切り替わったようだった。声音が低く、重くなる。


「これでもう、君たちは地上に戻れなくなった。この地底の闇の中で一生を終えることになる」


「何を……言ってるのか解りません」

「冗談、でしょ」


 少女たちの声が震える。


「残念だが、もう後悔しても遅いんだ。君たちは彼女の存在に触れてしまった。彼女を刻印されたのだから、君たちも彼女と同じ運命をたどることになる」


「同じ?あたしたちも人形にされちゃうの?」


「人形?……クックック、なるほど、それは素敵だ。彼女が人形なら、君たちはウサギのぬいぐるみにして飾り付けよう。長い耳を縫い付けて、ふわふわの綿をいっぱい詰め込むんだ。瞳にはキラキラの真っ赤な硝子球を填め込もう」


「変です、おかしいですって」


「やだ、どうしちゃったのホイッスルさん」


「何もおかしくなんかないさ。想像してご覧よ、楽しいだろう」


「そんなの、」

「嫌ですっ」


 ピッピー。笛が鳴らされた。


「……なんてね。ハイ終了、おふざけは此処まで」


 笛吹きの声のトーンは元のおどけたモノに戻っていた。


「え……」

 呆然とする二人。


「怖がらせちゃったかな。まあ大人なんて信用しちゃいけないっていう教訓だよ」


「うう、洒落にならないですよ」

「そうですよ、ひどいです」


 安堵はしても、ふたりの動悸はまだ収まらない。


「済まない。本気にされるとは思わなくて、これは悪いことをしたかな。その椅子に座っている彼女、実は君たちの先客なんだよ」


「先客、ですか?」


「そう。君たちより一足先に、ここに来ていたんだ。やはり家に帰れない事情があるというのでね。疲れていたみたいで今は眠っているけど」


「眠っているだけ、なの?」


 Aはもう一度椅子の少女の顔を確認する。薄桃色の肌は確かに生者のそれのようだが、息はしているだろうか。よくよく見るとその薄い胸は微かに上下していた。歳は自分たちと同じくらいのようだが、現実感のない顔立ちに日常からかけ離れた服装も相まって、この世ならざる感じがすごい。


「人間なんだ……」

 Bがため息まじりに呟く。


「当たり前だよ。少しばかりエキセントリックなところはあるようだけど、人外扱いは流石に彼女に失礼だろう。あまり耳元で騒ぐと安眠妨害だよ、今はゆっくり眠らせておいてあげよう」


 笛吹きは冷蔵庫からドリンクの瓶を取り出し、カウンターの上にワイングラスを並べた。


「えっ、お酒ですか?」


「もちろん中身はジュースだよ。まあ気分だけでも乾杯してもいいんじゃないかな。飼育小屋を離脱して、自分たちの脚で歩き出そうとする君たちを祝してね。そして明日からの君たちについての作戦会議と行こう」


 カウンターに並べられたグラスを前に、スツール腰かけた笛吹きと少女たちが並ぶ。


「僕がなぜ君たちを理解するのか、君たちは奇妙に感じたようだったけど、理由は簡単なことなんだ。僕もね、君たちと同じ食べられる側の人間だった、単純にそれだけのこと」


「ええっ?」

「ホイッスルさんが、ですか?」


「ああ、意外かな。僕は紛れもない弱者としてこの獣だらけの世界に放り出されていた。だから、君たちウサギの行動原理は理解できる。できてしまう。果たしてそれがいいことなのかどうかは別にしてね」


「いいことだと、思います」

「少なくともあたしたちにとっては」


 笛吹きは苦々し気な笑みを浮かべる。


「肯定してくれるのかい、ありがとう。……僕はね、君たちを見ていると、少し羨ましくも思う。君たちにはそれぞれお互いがいるからさ。僕はね、ずっとひとりだったんだ。たったひとりで、みんなから少しづつ齧られていく毎日だった。ウサギなんて愛嬌のあるものにもなれやしない、せいぜいがネズミがいいところだったな。悲鳴を上げてもどうせ誰にも届きやしない。肉を削り取られていく日々が痛くて苦しくて、それでもできるだけ巣穴に閉じ籠って、どうにか喰いつくされることだけは免れて生きてきた」


「そんな……」


 少女たちにとって、痛みとは自分たちが感じるものでしかなかった。だが、当たり前のことだけどそんなことはないのだ。この世界に痛みはありふれている。目の前の人の横顔の上、落ちかかる影の中に、その傷跡を見せつけられたような気がしてふたりは息をのんだ。


「逃げ込んだ巣穴の中で、僕にできることは日々夢想することだけだった。この世界のどこかに、僕のような弱者でも虐げられることなく生活できる国はないのだろうかと。食べられることに怯えないでいい、悲鳴を押し殺しながら痛みに耐えなくてもいい、僕たちが安心して生きていける国だ。だけど地上の世界は獣に満ち溢れていて、あまりに無情だった。日々、数多あまたの僕や君たちが無残に喰い散らかされていく。そこには絶望しかありはしない。僕は陽の当たらない路を選び獣たちの目を避けつつ、ありもしない場所を思い描いて街を無為に歩き回ってばかりいた。そんな時、ほんの偶然で僕は地下連絡道の壁に刺さっている小さな鍵を見つけた」


「それが……」

「ここなんですね」


 笛吹きは頷いてみせる。


「僕はこの廃棄された地下街にたどり着いた。そこに確かに在りながら、誰にも見えないゴースト・ダンジョンだ。自然とここなんだって理解できた。新しい国のために、僕たちの楽園のために約束された土地。僕らの国は見つかったんだ。だから後は」


 笛吹きはふたりの方に顔を向けた。


「この場所へ、真に食べられる痛みを共有する者たちを導いてやらなければならない。だから、僕は君たちを試させてもらった。本当に肉食獣たちによる支配を断ち切る決意はあるのかと。自らの肉を差し出すことで、いじましい生存権に縋り付く日常と決別する意思はあるのかと。そして君たちは僕の問いに応えてくれた。色々と意地の悪い言い方もしてしまったけど、だからこそ今は確信できる。君たちこそ、僕らの国に相応しいパーソナリティの所有者だ」


 笛吹はボトルを手に取ると、まずは少女たちの前のグラスに、最後に自分のグラスにドリンクを注いだ。


「ようこそ。今日からここが、君たちの国だ」


「あたしたちの、国」

「なんだか凄そう……」


 二人は顔を見合わせる。


 家を出て来た時には想像もしていなかった展開になってきた。笛吹きの言っていることのすべてが理解できたわけではないが、なんとなくニュアンスはわかるような気もする。


「それは、あたしたちがあたしたちらしくいられる場所っていうことですか」


「そうだ。君たちは自分のアイデンティティを享受する資格がある。たとえ弱者でも、ウサギは何者にも恥じることなくウサギらしくあればいい。歓迎しよう、この地底の国家へ。……なんて、こんな大げさなことを言っているけど、実はまだまだほんの小さな国で、僕以外の国民は君たちを入れてまだ6人、そこの椅子で眠る彼女が4人目なんだ。隣の部屋にあとの3人がいるんだけど、みんな疲れているようだからまた後で紹介させてもらうよ。先ずは新たな仲間を歓迎する乾杯としよう。さあグラスを持って」


 少女たちは慣れない手つきでワイングラスを手にする。


「乾杯」


 グラスの縁が軽く触れあい、澄んだ音がする。

 ドリンクが口に運ばれる。


「危ういなあ、キミたち」


 不意に背後から少女たちの耳元へと、吹きかけるような距離で囁かれた。

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