第2話 ハーメルンの廃迷宮1


 【ふたつ目のウワサ】


 ねえ、知ってる?入れ替わりのケモノのこと。


 人を食い殺して入れ替わった後でも、ずっとそのまま成りすましの生活を送り続けているケモノもいるらしいよ。


 ケダモノの本性を隠したままで生活されたら入れ替わりに気づけるはずなんてないし、もしかすると周囲の人がみんな、いつの間にかにケモノだらけになってるなんてこともあるかもしれないんだよ。


 でも、ね。ここからが重要な情報なんだけど、実は見破れないはずの入れ替わったケモノを、見分ける方法がひとつだけあるらしいの。


 それはね、ケモノの本性はケダモノだから、猫なんかと同じで目をじっとのぞき込まれるのが苦手なんだってさ。目の中を見つめられると人の姿を保っていられなくなって、バケモノの正体に戻っちゃうんだって。


 あっと、でも気を付けてよね。目の前でケモノに戻ったりしたら、もちろん逃げ出す暇なんてなくてその場で食べられちゃうんだから。


 こいつになら食べられてもいいかな、なんて覚悟が出来たら、試してみてもいいんじゃない?


 ねえ……まずはあたしでどうかな?ふふっ。



 * * *



 ヒョロロロ……。


 道化た笛の音が、夜の底へと少女たちをいざなう。


「与えられた小屋を捨てて荒野に飛び出したのであれば、ウサギはまず身を潜めておくための巣穴を見つける必要があるだろう」


 笛吹き男と二人の少女は階段を地下街へと下り、地下鉄駅への連絡通路を進む。枝分かれした細いルートに入ると途端に人通りは絶え、更に折れ曲がる見通しの悪い通路へと分け入っていく。眩しいくらいに純白のトンネルを病的に青白いLEDが照らし出し、三人だけの靴音が響く。


「ホイッスルさん、何処まで行くの?」

 Aの袖を握りしめながらBが不安げに問う。


「もうすぐそこだよ。焦ることはないさ。ウサギ君たちはせっかちさんかな」


 ヒョロロ、ロロ。でたらめな笛の音が四方のタイルに反響し、先へ先へとふたりを招く。


 本当にこの男についてきてよかったのだろうか。今からでも踵を返し、逃げ出した方がいいのではないか。疑念を紛らそうとするように、前を行く背中へAは問いかけてみた。


「あの、ホイッスルさんはどうしてあたしたちの話を聞いてくれたんですか?」


 ヒョロロ。笛を吹きつつ答える。

「君たちがそれを望んだから。僕はそれに応えただけさ」


「ホイッスルさんには、あたしたちの気持ちがわかるんですか」


「さあ、どうかな。他人の気持ちなんて、どれだけなぞってみたところで理解できたような気がするだけだろう。結局感情までは自分のモノになりやしない」


「あたしたちが何を言っても、大人はみんな聞こうとさえしてくれないんです。煩い、黙っていろ、口答えするなって。ホイッスルさんみたいな方が普通じゃないんですよ」


「僕は聞くだけだよ。内容については肯定するとは限らないからね。だから、君たちの置かれた状況を把握できたとしても、ここから先は君たちの意思を尊重しかねることもあり得るということだ。それでもいいかい、ウサギ君たち。飼育小屋へ逃げ帰るなら今のうちってことだよ」


 ピロロ。揶揄からかうような、挑発するような物言い。嘲笑あざわらうような笛の音。


「帰りませんって、言っています」

 思わず反発して答えてしまう、Aの悪い癖。


「いーちゃんてば、もう……」

 Bも諦めがちに呟く。


「結構。さあ到着だ」


 笛吹き男が地下通路の途中で立ち止まった。何の変哲もない壁の前のようだが、よく見ると同色の塗料で塗られているものの、その一角だけ異なる素材で作られている。さらにその一部に、通常の半分ほどの高さのくぐり戸が備え付けられていた。


 笛吹きはポケットから小さな鍵を取り出して解錠すると、するりとそこへ潜り込んだ。壁にぽっかりと開いた穴の中は、あまりにも暗い。


「……行こう」

「……うん」


 意を決し、ふたりも後に続く。


 笛吹き男がスイッチを入れたのだろう、疎らな蛍光灯の列が瞬きながら点き、闇が退く。くすんだ色調で辺りが照らし出された。

 地下街の一部が封鎖されたものだろう、薄汚れ荒れ果てた、かつて店舗であったものの抜け殻が、洞窟めいた路地の両脇に並んでいた。


「此処って……」


「廃棄された地下街だよ。経済的な理由や権利の問題とか、法令基準の変更とかで使われなくなった施設が実は地下のあちこちにあるんだけど、ここはその一つ。地上の廃墟のように目に見えることがないから、入口さえ塞いでしまえばすぐにその所在さえ曖昧になって忘れ去られてしまう。一応形式上の管理者は存在しているはずだけど、実情は見てのとおり完全放置の有り様だ。つまり、はぐれものの子ウサギが一時身を潜めておくには、絶好の穴倉というわけなんだ」


「うわ、秘密の隠れ家みたい」


 さっきまで怯えていたBが、少しばかり興奮気味だ。むしろAの方が訝しげに辺りを見まわしている。


「でも、随分と汚れてて、埃っぽい」


「まあ実質廃墟だからね。電気が使えるだけで奇跡だろう?この先に僕がオフィス代わりにしている区画があるから、その中なら少しはマシだよ」


 小ぢんまりとした構えの、かつては酒場だったのだろう。厚みのある木製のドアを開くと取り付けられたられたカウベルがカラコロ鳴った。


「わあ、大人の店って感じがする」


 一枚板のカウンター前にスツールが並び、ボックス席が二つ、奥には簡単なステージのようなスペースがある。埃は拭い去られているものの、そこここに家具や段ボール箱が積み重ねられており雑然としていた。


「片付いているとは言い難いけど、そこは我慢してくれないか。今夜のところはそこのソファー席をベッド代わりにするといい。君らでもちょっと窮屈かもしれないけど。僕は毛布を用意してくるから、この部屋の中でなら寛いでくれていいよ。冷蔵庫の飲み物も好きにしていい。でもアルコールはダメだからね」


 そう言い残して、笛吹きはさらに奥の部屋へと入っていく。


「こんな場所が使えるなんて、ホイッスルさんホント何者なんだろう?いい人そうで良かったけど」


 居場所を確保できて楽観的に喜ぶBは、はしゃぎ気味にカウンターの中や冷蔵庫を確認して回っている。


「これってお酒?ウイスキー?えーと、ブランデー?あ、これってカラオケかな。この箱みたいなの昔のテレビだよね」


「ああ、うん。そう……」


 それに対して、Aは生返事を返しながらまだ考え込でいた。


 あの笛吹き男に子ウサギなんて言われたこと。あなどられているようで嫌な感じはしたが、否定できない。無力なウサギ、その通りだった。所詮、飼育小屋の外では生きていけない。この地下の穴蔵が、新たな小屋になるのだろうか。


 俄かに、隣室で慌ただしく動き回る音がしてきた。


「どうしたんだろ?ホイッスルさん、毛布見つからないのかな」


「わわわ、いーちゃん、見てよこれっ!」


 いつの間にか奥のステージ上まで探索範囲を広げていたBが、ひときわ高い歓声を上げた。


「うわ……」

 呼ばれて覗き込んだAも、思わず息を呑む。


 壁に向けて置かれていたから気付かなかった。大人でもすっぽり埋もれてしまいそうな、たっぷりとした背もたれの皮張りアームチェア。その上にはゆったりと腰かけた……ゴシックドレスの少女と、膝の上の猫。


 細身の身体を、フリルとリボンに縁どられた黒基調の装束と編み上げブーツに包み込む。淡く朱を注したような薄い唇の上、肩先で切りそろえられた黒髪に縁どられて、整いすぎた顔立ちの右眼には眼帯まで着けていた。膝の上で丸くなっている猫も、銀色の毛並みが生々しいほどに艶やかだが……どちらも眼を閉じたまま微動だにしない。


「これって、人形?」


「きれい……洋服も可愛い、けど」


「等身大の、こんなのって」


 なんだか怖い、とふたりは感じた。人のようでありながら、人ではありえないクオリティの造形。その姿かたちを大まかな印象では人間であると認識しながら、細部の違和感がそれを裏切る。人のようだが、人には見えない。だから怖ろしい。


「どうして、こんなものが、ここに?」



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