第1章 鼠と人形

第1話 七番街の夜


 【ひとつ目のウワサ】


 ねえ、知ってる?人間を食べる怪物の話。


 しかも食べた人そっくりに化けて、誰にも気づかれないうちに入れ替わっているんだって。


 食べられるのは体だけじゃなくて、性格も話し方も仕草も癖もまるごと奪われちゃうから、どんなに親しい人も入れ替わりに気づくことができないんだってさ。家族だって恋人だってわからないんだから、もちろん友達くらいじゃあもう、絶対にね。


 それからしばらくすると、その人の身近な人がひとりずつ姿を消していくらしい

よ。化け物がさ、食べちゃうんだって。


 でね、食べている間は本来のケダモノの姿に戻ってガツガツと貪り食っておいて、食べ終わったらまた人の姿になってこんなふうに言うらしいんだ。『あれ、アイツ何処へ行ったのかな』なんてさ。


 気を付けた方がいいよ。こうして話している今だって、すぐ隣や目の前に人に化けたバケモノがいたとしてもわからないんだからね。『お腹空いた』なんて言い出すヤツがいたら用心しないと。


 次はキミの番かもしれないよ。……ところでそろそろおやつにしない?ふふっ。



 * * *



 夕暮れ、街角で肩を寄せ合う二人の少女がいた。


 とりあえずA・Bと呼ぶことにしよう。それぞれ家庭や親との問題を抱え、友達二人で家出をしてこのティーン向けの店が並ぶストリート、「7番街」を訪れていた。


 ファンシーな小物やパステルカラーに彩られたグッズ、ふわふわキラキラしたスイーツのひしめくウインドウが次第に明かりを消し、冷たいシャッターが閉ざされていく。夜の帳とともに街は表情を変え、ずっと大人向けと思われるどこか如何いかがわし気な看板が次々に灯されていく。あれほどさざめいていた同世代の女の子たちは姿を消して、アルコールとニコチンの臭いをまとった大人たちの靴音が押し寄せてきた。胡乱うろんな目つきの男たちが街頭に立ち、所在無げに自販機の前でしゃがみ込む少女二人の方をちらちらと窺ってくる。


 気温もぐんと下がり、AとBは冷たくなりかけた互いの手をしっかりとつなぎ直した。ひとりだったら、不安と寂しさに挫けてすぐに帰ってしまっていただろう。


 でも、今はふたりでいる。


「お腹すいたね」

「うん……」

「いーちゃんいくら持ってる?」

「1300円。めぐは?」

「850円」

「ハンバーガーくらいなら食べても大丈夫だよね」

「うーん、牛丼とかにしておいた方がいいのかも」


 お金を使ってしまうのが怖かった。とりあえず自販機で130円のホットココアを買い、二人で指先を温めながら回し飲みした。


「うう。あったかい」

「沁みる。甘いねー」


 計画性なんてろくにない家出だった。でも、『あの子の家庭には問題があるから友達は選びなさい』なんてことを言う親のいる家庭なんか、こっちから選択拒否してやるのだ。


「このココアに誓うからね。もうあんな親たちのところなんて帰らないぞって。ここから二人で生きていくんだからね」

「うん。いーちゃんと一緒だもんね」


 ココアで暖まった白い息を吐きながら、ふたりで頷き合う。


 ジャラッ、金属の触れ合う音が頭上でした。派手なシャツに白いジャケットの男がワックスで固めた頭で見下ろし、ふたりの前を塞いでいた。


「ねえキミたちィ、もしかして家出中かなー。行くところがないなら泊まるところ用意してあげよっか。ねえお腹空いてない?とりあえずメシおごるよゥ」


 男が体を揺するたびに、ギラつくメタルのアクセサリがカチャカチャ鳴る。


「違います。行こ、めぐ」


 Aはさっさと立ち上がり友人の手を引いて立ち去ろうとする。

 と、男はするりと行く手に回り込む。


「違うゥ?違わないよなあ。聞こえてたんだよなーキミらの会話。金ないんだろ。俺に任せときゃあ金なんて心配しなくていいんだぜ。そんなもんじゃ腹の足しにならないだろ。イイもん食わしてやるぜェ。焼肉なんてどうよ?なあこっちにこいよホラ」


 友人の腕を掴もうとする男の手を、Aはココアの空き缶で払いのけた。


「聞き耳立てていたんですか、気持ち悪い。そこ、退いてください」


「おっと、いいねェ。嫌いじゃねえぜ気の強い子。期待値爆上がりィー。なあ、素直にしてりゃあイイ思いさせてやるぜ。つまんねえこと言わなけりゃ、これから楽しいことイロイロ教えてやるよゥ」


「私たちもう行きます。退いてください」


 しかし逆にふたりは自販機を背に追い詰められてしまう。不自然に日焼けした腕が金ブレスをじゃららつかせてのびてくる。


「俺、優しくするぜェ」

 ニタニタと男が笑う。


 ピリリリリーーー。


 繁華街の雑踏に、ホイッスルが鳴り響いた。


「チッ、ウぜえ。またサツかよ、ついてねえな」

 盛大に舌打ちして苦々し気に男が顔を顰めた。

「久々のご馳走だったてのによゥ」


 男は逃げるように雑踏の中へ紛れて行った。


 緊張が解け、二人して地面にへたり込む。


「ひいん。怖かったよう、いーちゃん」

「うん、もう大丈夫だよね?」

「ねえ、あれってアレかな。例のウワサのケモノ!あたしたちのことご馳走とか言ってたし」


 最近よく聞く噂。人を食べるという化け物の話。


「ああ……かもね」

「うわあ、危なかった」


「こら、君たち」


 コートを着たひょろりとした男が口にホイッスルを銜え、傍らに立っていた。 どう見てもただの民間人だ。


「こんな時間にこんな場所うろうろしていちゃだめだろう」


「あれ、警察じゃないの?」


「ああこれ?そこの量販店で買ったんだ」

 ヒョロロ、と軽く吹き鳴らしてみせる。


「僕はただの通りすがりの暇人だよ。しかし君たちみたいな子供、野獣の群れに迷い込んだ子ウサギみたいなもんだよ。危なっかしくて見てられないや。さあ、早く家に帰りなさい」


 ふたりは目線を交わし、俯く。もう怖いのは嫌だった。でも素直に帰るわけにもいかない。

 取り合った手をつなぎ直して、キュッと握りあう。


 笛吹き男はそれを見て、頭を掻いてため息を吐く。


「あー、うん。そりゃまあ、訳ありだよね。じゃ、まずは話でも聞こうか。寒いしそこのカフェでも入ろう。ちょっとくらいなら奢るよ」


 コートをひるがえし、笛吹き男はすたすたと手近なカフェに向かう。


「……どうしよ?」

「うーん、あてもなんもないし、とりあえず……」


 おずおずとふたりは後について行き、洒落た硝子のドアをくぐった。チリン、とドアチャイムが鳴る。


 席に着くと程なく、それぞれの前に甘い香りのラテとホットサンドが並んだ。


「ええと、いいんですか?」


「まあこのくらいなら、威張れるほど高いものじゃないしね。ああ、パンケーキのほうが良かったかな」


「そんな、充分です」

 あわあわと手を振るA。こういうお店の値段なんて、せいぜいハンバーガーチェーンが経験値の限界であるふたりには全然想像がつかない。


「ふわ。なんか大人っぽいよ、いーちゃん」

 Bは目を輝かせながらきょろきょろあたりを見回している。Aももじもじと何か落ち着かない。


「そんな大したもんでもないんだけどなあ。まあまずは食べて、落ち着いてから話してもらおうかな」


 これはもう、行儀よくしてみせないといけない。とは思っていても、食べ始めたら止まらなかった。


「これは奢りがいがあるなあ」

 笛吹き男に感心されて、赤面するしかないAとB。


 お腹もひと段落したところでようやく、まだ礼も伝えていなかったことに気づいた。


「あの、ありがとうございます」


 Aに続いてBもぺこりと頭を下げる。


「助けてもらった上にこんな食事までなんて、……ええと」


「ん、ああ、僕のこと?そうだな、名乗ってもいいんだけど、そしたら君たちも名前を黙って居づらくなるだろう?僕も補導員じゃないから、君たちの住所や名前を無理矢理聞き出して、強制的に家庭に連絡を取ったりする気はないんだ。僕のことはとりあえず、そうだな……ホイッスル・マンとでも呼んでくれればいい」


 ピロピロと、おどけた調子で軽く吹き鳴らしてみせる。


「じゃあ、あの、ホイッスルさんは、やっぱりあたしたちを家に帰らせるつもりなんですか」


「そうだね。勿論そうするべきなんだけど。先ずはちゃんと君たちの話を聞いてからにしようかな。こんな時間までこの街にいる、それにはそれなりの理由があるんだろう?そんなに家に帰りたくないと言うなら、その訳を教えてほしいな」


 ぽつぽつと話し始めてみると、笛吹き男の話の聞き方が上手いのか、いつの間にかあれもこれも打ち明けていた。家庭に学校、今日に至るまでの両親や教師、クラスメイト達とのいざこざのひと通り。話を遮るような口出しはせず、程よく相槌を打ちながら聞くことに徹してくれたから、何時しか何もかも吐き出していた。


「だから、うちの親たちがだらしがないのはホントだし、そのせいでいろんな人に迷惑掛かっているのもわかっているんです。娘のあたしが何を言っても聞いてなんかくれないし。でもそのせいでいーちゃんまで怒られるのなんて嫌だったから」

「なに言ってるの、めぐは悪くないでしょ。むしろずっとずっと頑張っていたじゃない。なのにみんなそれを解ろうとしないで、見ないふりして、それどころかめぐのことまで」

「だからって、いーちゃんまで嫌な思いすることないのに、巻き添えになっちゃうよ」

「言ったでしょ、嫌なんて思わないって」

「うん。でもさ……」

「でもじゃなくて」


 話が行きつくところまで行きついたのか、堂々巡りに陥ってきた。この街に来るまでにも、ふたりで何度も話し合ってきたことの繰り返し。つい声も大きくなってきたところで笛吹き男がふたりの間に手を差し出し、もう一方の人差し指を口の前に立てた。


「OK。まあ、大体の事情は聞かせてもらったかな」


 自分たちの声量に気付いて、再び赤面して縮こまるふたり。


「結局のところ、問題は」

 笛吹き男は顔の前で指を組みながら、告げた。


「君たちが無力な子ウサギに過ぎないということだろう」


「……ウサギ?ですか。あたしたちが」


「そう、ちっぽけな二匹のウサギ。誰も君たちを一個の人格としてその存在を認めてくれやしないから、君たちの言葉も行いも、誰に対しても届くことがない。相手にしてもらえない。いくらもがいても叫んでも、ただ傷つけられるだけの小動物でしかない」


 突き放した言葉だった。運よく親切な人に遭えたのかもしれないと思いはじめていたところだったから、なおのこと心に刺さった。


 込みあげてきた悔しさに、Aは呟く。

「所詮、子供だってことですか」


「弱者だということだよ。捕食されるための存在だ。さっきだって、危ないところだっただろう」


 自販機前での出来事思い出し、ふたりは背筋を冷たくする。BがAの袖を引っ張る。

「ねえ、あれってやっぱり」

「うん……」


「君たちのようなヒエラルキーの下層に属するものは、力を持つものに見つかれば食べられてしまうしかない。それが自然の摂理だ。弱肉強食は人間社会にも普遍の理だよ。無力なウサギは飼育小屋に戻って閉じこもっておくべきなんだ」


 それが現実というものなのだと、笛吹きは言う。


 机の下で、BがAの手に触れる。


「ねえ、いーちゃん……」

 やっぱり、帰った方がいいのかな?ちらりと振られる、Bの問いかけるまなざし。


 Aの中でゆらゆらと振り子が傾く。

 何が正しい?どうすればいい?

 どこかへ押し流されそうになり、AはBの手を握り返す。


 ほら……温かい。そうだ、蹌踉よろけてなんかいられない。


「いろいろとありがとうございます。ホイッスルさんはあたしたちを帰らせるために、敢えてそんなキツイ言い方をしてるんですよね。でも」

 Aは顔を上げる。


「帰りたくありません」


「……ふうん」

 笛吹き男は微かに顎を引き、組んだ指で口元を覆った。


 Aは浅く息をついてから、続ける。


「ホイッスルさんは『ケモノの噂』を知っていますか。人を食べて、その人そっくりに化けるという怪物の話です。今学校ですごい話題になっていて、市内だけでももう何人が食べられてしまったらしいとか、校内にも何匹もケモノが紛れ込んでるらしいとか、みんなそんな話ばかりしていて、この子もしょっちゅうそんなことを言ってます」


「ああ……話くらいは聞いたことがあるよ。最近はやりの、都市伝説みたいなものだろう」


「はい。あたしには信じられないんですけど」


「だめだよいーちゃん、だいたいはそうやって莫迦にしてる人から先に食べられちゃうことになってるんだから」

 Bが少し喰い気味に話に入ってくる。


「あたしはいーちゃんが心配だよう」


「面白いからって現実と作り話をごちゃごちゃにしている方がまずいでしょ」


「でも実際、さっきの怖い男の人、あれ絶対ケモノだって」


「あ、んん……」

 そんなはずない、と分かっていても。あの時の怖ろしさを思い出すと、Aも否定しきれなくなった。


「確かにね」

 笛吹き男が言った。


「あれはこの街に巣食うケモノの類だ。もう何人も喰らっていても不思議はない。そして次は確実に君たちの番だった」


「ほら。やっぱり、危ないんだよいーちゃんってば」


「ややこしくなるから、ちょっとめぐは黙ってて。……比喩の話ですよね、それって」


「さあ、どうかな。現実に人の肉を喰らうモノは存在するよ。その危険性をウサギの君たちは、特に君はもっと自覚するべきだ」


「また脅かすようなことを言って帰れというんですね。でも、比喩の話をするのであれば、あたしだって知っているんです。ケモノがいるのはこの7番街だけじゃない。ホイッスルさんが言うところの飼育小屋に帰っても、ウサギは小屋の中の同族や飼育員に、ゆっくりとかもしれないけど結局、食べられてしまうんです」


 Bの手を握る手のひらが熱かった。Bも握り返してくる。


「あたしはめぐが食べられるのを許すことができません」


 それを聞いて、Bも頷く。

「あたしもだからね。いーちゃんを食べようとするケモノは許さない」


 笛吹き男は目を瞑り、ふうっと息をついた。


「なるほど、それが君たちの答えか。ウサギにはウサギの決意があるということだね。……うん、まいったね。教え諭してやろうと思っていたのに、逆に納得させられてしまいそうだ。よくわかったよ」


 笛吹き男は席を立った。

「なら、見せてもらおうかな、ウサギなりの決意ってやつを。僕にもまだ君たちのためにしてあげられることがありそうだ。ついてきなさい」


 会計を済まし店を出ると、男はホイッスルを口に銜え、ヒョロヒョロとふざけた調子で吹き鳴らしながら先を歩いていく。


 掴みどころがないというか、得体の知れない人だ。真摯なようでいてお道化ているようなところもある。結局、素性も明らかにしていないし、親切に奢ってくれるところなども疑ってかかれば、実に怪しい。でも、親たちも教師もまともに取り合ってくれなかったふたりの話を、この笛吹き男だけが受け止めてくれた。ふたりが心に抱え込んでいたものを、認めてくれた。


「行ってみようよ」

「うん」


 夜は更け、ふたりは妙な男のおかしな笛の音の後について街路をたどる。


 いつしか道は表通りを外れ、宵闇の深みの奥へと踏み込んでいた。

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