そこにいなかった兄
『――始めますっ!』
ハルさんのかけ声と同時に、パンパンって花火が上がる。
俺がその花火の方向見て、そして元の場所に視線を戻したら……もうそこにはオルアクアも勇者さんもいなかった。
慌てて目を海の方に向けると、そこには凄い勢いで跳ねる二つの水しぶきだけが見えた。
「むちゃくちゃ速い」
「ラキ……」
「ラキ……! 負けるでないぞ……っ!」
『は、速い! 両者共にあまりにも速すぎるーーっ! ですがご安心下さい! ここからは大魔王様からご提供頂きました、飛行型ドローンカメラによって勝負の模様をリアルタイムでご覧頂けますっ!』
マイクを持ったハルさんが台の上で腕をぶんぶん振り回す。
ハルさんの隣には式典の時にも見た大きな黒い板があって、そこに空から見た二人の映像がピカーって浮かび上がってきた。
『この度の水泳勝負! ルールはこのパライソを一周し、先にアクアキングダムに戻ってきた方が勝者となります! さあ、果して人と魔族……互いの威信をかけた水泳勝負はどちらに軍配が上がるのでしょうか!?』
「ラキ……。兄貴……」
「なあリリーよ……。今度こそ話してくれても良いのではないか? お前はいつも、アールリッツのことになると適当にはぐらかしてまともに答えぬではないか……。一体お前とアールリッツの間になにがあったのだ……?」
「リリーとお兄さんに……?」
大きな黒い板に映ったオルアクアと勇者さんを見ながら、リズは心配するみたいにしてリリーに声をかけた。
リリーは少し話し辛そうにしたけど……すぐにぽつぽつって答え始めた。
「私が聖女になったのは、リズが大魔王になったのと同じ五歳の時ってのは知ってるだろ……? それまで、私と兄貴は二人だけでパライソの貧民街に暮らしてたんだ……」
「そこまでは私も聞いている……。聖女の力に目覚めたことで、歴代の聖女が住む館に連れてこられたと……」
「ああ……でも館に連れてこられたのは〝私だけ〟だった。兄貴は私の血縁ってことで貧民街からは自由になったけど、聖女の館には入れなかったんだよ……」
そこから、リリーは少しずつ子供の頃の話を聞かせてくれた。
リズはもう結構その辺りのことは知ってたみたいだけど、ちゃんと初めての俺にも分かるように、リリーは順番に話してくれた。
ずっと一緒だったお兄さんと無理矢理離ればなれにされたリリーが、前の聖女様でも手に負えないくらいに暴れてたこと。
それでもリリーは、ずっとお兄さんに手作りのハンマーと手紙を出していたこと。
そして……お兄さんがリリーの出した手紙に全然〝返事をくれなかった〟ことを……。
「どうして……? って思ったよ……。聖女になった私を、兄貴は嫌いになっちゃったのかなって……。こんなことなら聖女としての豪華な暮らしよりも、前みたいに兄貴と一緒の方が良かったって……。どんな時でも二人で一緒だった、貧乏暮らしの頃の方が良かったって、本当にそう思った……」
「ちょうどその時に私と知り合ったのだったな……。正直なところ、私もあの頃のリリーの荒れっぷりにはドン引きしたものだ……」
「リズには本当に感謝してるんだ……。もしあの時リズが手紙をくれてなかったら……。もしあのままあの場所で一人だったら……。きっと私は、今みたいにはなってなかったと思うからさ……」
「そうだったんだ……」
その話をするリリーの顔は、今まで俺が見てきたリリーのどんな顔よりも辛そうに見えた。
「でもさ……あのクソ兄貴、私が十歳になった頃にいきなり戻ってきたんだ……! 勇者になったんだって……。勇者になれば、聖女の館にも自由に入れるって……! また昔みたいに……いつでも、一緒にいられるって……っ! すげえ、笑顔で……!」
「リリー……」
「私だって分かってるんだよ……っ! 兄貴が勇者になるまでどれだけ苦労したのかとか、どれだけ大変だったのかとか……! 私が出してた手紙だって、返事どころか、そもそも受け取れてたのかだって怪しいんだ……! だけど……っ!」
いつの間にか、リリーの声は震えてた。
そしてそんなリリーを見て、ようやく俺にも分かってきた。
リリーは……本当は今もお兄さんのことが大好きなんだ。
本当に大好きで、だけど子供の頃にあった辛い思い出のせいで、大好きって言えなくなってて、それで辛いんだ。
だから。
だからラキは……。
こんな俺でも気付いたんだから、ラキはとっくにリリーの気持ちは知ってたはず。
本当は、昔みたいに兄妹で仲良しになりたいっていうリリーの気持ちを、ラキはもう良く知ってたんだと思う。
それで自分が大変な目に遭っても、大切なリリーの気持ちをなんとかしてあげたくて……。
『な、なんという速さでしょう!? ラキの操るオルアクアと生身で泳ぐ勇者アールリッツ! 共にたった数分でパライソの反対側を周り、早くも折り返し地点を通過しました! ですが、これは勇者アールリッツが少しずつリードを広げているかーーっ!?』
「ラキ……頑張って」
凄いな……。
本当に凄い。
ラキだけじゃなくて、リズもリリーも。
勇者のお兄さんも、みんな……。
みんな、大切な何かのために一生懸命頑張ってて……。
そのためにはどうすればいいのかって、いっつも考えて、悩んでる。
俺は……。
俺にも、そういうことが出来るのかな……。
大切な何かのために、頑張って……こう……なんかを……。
そんなことを考えながら、俺は自分でも全然気付かないうちに、今もすぐ横にいてくれるリズのことをぼーっと見てた――。
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