カノア伝説


「カノアが、ダメ人間だと……?」


 ビリってきた。


 リズに近い方の腕に〝火がついたままの松明〟が近づけられたみたいに、チリチリって音が聞こえてきそうだった。


 リズの長い黒い髪の毛がぶわって広がる。

 野良猫がフシャーって怒ったときみたいに。


 海風とは違う、リズを真ん中にして風が起きてる。

 その風は熱いのか冷たいのかもわからない、ゾッとするような風だった。


 怒ってる。

 リズは……凄く怒ってる。


 初めて見た。

 リズが本気で怒ってるところを。だけど――。


「ホッホ……!」


「……!」


 思わずリズの方を向いた俺の視界の端。

 ステージの下で腰を曲げながら俯くおじいさん……ヘドロメールさんが笑った。


 笑った……。


 …………。


 え……?


 笑ったのか?

 なんで……?


 こんな、横に立ってるだけで吹き飛ばされそうなほど怒ったリズを見て……?


 ……ダメだ。

 よく分からないけど……これはダメだ。


 俺の中の何かがむっちゃ叫んだ。

 最後に叫んだのがいつだったか思い出せないけど、とにかく心の中では叫んでた。


 だから――。


『「リズっ!」』


「っ!?」


 気がついたら、俺はリズの細い腕を掴んでた。


 でもそれと同じタイミングで、反対側からもぽんって感じでリズの肩に小さな手が乗っかっていた。


「カノア……。リリー……」


「落ち着けよ。今日はせっかくの楽しいパーティーなんだ。リズがそんな怖い顔してたら、他の皆だって安心して楽しめないだろ?」


「……っ! す、すまない……。この私としたことが……っ。つい頭に血が……」


「ははっ! 〝一つ貸し〟だぞ。もちろん、私とカノアの二人になっ!」


 俺の反対側からリズを止めたのはリリーだった。

 リリーはいつもみたいにリズに笑うと、スタスタとステージの前に歩いてく。


「なあ爺さん、アンタさっき〝証拠を見たい〟って言ってたよな?」


「ヒョッヒョッヒョ……! あともう一押しで釣り上げられたモノを……! ――確かにそう言いましたなぁ。我輩とて大魔王様にお仕えする身、本来であればこのようなご無礼は働きたくはないのですよ……。そこの男が真に英雄である証拠さえ見せて頂ければ、大人しく引き下がりましょう……!」


「その言葉、確かに聞いたからな! なあリズ。そういうことならここで見せてやれば良いじゃないか。別に私達は、証拠がないなんて〝一言も言ってない〟もんな?」


「そうか……! そうであった! 既にこういうこともあろうかと、〝あれ〟の準備をさせていたのであったなっ!」


「あれって?」


「へへっ! 本当は開会式じゃなくて、夜のメインステージで見せる予定だったんだけど仕方ないな! おい爺さん……今からカノアが本当の英雄だってことを見せてやる!」


「ホッホ! はてさて、一体どのような……」


「とくと見るがいい! これが……〝カノア伝説〟だッッ!」


 カノア伝説?

 

 なんのことだろうって俺が首を捻っていると、ステージの上の方から大きなクレーンに吊された、もっと大きな〝光る板〟がゆっくり下りてきた。


 それと同時にさっきまで明るかった会場が何かに遮られたみたいに暗くなる。

 っていうか……よく見たらリズが自分の魔力で会場の上に大きな天井を作ってた。すごい。


 そうしたら、セットされた光る板が突然ぱっと光って、そこに見覚えのあるパライソの街が浮かび上がる。


 あれ……?


 なんだか妙に親近感のある、しょぼしょぼした背中がアップになっていくな……。


『海の英雄、カノアの朝は早い……夜明けと共に家を出た海の英雄カノア・アオは、自らに課した過酷なトレーニングのために今日も一人海へと向かう……』


「どういうこと」


「クックック! 驚くのはまだ早いぞカノアよ! さあ、我が魔族の総力を結集して制作した〝カノア検証ドキュメンタリー〟……カノア伝説の上映開始だッッ!」


「なにそれ」


 超ハイテンションで宣言したリズの横で、俺はびっくりしながらその映像を見た。

 映像の中の俺はなんか凄いキリッとした顔をしてて、腕を組んで白い船の先っぽに立ってる……。


 でもこの船……俺がラキと一緒に水泳EXの特訓に使ってた船のような。


『海の英雄、カノアは多くを語らない……。なぜなら、彼にとっては言葉よりも、泳ぐことこそが自らの人生を形作る行為に他ならないからだ……! 自身の生き様を母なる大海に刻み込むかのように、カノアは今日もただひたすらに泳ぎ続ける……!』


「なに言ってんだこいつ?」


「ククク……! ちなみにナレーションは全部〝私〟だ……ッ!」


「なんてこった」


 なんかもうほんと、色々びっくりだった。

 

 最初からずっと俺が映ってて、なるべくしょぼしょぼに見えないように。

 というかむしろ格好良く見えるように、アングルとかも徹底的に考えられてた。


 他にも、俺の泳ぐスピードが光の速度と同じとか。

 バタフライで泳いだときの水柱の高さが雲より高いとか。

 俺がグッとガッツポーズしただけで、溺れてる人が千人助かったとか。


 とにかく、色んな検証を交えてひたすら俺のことを紹介する映像だった。

 しかも地味に結構長かった。


『わーわー! 凄い! あまりにも凄すぎます! これが海の英雄カノアさんの真の力なのですね!? 皆さんもご覧になりましたか!? 私達は今、新たな英雄の誕生を目にしているのですっ!』


『『ワーー! ワーー! カーノーア! カーノーア!』』


「普通に盛り上がってるし」


「クックック……! アーーーーッハッハッハ! どうだヘドロメールよ!? これだけの科学的検証と多角的な密着取材によって明らかになったカノアの力は!? これぞ海の英雄……全世界の命を救ったカノア・アオなのだッ!」


「ぐ、ぐぬぬぬ……! さ、流石は大魔王様……っ! どうやら、今回はこのヘドロメールが非礼を詫びねばならぬようですな……! リズ様、カノア殿……それに聖女よ……! 式典の席で大それた口を挟んだこと、どうかご容赦くだされぇえ……ッ!」


「マジか」


「マジマジ、大マジだって。そこの爺さんは別として、そもそも私達人間はこーいうド派手な映像なんて誰も見たことないしさ。こんなの見せられたら、そりゃ一発でカノアすげーってなっちゃうだろうな! はははっ!」


「そうか……。確かにそれはそうかも」


 リリーはそう言って俺の背中をぽんぽん叩いてくれたけど……。 

 あまりのことに、俺はびっくりすることしか出来なかった。


「――ちなみに、今回の動画撮影は全てこの僕がやりました。感謝して下さいね、カノアさん」


「ヘナヘナしたカノアの顔を格好良く加工したのはこのオディウム様だぜェ! ヒャハハハハ!」


「わ、私も……! リズ様と一緒にカノアさんの水中での速度や、立ち昇る水しぶきの高さの測定と……そこから割り出される水かきエネルギー総量の計算などを行いました……! はいっ!」


「ハッハッハ! 俺は何もしていないぞ! ハッハッハッハ!」


「うわ、みんな出てきた」

 

「うむうむ! まだ式典は始まったばかりだが、私も皆のお陰で無事危ういところを乗り切ることが出来たのだ……! カノア、リリー! そして頼れる四天王達よ! このまま最後までよろしく頼むぞ! クハハハハハ!」


 最初に比べると随分人の増えたステージの上。


 いつも通りの感じに戻ったリズは俺の手やリリーの肩に手を回すと、俺達全員に凄く良い顔を向けて笑った――。




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