カノアの身の上話
「ふおおおおおおおおおおッ!? は、はやッ! 速すぎる! ちょ、ちょっと待て! 待ってえええええええええッ! ゆっくり! もっとゆっくり! びええええええええええええ!?」
「もっとゆっくり……このくらいかな?」
「ぎゃぴィィィィ!? だ、だからはや……速いって言っておろうがあああああ!? ぴゃあああああああああ! お助けえええええええええッ!?」
前後左右に上と下。
どっちを向いても正真正銘の青しかない海のど真ん中。
長いロープを体に巻き付けた俺は、そのロープの先にくっついたビート板にしがみつくリズを引っ張りながら泳いでいた。
「えぐ……っ! えぐ……っ! ふぇぇぇぇぇぇんっ……! ほ、本当に死ぬかと思ったよぅ……っ! いや……もしや私はすでに死んでいるのでは……? 大魔王完全終了なのでは……っ? えぐえぐ……っ!」
「ご、ごめんなさい……。よく考えたら今まで水泳EXでゆっくり泳いだことなかった……」
「き、貴様ぁああああああッ!? そーいう大切なことは先に言うのだ先にっ! 久しぶりにガチ泣きしてしまったであろうが!? 木っ端微塵に砕け散った大魔王の威厳をどうしてくれるッ!?」
「気をつけます……」
むぅ……失敗してしまった。
皆を助けた時も、この前のサメの時も……とりあえず急いで泳いだことしかなかったから、リズみたいに俺にくっついてる人をゆっくり運んだことがなかったんだ……。
とにかく広い海のど真ん中。
俺は今度こそリズを怖がらせないようにゆっくり……ゆーーっくり泳いでみる。
「お……おお? おおおおおおっ!? いいぞいいぞ! このくらいならば私でも平気だ! やれば出来るではないかっ!」
「良かった……速すぎたら教えて」
「いいだろうっ! よろしく頼むぞ、カノア!」
そう言うと、リズは俺の体に巻き付いたロープをたぐり寄せ、ぽんぽんと俺の肩を叩いてキャッキャキャッキャとはしゃぎ始めた。
…………というか。さっきまであんなに怒ったり泣いたりしてたのに、もう許してくれたのか……?
やっぱり、リズは凄く優しいんだな……。
今のリズはあの大きな角は重いから外して、普段着ている黒い服と似た感じの黒い水着に、なんかひらひらしたスカートみたいなのを巻いてる。
それに白いビート板とピンクの浮き輪をつけて、片手には小さな〝光る板〟を持っていた。
「ふむ……私の持つ地形データによれば、このまま西にまっすぐ行った辺りに山脈地帯があったはずだ。洪水による海面上昇は星全体で平均1000メートル……本来の山脈の高さから計算すれば、山頂部分は余裕で残っているはず……」
「サッパリわからない」
「クックック……任せておけ! 私がこうして同行したのも、まだ見ぬ陸地まで貴様をナビゲートするためだ! カノアは何も気にせず、大船に乗ったつもりでいるがよいっ!」
「わかった、ありがとう」
リズの指示に従い、俺はとにかく西に向かって泳ぐ。
パライソからはもうかなり離れたと思うけど、ここまでくると一つ一つの波も凄く大きくて潮の流れも速い。
今まで生きてきて、こんな風に海だけの景色を眺めるなんてことはなかったから、結構新鮮な気分だな……。
「…………なあカノアよ。貴様、家族はいるのか?」
「ん……?」
けどその時。
白い波を立てながら適当に泳いでいると、突然リズがそんなことを聞いてきた。
「あ……いや、話したくないならいいのだ! ただ、あのような大洪水の後だ。もしカノアに家族がいるのなら、どうしているのかと思ってなっ!」
「……元気だった。洪水の時も真っ先に助けて、パライソとは別の近くの街に避難させてる」
「おお、そうか! それは良かったな! カノアが多くの命を救ったと知れば、ご両親もさぞかし喜んだのではないか?」
白いビート板の上で寝そべりながら、リズはニコニコ笑ってそう言ってくれた。
けど……どうなんだろうな。
本当にちょっとだけ……俺はリズにどう答えるか悩んだ。
こんな俺にも、なんだかんだ話し辛いことはある。
けど……まあいいか。
別に大したことじゃないし。
「家からはずっと前に〝追い出された〟んだ。だから……もう家族とは何年も話してないし、俺が皆を助けたことも知らない」
「追い出されただと……?」
「俺は働くのも、早起きも、勉強するのも苦手だから……。子供の頃から、皆に迷惑をかけてばっかりのダメ人間で……」
「カノア……」
「でも、無理して苦手なことを頑張ったりするのもしんどいし……。だから冒険者になれば……こんな俺でものんびり、昼まで寝てても大丈夫な暮らしが出来るかなと思ってたんだが……」
「なるほどな……。そういうことだったのか……」
むぅ……やっぱり話さない方が良かったかな。
俺の話を聞いたリズは、なんか難しい顔をして黙ってしまった。
でも……実は俺もこんな身の上話を他人にしたのは初めてで、自分でもびっくりしてる。こんなこともあるんだな……。
「むむぅ……なんか暗い話でごめん……」
「気にするな、私の方こそ嫌な話をさせてまったな!」
そんな俺の考えを察したのか、リズは揺れるビート板の上にふらふらとよじ登ると、いつもの仁王立ち大魔王ポーズでそう言ってくれた。立ってる足がぷるぷる震えてるけど。
「そしてカノアよ……! 誰がなんと言おうと、私にとって貴様はダメ人間などではないぞっ! 今だって私は、こうして泳げもしないのに貴様を信じて一緒に海に出たのだ! 堂々と胸を張り……それを誇りにして生きろ! このリズリセ・ウル・ティオーが許すっ!」
「…………うん」
そうか……そうだよな。
リズは全然泳げなくて、海だってすごく怖いみたいなのに……。
それなのに……俺を信じて一緒についてきてくれてるんだ。
…………。
むぅ…………。
俺がこんなに誰かから頼られたのは、多分生まれて初めてだと思う。
そう思うとなんだか……よく分からない気分になってくる。
でも……そうだな。
俺ももう少しちゃんとやろう……。
無理のない範囲で……。
昼まで寝ててもいい範囲で……。
水平線にうっすらと見えてきた〝陸地〟を見つめながら、俺はそんなことをぼんやり考えていた――。
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