第5話 聖女ちゃんの幼馴染

「おじゃまします」



 あたしは愛すべきか微妙なその腐れ縁に促されるまま、彼女の暮らしている屋敷へと入り、およそいるであろうリョカの両親やその他使用人にあたしが来たことを告げる。



「もうミーシャったらそんな他人行儀に。ここを自分の家だと思ってくれたっていいのよん」



「あんたの家だったらそうしてやるわよ」



「もう何年も通ってるんだからミーシャの家も同然でしょう。そんでミーシャの家は僕の家も同然――」



「うんなわけはない」



 わざとらしく肩を竦ませる姿に腹が立ったけれど、自室から出てきたであろう人物が大きな足音を鳴らし、荒々しく2階からエントランスに下ってきた。

 あまり巻き込まれたくはないけれど、足音から察するに苛立っているだろうその原因の一端であることも自覚しているために、ここで逃げ出すのはいくらなんでも無責任すぎる。



 あたしは深くため息を吐くとその足音の人物が降りてくるのを大人しく待った。



「お、来た来た。僕に勝てると思うなよ~」



 その原因が何をのんきなことを。と思ったけれど、彼女の本性はこんなだったことをあたしは思い出す。

 リョカは10歳の時に突然危険行動を止め、12歳になった時、なんの脈絡もなくお淑やかになった。最初の内はまだ粗が目立ち、あたしがぶん殴ることは少なくなかったけれど、時が経つにつれ彼女は完璧な淑女となった。足を下げて曲げてスカートの裾を上げるなんて挨拶は、今では淑女の新たなマナーとなっているほどには淑女人気も高かった。



 だけれど、あたしと彼女の父親は――。



「リョカ、今日は随分とご機嫌じゃないか。いつまでも脱がなかったの皮を今日になって突然はぎ取ったのは理由があるのだろう?」



「ヤだなぁパッパ、僕はいつでも爪は見せていたよ。周りがどう見ていようが、それは周りの勝手。僕の都合とは関係ないでしょ」



 いけしゃあしゃあとよく言う。ノルスなんて見た目が可愛らしい……リョカがネコと呼んでいるその魔物は見た目とは裏腹に強力な力を持った魔物で、力を隠している者に対してノルスの皮を被ったと比喩されることがある。



 そう、あたしと彼女の父親であるジークランス=ジブリッド氏はリョカがまともな人間になるはずがないとここ数年ずっと疑っていた。



 父親としてその認識はどうなのだろうとも思わなくもないが、リョカが度々持ち込んできた厄介ごとの被害の大きさからその信頼度は妥当だろう。



「よく言う。お前が何かやらかそうとするたびに俺の右耳が痛むんだ。今日は特に痛みが酷くきっと何かやらかすと思ったから、ミーシャに監視を頼んでいたんだけれど」



 あたしは彼から向けられた視線を躱すことしか出来なかった。



 でも、正直仕方がなかった気がしなくもない。そもそも彼だって、あたしの幼馴染の、自分の娘のあんな姿、生理的に受け付けなかったのではないか。

 その証拠に、ここ数年では見られなかったリョカからの軽口に安堵しているような雰囲気がある。



 そして頭を抱えている彼が食堂へと足を進ませたから、あたしとリョカもそれについて行く。給仕の1人からあたしたちはお茶を受け取ると最早諦めきったような呆れ顔で、彼が口を開いた。



「でミーシャ、うちのバカ娘は何をやらかした?」



「パッパ、パッパ、あたちねぇ、魔王ににゃったぁ」



「――っ!」



 ぶぅーっとお茶を口から噴出させた彼が体をわなわなと震わせる。

 それが事実なのかと視線で確認してきたからあたしは頷き、それが事実であることを示した。



「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だったか。お前、この国がどれだけ聖女を待ち望んでいたか知ってるだろう。そんな中で魔王になんてなったらそこら中敵だらけに――」



「それは大丈夫です。あたしが聖女になったし、ついでにその場にいた連中には聖女が魔王の面倒を見ると伝えました」



「……ミーシャ、別にこの馬鹿に付き合う必要もないぞ」



「腐れ縁ですから」



 少しだけ安心したように微笑んだジークランスさん、何だかんだとリョカを心配している。手がかかるとはいえ、やはり自分の娘ということなのだろう。



「え~なになに、リョカちゃんの話? リョカちゃんが最高に可愛いって話――」



 あたしはリョカの頭を掴み、テーブルに叩きつけた。



「それでミーシャ、君は教会に勤めるのかい? 正直おススメはしないぞ。君の家の利権を狙う輩もいるだろうし」



「いえ、魔王が高等部に進むのですから聖女のあたしもついて行かないとですよね」



「なるほど。君もうちのに負けず劣らずにしたたかだったな。教会の方は俺の方でも手を回しておこう」



「ありがとうございます」



 さすが、一代でこの国を代表する富豪にまで上り詰めた商人だと感心する。彼の手が加わるのであれば身の安全はいくらかマシになるだろう。



 と、リョカが顔を上げ、恨めしそうにあたしを睨んできた。



「お父様や、今目の前で愛娘の顔面が潰されたのですが、何か言うべきことはない?」



「ことの大きさくらいは理解しただろう」



「まあお父様ったら、この程度のことが大事なんて臆病になったのでは? こんなもの、僕が舞台に立つための前座でしかないのに」



「……なあリョカ、お前どうしていい子ぶった?」



「え~、別に不自然ではないよ。いつも言っていたでしょう、僕は可愛くなりたいし、可愛いに憧れてるの」



「それがどうして魔王に繋がるのよ」



「わっかんないかなぁ。僕は今でも可愛いけれど、それだけじゃ駄目。だってここにはSNSもなければインターネットもない。僕の可愛さを伝えて届ける術がないんだよ」



 リョカはよくあたしたちの知らない言葉を話す。きっと聞いたところで理解出来ないし、理解したところで無意味なものであることはわかる。



「もし誰かにそれを伝えるにしても、ものすごい知名度がいる。知名度が欲しいだけなら魔王でなくてもいいんだけれど勇者や聖女では意味がない、何故なら可愛いより先に希望を見出すから。僕が知ってほしいのは可愛さ」



「それなら魔王でも同じことじゃない? 普通なら絶望するわよ」



「馬鹿だなぁ、愛される努力は容易だけれど、愛されない努力は虚無だよ。嫌われるのは簡単だけれどね」



 リョカはきっと、あたしたちでは到底理解出来ない感性を持っている。これもその1つだと思う。



 あたしはため息を1つするとジークランスさんに目を向けた。

 彼はまた肩を竦めると、もうどうにでもなれと言う風に手を上げた。



「わかったわかった。すでにお前の道が見えているって言うのならもう強くは言わないよ。どうせ言っても聞かないだろうし」



「さすがパッパ、よくわかってらっしゃる」



「それでお前は高等部に進むんだな?」



「うん、学園生活は可愛いを知る上で外せないよね」



 頭を掻いたジークランスさんがあたしに頭を下げた。



「ミーシャ、いつものことだが、このバカ娘のことを頼む」



「ええ、幼馴染ですから」



「まるで僕が問題児みたいな言い方」



「そう言ったんだよ。ったくお前はいつもいつも心配ばかり――」



 まったくだ。

 この愛すべきか悩まなければならないあたしの唯一の幼馴染は、本当に目が離せない。

 だけれどどうしてだか、その眩いばかりの瞳は、可愛いを語る時の彼女の在り方は、勇者が語る希望よりも、魔王が突き刺す絶望よりも、聖女が放つ癒しよりも、どんな力よりも強く安心出来る。

 あの目で口を開かれたら、あたしはそう思わずにはいられない。



「ミーシャ、お父様、僕が鳴らす踵からは福音が鳴るの。それに可愛い僕には世界だって優しいんだから、なんの心配もいらないよ」



 あたしとジークランスさんは顔を見合わせて息を吐いた。きっと同じことを考えている。



 あたしたちは、この目の前の魔王様を心底可愛らしいと――。

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