#032 救いの誘惑

「……から、ウチからも購入してほしいんです!」


 ――――交易所の応接室には、その日も商談を持ちかける商人の姿があった。しかしながら商談と言っても、その事情や態度は様々。田舎と侮って上から目線で恫喝まがいの交渉を持ちかける者も居れば…………上司の無茶な要求を受け、無理とわかりながらも必死に食い下がる者も居る――――


「えっと、買うにしても、そのお値段では……」

「それでも! 遠くの街と取引するよりはいいはずです!!」


 ――――こりもせずに訪ねてきたのはオミノの商人。オミノはキノタの財政問題もあって独占契約を結んでいたが、財政破綻に合わせてその契約は白紙となり、代わって代表となったクロノは最寄りの街であるオミノをあえて(ほとんど)利用しない政策を打ち出した――――


「それならせめて、野菜の買取価格をもう少し何とか出来ないものでしょうか?」

「そ、それは……」


 ――――口ごもる商人。彼は末端であり、何かしらの譲歩を提案する権利はない。オミノ商会は、キノタ以外とも取引があり、キノタからの利益を失ったところで倒産するまではいかないのだが…………それで収益を激減させて、素直に納得できる経営者は"商売人"ではないだろう――――


「我々も契約書を交わしているので、益の無い変更は……」

「お願いします! そこを何とか!!」

「ちょ!?」


 ――――土下座からの泣き落とし。オミノ商会に残された武器は『日持ちしない野菜の買取』だが、それも農業以外の収入を得たキノタがこだわる必要は無く、迂闊に無理難題を持ちかけて切られれば、困るのはオミノ側となる。(商会は安定的に食料を調達する義務がある)――――


「分かりました。それなら、こんなのはどうでしょう?」

「!!?」

「ご主人様、お手数をおかけします」


 ――――話に割って入ったのはクロノ。彼は最高責任者ではあるものの、だからこそすでに末端の交渉には関わっていない――――


「自分が紹介状を書くので、他の商会に鞍替えしてしまうのは」

「え? それは……」


 ――――この商人は、搾取されるだけの末端。給料や待遇も知れており、オミノに固執する必要は無い――――


「行商の儲けは距離に応じて増えていきます。もちろんリスクも増えますが…………すでにオミノで充分、基礎は学ばれたでしょう? そろそろ転職や独立を考えても良い頃合いだと思いますよ」

「えっと、それは……」


 ――――視線を泳がせる商人。彼も転職を考えた事はあるが、忙しい日々、共に支え合う同僚、世間体に、将来の不安。様々な思いが入り混じり、決断を先延ばしにし続けていた――――


「そうすれば給金や自由になる時間は増えるでしょうし…………実は、キノタにも商会を置く計画があるんです」

「え? そんなことが……」

「最初は行商人を纏める"組合"からになりますが」


 ――――キノタの取引規模は右肩上がり。これまでは他所からの商人を受け入れる形で物流を回していたが、ここまで来れば自前で商会や、所属商人を纏める商業組合を立ち上げることも可能となる――――


「えっと、その……」

「土地や仕事は幾らでもありますので、同僚の方やご家族の受け入れも可能です。キノタ以外にも希望があれば、今なら勤務地も選べますよ」


 ――――商会を置くとなると、取引先となる商会や、各地に支店を置く必要がある。その点キノタは、すでにヒノルタなどの村々と契約を結んでおり、その目処は立っている――――


「え!? いいんですか?」

「人が増えれば、使える手も増えますから」


 ――――この商人も知らない事だが、実のところオミノ商会はそれほど儲かっていない。独占状態と言っても、オミノ自体も地方都市であり商業規模は小さく、なにより独占状態を維持するために渡している裏金の負担が大きすぎる――――


「そ、それでは皆に! その…………ここだけの話、商会長が入れ替わってからは……。……」


 ――――クロノの商才や、信頼重視のやり方に賛同する者は多い。しかしながら当の本人は、実のところ集った者たちを信用していない。その付き合いはあくまでビジネスであり、不利益につながるなら容赦なく切り捨てる。それを薄情だと罵る者も居るが…………彼の近くにいるものは、その非情さ・決断力も含めて、彼を信用していた――――





「もぉ~、どこ触っているんですか~」

「ぐへへ。イイじゃないか。そういう店なんだろ?」

「おさわり厳禁。触っていいのは、ボトルを入れて、"個人的に"了解してくれた娘、だけなんですよ~」


 ――――中年の男たちが、娼婦と楽し気に酒を交わす。彼らは共和派であり、つまりスパイ。クロノ一派の動向を探るため、あるいは工作を仕掛けるため、その身を近い場所に置いていた――――


「いいじゃないか。同じ村のヨシミだろ?」

「私たちの体は売り物なので、そういう訳にもいかないんですけど…………今日は、特別ですよ~」

「「おぉ!!」」


 ――――その手が、豊満な乳房に重ねられる。彼らも既婚者であり、性行為も体験済みなのだが…………彼らにとっての性行為は"子作り"であり、それもすっかりご無沙汰。強烈な色気を放つ若い女性の姿態に、枯れかけていたオスの本能が再び呼び起こされる――――


「特別サービスを他のお客様に見られると困るので…………続きは"別館"で」

「え? 別館って……」

「「まさか!!?」」


 ――――別館とは、性行為を前提とした宿であり、つまりはそういう事。しかも相手は、子供か孫かと言った年頃の美女。それは振って湧いた役得ではあるが、年甲斐を忘れるには充分な刺激があった――――


「今日は本当に、特別ですからね~」




 ――――彼らの本能が燃え上がる。男として、自分がまだまだ"現役"である事を証明するために。そして彼らは…………初めて体験する。子作りではない快楽の為の『本物の女遊び』を――――

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