約束

「あれっ」


 目が覚めると、私はバス停のベンチに座っていた。


「私は確か……」


 そう、さっきまで私は三十歳の私になっていて、ケイトさんという男の人と話して、それから……。


「今のは夢……だったのかな」


 夢にしてはかなりよくできた夢だった。

 でも、もし今のが夢だったとしても、学んだことがいくつかある。


「私もいつか、素敵な旦那さんと巡り会えるかもしれないんだ」

「ケンタ君だけが全てじゃなかったんだ」


 そう思った途端、振られて大泣きして、家を飛び出て、バス停で途方に暮れていた自分がとてもちっぽけに思えてきた。


「ちゃんと前を向かなくちゃね」


 私はシャキッとした姿勢で立ち上がった。

 すっかり忘れていたけれど、全力で走ったから少し足が痛い。

 ――家に帰らなきゃ。


「佳織ーー!」


 突然、どこからか聞き慣れた声が聞こえてくる。


「お父さん?」


 声のした方を振り返ると、お父さんが駆け足で私の方に向かってくるのが見えた。少し遅れて、お母さんもやってくる。


「私……ちゃんと愛されてるんだね、ケイトさん」


 お父さんは私のもとに到着すると、真っ青な顔をして安否を尋ねる。


「佳織、怪我とかはしてないか?」

「うん。大丈夫だよ」

「よかった……」


 両親はひと安心、とほっと息をつく。


「ごめんね、お父さん、お母さん。でも私……もう大丈夫だよ!」


 さっきまでの事が嘘のように元気を取り戻している私を見て、お父さんもお母さんも狐につままれたような顔をしていた。

 けれどすぐに、佳織が無事なら何でもいいか、と安心した表情を浮かべた。


「探しに来てくれてありがとう。さ、帰ろ!」


 私は軽やかに足を踏み出す。


 夜空を見上げると、お星さまたちが宝石みたいにキラキラと輝いていた。


★★★


「あのね、慶斗けいと

「どうしたの? 佳織ちゃん」


 純白のドレスに身を包んだ私は、タキシード姿の慶斗に向き直る。


「笑わないで聞いてほしいんだけど」

「笑わないよ、話してごらん」

「いつか、夜一緒に過ごしているときにね」

「うん」

「十五歳の私がやってくるかもしれないの」

「十五歳の佳織ちゃんが?」

「そう。たぶん、二〇三七年の七月七日」

「ちょうど二年後の今日だね」

「うん。もしその時は……驚かないであげてね」

「難しそうな話だけど、佳織ちゃんのお願いなら驚かないでみせるよ。心の準備をしておくから」

「ありがとう。それからね……」

「何かな?」


 少し恥ずかしいけれど、今でも鮮明に覚えている記憶を辿っていく。


「優しい笑顔で話してあげてね」

「それはもちろん」

「あと、魔法使いになったつもりでいて」

「なかなか難しそうだね」


 慶斗はちょっといたずらっぽく笑った。

 私はこの笑顔が好きだ。


「それで……一番大事なのはね」

「うん」

「結婚式の日を迎えるまで、その夜の出来事を誰にも話さないでおくように、約束を交わしてほしいの」

「どうして?」

「どうしても」


 もしも誰かに話してしまったら、慶斗と出会えなくなってしまうような、そんな気がしたのだ。


「その日は、私が初めて失恋をした日なの」

「それは大変だ」

「だから、私が泣きそうだったら頭を撫でて、そっと抱きしめて。別れ際にはキスをして」

「十五歳の佳織ちゃんに?」

「そう。十五歳の私に」

「それって大丈夫なのかな」


 慶斗は少し困ったような顔をする。


「私がお願いしてるからいいの。今の私と、十五歳の私、二人からのお願いなの」

「わかった。それならちゃんと覚えておかなくちゃだね」

「……約束だよ?」

「うん、約束する」

「本当にありがとう、慶斗」


 タイミングを見計らったかのようにノックの音がして、式場スタッフが控え室に入ってくる。


「そろそろお時間です」

「行こっか、佳織ちゃん」

「うん」


 今日は、二〇三五年七月七日。

 私たちは晴れて、結婚式を挙げる。


「よかったね、あの日の私」


 私は慶斗にも聞こえないくらい小さな声で、十五歳の私に向けて呟いた。

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最寄りのバス停発、未来の旦那さん行。 花沢祐介 @hana_no_youni

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